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第6章 桐斗と直人(1)

第6章 桐斗と直人


 時間が進みだした中、俺は芦野宮高校へ向かった。今は高校3年の春。俺が頼れる人間はたった1人。小さい頃から医者を志してきた俺が認める秀才。困った時に手を貸してくれる数少ない仲間。俺は勢いよく教室の扉を開けた。目に留まったのは姫香の席に置かれる花瓶に活けられた花。この世界に姫香はもういない。胸に痛みを感じながらも俺の席に座っている桐斗に目を向けた。


「よ、直人」


いつもと変わらず俺に挨拶をしてくるが俺の表情から何かを察したのか、手に持っていたゲームを置いた。


「おいおいどうした。朝から何殺気立ってんだよ。遂にマユミンに惚れたのか?」


気持ちを察してか明るく接してくる桐斗に、俺は机に手をついて真っすぐ目を見る。


「俺に勉強を教えてくれ」


「え?」


戸惑う桐斗に言った。


「俺が医学部に入れるように、勉強を教えてくれ」


俺1人じゃ絶対に成し遂げられない事は分かっていた。今からどんな勉強法がいいのか考えている暇はない。できるのは教えを請い、実行することだ。


「医学部に?」


俺は頷いた。


「そうだ。腐敗症についての論文が理解できるようになりたい。腐敗症について研究者と対等に話せるぐらいになる必要があるんだ」


桐斗は少し悩んでから言った。


「それじゃあ、直人が目指すのは医学部の研究科ってことか」


研究科? 医学部にそんなことがあることも知らなかった。


「医学部は核戦争後、見直されたんだよ。核戦争後に出てきた新たな病を克服するために研究に重きが置かれることになって、一般的に医者と呼ばれて俺が目指してる臨床科と、新薬開発や病気の研究をする研究科に別れてるんだ。直人が行きたいのは研究関係だから、それなら医学部研究科の受験がいる。それに腐敗症の最先端の大学と言えば有名なのは御崎大学かな。俺も狙ってる大学だ」


未だに治療法が確立されていない腐敗症研究の最先端と言うことは医大の中でもトップクラスと言うことになるんだろう。


「でも、直人お前本気で言ってんのか?」


桐斗がそう言ってくるのも無理はない。俺の成績は5段階評価、全ての科目が3だ。一方で桐斗は4が入っている事の方が珍しい程だった。そんな桐斗と同じ大学に行こうと言うのだからあまりにも無謀だ。


「俺は本気だ。腐敗症研究の最前線まで行きたい。その為には俺1人じゃとてもできないんだ。桐斗は大変だって分かってるけど、それでも俺に勉強を教えてくれないか?」


俺が認める秀才だから、努力してきたのを知っているからこそ桐斗以外に適役はいない。桐斗は俺の目をじっと見つめ、やがて頷いた。


「姫香ちゃんのことだろ。そんな強い気持ちに俺がとやかく言える立場じゃないじゃんか。それに、一緒の大学受けるなんてなんか俺もモチベーション上がるしさ。俺にできることならなんでもやってやるよ。その代わり、吐血するぐらいの努力が必要だと思え」


と、指差してくる桐斗に深々と頭を下げた。


「ありがとう!」


頑張るしかない。俺の頑張りが姫香の生死に直結しているんだ。助けるよ姫香。もう何もできずに泣いたりしない。今度こそ必ず助けてみせる。


「頭上げろよ直人」


そう言われて頭を上げると、目の前に桐斗が拳を突き出していた。


「俺はスパルタだぞ。ついて来れないと思ったら置いていくからな」


「ありがとう桐斗!」


俺は桐斗の拳を両手でつかんで上下に激しく振った。


「いや、俺的には拳をぶつけるっていう男の友情シーンを再現したかったんだけど……」







 その日から、俺と桐斗の受験勉強が始まった。俺の1日は朝起きた瞬間から始まる。突然鳴りだした目覚まし時計を敷布団の中から手を伸ばして止め、猛烈な睡魔と戦いながら必死に体を起こす。夜型だった俺には早起きするという単純なことが大変で毎朝が戦いだった。夜遅くのテレビ番組が見たいという理由だけで夜更かしし、完全に夜型になっていた自分を恨んだし、何度か目覚ましを止めた状態のまま寝ていた時もあった。


 目が覚めたらまず前日に暗記しておいたものをすぐに復習する。朝食の時間だろうが関係なく、何度ジャムを塗ったパンを鼻に突っ込む羽目になったか数知れない。


 俺は桐斗と毎朝一緒に登校した。万が一寝ているようなことがあったら叩き起こす為である。桐斗が来た時俺が寝ていたら鬼の形相で怒られてその日のノルマが追加される。完全な夜型だった俺は受験勉強を始めた当初何度も桐斗に叩き起こされた。時に蹴り飛ばされる勢いである。理由は大抵が、マユミンとの朝デートを諦めた俺の気持ちを返せというものだった。理由はなんだか違う気もするが、桐斗にとってそれが1番辛かったのだろう。


 通学路でも単語帳を開いて覚えにかかる。突然襟首を掴まれたと思ったら赤信号なのに横断しようとしていたらしく、何度も桐斗に怒られた。今度赤信号で渡ろうとしたら犬用のリードをつけて登校すると脅されることもあった。


 学校に到着したらすぐさま問題集を開き、分からない所を聞いて時間が許す限り教えてもらう。授業中は受験科目に必要がなければ特に聞かず、暗記に時間を回した。先生に見つかることもあり、最初は怒られ立たされていた俺だが、立たされながらも必死で暗記した。どれだけ叱ってもやめることがない程毎日必死で受験勉強をしているのを知って、いつしか先生達は黙認してくれるようになった。


 「人間なんてすぐに忘れる生き物なんだ。重要なのは反復だ!」「人間の記憶の定着は夜寝ている間に行われるから暗記ものは特に寝る前にやれ」「寝ないと疲労が蓄積するだけだから睡眠時間は死守しろ」など、復習が行き届いていなかったり、睡眠時間が足りていなかったりすることがあれば、論文を一緒に覚えた時よりも厳しく怒られた。桐斗に言われるがまま英単語や古文単語、歴史上の人物と出来事を覚え、ひたすら数学の問題を解く。


 それだけでなく桐斗が部屋に来た時に部屋が汚いとも怒られた。「受験時は部屋の清掃にも気を遣え!」「部屋の清掃が行き届いているかはモチベーションに直結する!」「そして何より俺のモチベーションが下がる!」という言い分で、靴下が1組でも脱いだまま落ちていたら顔面に投げつけられた。




 土日は桐斗がよく泊りにきて一緒に勉強し、俺が居眠りしそうになれば釣り竿の先に貼りつけた姫香の写真を目の前で揺らしてきた。


「居眠りしちゃっていいのかな~? あと3秒で起きなければ直人の大切な1枚もらっちゃうよ。はい、3、2、1」


その瞬間に俺は目玉が落ちるほどに目を見開いて起きた。


「返せ俺の姫香!」


疲れがたまり、居眠りしたまま起きなければ姫香の写真が1枚ずつ没収されてしまうルールだった。既に何枚か没収されており、これ以上渡すわけにはいかないのだ。無意識に体が動いて釣り竿に付けられている写真を奪い返してから勉強に集中した。


 桐斗と違って、俺は基礎というものが不十分だった。特に夢もなく生きていた事が今になって足を引っ張るとは思っていなかった。いつ必要になるか分からないからこそ、未来の自分が困らないように夢がなくても勉強だけはしておくものだと痛感した。基礎すらできていない俺に居眠りしている時間は無い。俺は姫香を助ける為に勉強しているのだ。


 桐斗が家に帰ってからも俺は必死で机に向かった。風呂に浸かっている間は密封した透明の袋に入れた教科書を読みこむが風呂でいつの間にか居眠りしていて沈み、鼻に水が入って来た時は死ぬかと思ったこともあった。






 春から夏へ、夏から秋へと順に季節は移り変わっていった。桐斗に怒られたのは数知れないが、それも最初だけで、体が1日のサイクルを覚えてくると早起きも苦ではなくなった。目覚まし時計が鳴る前に目が覚めて、夜は決まった時間に眠くなってくる。


 その日も俺は鳴ってもいない目覚まし時計止めて何気なく窓を開けた。白い息を吐きながら両腕をさする。吹き込んでくる風は氷のように冷たく、痛みにさえ感じられた。一晩の間に外の景色は一変しており、白一色だ。今年何度目の雪だろう。姫香を救うというその一心で猛勉強を開始して、もう冬を迎えている。携帯を見てみると、桐斗からメールが入っていた。


「自信持って頑張ってこい」


俺は外の景色を眺めながら深呼吸した。桐斗は既に推薦入試で合格しており、残すは俺だけだ。俺も桐斗と一緒に受験したが結果は不合格だった。桐斗はとにかく気にせずに筆記試験で頑張れと応援してくれていて、俺の受験勉強を見ていてくれていたのに自分がやるべきこともこなして合格したことにはさすがだと思う。勉強ができるだけではなく時間の使い方や配分がうまいのだ。


 桐斗は合格してから俺のために更に時間を割いてくれて、最近ルームシェアでも始めたかと錯覚するほどほとんどの時間を桐斗と過ごしている気がする。桐斗は俺に勉強を教える一方で、俺が問題集を解いている間は両親と話したりマユミンに会いに行ったりして楽しんでおり、特にストレスを感じていることもないらしい。


 後は俺だけだ。俺は窓を締めてから昨日に準備を完了させていた鞄の中を再チェックした。鉛筆、消しゴム、財布、そして、


「受験票」


と、俺は言いながら俺の顔写真が貼られた1枚の紙を取り出した。ついにこの日が来た。桐斗と必死に頑張った日々。姫香のために頑張ってきた。姫香を助けるということへの第1歩だ。俺は鞄を手に取ると、机の上に置いてある姫香の写真を見た。


「姫香、俺頑張るよ」


君を救うために。俺は気合いを入れて部屋を出た。





 俺は落ちついた気持ちで受験の時を迎えた。長方形の机が縦に15列、横に8列に並ぶ巨大な講堂の中で受験生は2人ずつ座る形で席に着いて、試験監督が説明しているのを聞き、問題用紙が配られる間も俺は集中した。頭は冴えていて冷静で、いざ試験が始まると適度な緊張感の中で問題に取り組んだ。高校の定期考査なんて毎回試験直前に緊張し、始まってみると頭が真っ白になったものだ。桐斗は問題集に取り組む時は必ず早めの時間設定をして時間測り、急かすようにして問題を解かせていた。受験は解くスピードが大切なのだとよく言ったものだ。体に染みついた時間の感覚のおかげで最後まで焦る事は無かった。


 試験が終わり、受験生は結果が出るまで自由な時間が与えられる。大学構内から出ると、芝生の敷かれた校庭では家族らと合流して結果発表を待つ姿が多くみられた。昔は受験結果が後日貼り出されるのが主流だったらしいが、今では方式が一新されて受験したその日に結果が分かるようになっていた。受験生は試験終了と同時に外へ出て外部の人との接触を許され、共に結果を見る事も出来るのだ。俺が校門前まで行くと、桐斗が立って待っていてくれた。


「お疲れさん」


手を上げて歩いてくる。俺も片手を上げて返事した。


「結果発表までどれくらい?」


「あと30分ぐらい」


桐斗と話してようやく緊張の糸が切れた俺は大きなため息をついた。


「とりあえず焦っても仕方ないからのんびりしとこうぜ」


合否の発表がされるまでの30分間、俺達は近くのカフェに入ると久しぶりにのんびりと話をしながら時間を潰した。桐斗は俺が御崎大学を目指し始めたのは姫香がきっかけだと分かっており、姫香の話もした。3人で笑いあったあの日々は忘れるはずがない。同じ教室で一緒に勉強して、一緒に帰った楽しかった日々。桐斗にはまだ真実を言えていないが、俺は姫香の命を救うために今頑張っているのだ。姫香は死んでしまったがこの世界で唯一俺だけが姫香を救うことができる。ケイという人ではない者の力を借りて。





 俺達は思い出を語り合ってからまた大学に戻った。貼り出される数字から俺の数字を探しに行かなければならない。


「直人は何番だよ」


「俺は210845だ」


受験票を見ながら確認し、俺は桐斗と共に校庭に貼り出された紙を向いた。びっしりと書かれた数字の中に自分の数字の有無を見て、受験生が一喜一憂しているのが分かる。校庭は異常なほど賑わっていた。自分の合否を確認しようと受験生が集まっていて、地面が見えない。まるで満員電車の様な人だかりである。俺は深呼吸してから桐斗と一緒に人の間を縫うようにして前に進んだ。ようやく数字が見えるようになったところまで歩いて来て、俺は数字を探した。210683、210758、210840、少しずつ近づいていく。


210841


210844


210847


俺はもう一度数字を見てみる。


210844


210847


数字を見直してその意味を理解した瞬間、周りの音が聞こえなくなった。頭が真っ白だった。


「俺、落ちたのか……?」


姫香を救う為の1歩をようやく踏み出せるのだと思っていた。手ごたえもあったし、努力なら誰にも負けない自信もあった。桐斗にあれだけ手伝ってもらったのに届かなかったっていうのか。姫香を救うためのカギはあるのに結局俺の力が足りない。姫香になんて言ったらいい? 桐斗にどんな顔をしたらいい? 受かったと思うほどの自信が逆に辛かった。姫香を救えると思っていたのに、俺は1歩すら踏み出せていないじゃないか。


「……と……おと……直人!」


固まったままの俺の両肩を掴んで桐斗が揺すっていた。


「しっかりしろ直人!」


何をどうしたらいいのか全く分からず、俺が混乱しているのを見越して桐斗がもう1度俺の肩を強く揺さぶった。今まであんなに頑張って来たのに、俺は受からなかった。そればかりが頭の中で回り続けている。悔しくて、涙が止まらなかった。そんな俺に桐斗が言った。


「直人、これは想定内なんだ」


桐斗がとにかく人ごみから出ようとするのを俺は追いかけた。一体どういうことだ。今まで頑張ってきたのは無駄だったって言うのか?


 人ごみから出た俺は、校庭の隅で桐斗に迫った。


「俺が落ちることが想定内? どういうことだよ桐斗!」

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