第5章 覚悟(3)
「随分頑張ったね、ナオ」
「さぁ、教えてくれ。地球そのものの生命時計がどこにあるのか」
ケイは縦に長い瞳で俺を見ると、口から牙を覗かせながら笑った。
「地球自体の生命時計なんて普通は気がつかないのにね」
と、ケイは桐斗の頭をつついた。もちろん何も起こらない。
「俺の自慢の友達だからな」
ケイは桐斗から俺に目線を移して問う。
「ナオがしたいことは何だ?」
ケイの目を真っすぐ見つめた。
「地球の生命時計を巻き戻したい」
ケイなら知っている。この地球というものの生命時計の在処を。数秒見合ってからケイは根負けしたように笑った。
「約束だ。外へ出てみな。地球の生命時計は空にある」
そう言われて、俺は止まった世界の中を歩き、外へ出た。全てが凍りつく世界の空を見上げた時、そこにある巨大な歪んだ時計を目にして絶句した。俺の時計を何万倍にも大きくしたようなもの。空を覆い尽くす巨大な懐中時計。秒針は1秒ずつ止まりながら重そうに時間を刻んでいく。
「こんな物、なかったのに……」
あまりの大きさに圧倒される俺の隣にケイが歩いてきた。
「地球の生命時計の存在は気づいた者だけが見える。灯台下暗しってね」
これさえあれば姫香を救える。俺は頭上にある巨大な時計を指差した。
「姫香が生きていた頃に、戻れ」
そう言って指を回すと、巨大な時計はゆっくりと歪んだ針を戻し始めた。秒針が勢いよく回転し、分針が5ミリほど動いた所で停止した。俺は自分の家の前に立っていたはずだが、表札は見知らぬ誰かの名前に変わっていた。
ケイがいた方向を見てみたが既に姿は無くなっており、自分の生命時計を空へ押し上げるようにして飛ばす。頭上で光の輪はゆらゆらと揺れながら地面に落ちると、止めていた時間を進めた。突然周囲に色が戻り、俺はその中を駆け抜けた。
芦野宮研究所は俺の通ってた高校から1キロ程離れた場所にある大きな研究所だ。桐斗に言われた通りに紙に論文の内容を書くために芦野宮高校に向かった。記憶にある論文を書面にして小山教授に見せなければならない。姫香を助ける為に。
俺は姫香に会うよりも先に、覚えた論文の内容を覚えた通りに紙に書いた。今会ってしまったら覚えていた内容全てを忘れてしまいそうだから。図書室に駆けこんでひたすらペンを走らせる。ボールペンで人にギリギリ読める字で急いで書いた。手が痛くなろうが関係ない。とにかく今は時間が必要だ。姫香が腐敗症で死んでしまう前に特効薬が開発されなければ意味がない。図書室の先生が何か話しかけたみたいだが俺は無視して書き続けた。授業なんて今はどうでもいい。論文が最優先だ。
何とか論文を複写しきった俺はそのまま高校を飛び出して芦野宮研究所に向かった。小山教授にこれを渡して腐敗症の研究を進めてもらわなければならない。その一心で走り続けた。
高校を離れ、見慣れた大通りを渡ったところで、俺は目の前に現れた巨大な建物を見上げた。広い敷地内に堂々と建つ研究所は4階くらいまでで横長だ。腐敗症の研究を行う最先端の施設。入口はガラス張りになっていて、自動ドアが並んでおりそこだけ見れば一流企業の正面入り口だ。俺は堂々と真ん中を歩いて受付へと向かった。
研究所の中は一見すると普通のビルだった。カウンターには女性が立っていて俺に気がつき一礼する。
「こんにちは。ご用件は何でしょうか」
「小山教授に会わせてください」
はやる気持ちを抑えながら受付で答える。
「ご予約されていますか?」
「いえ、していません」
「小山教授とお知り合いの方でしょうか?」
「違います。でも、とにかく小山教授に会わなくちゃいけないんです。会ってこの論文を見てもらいたいんです」
女性は困った顔をした。
「ご予約がないようでしたら本日はお引き取りください。ご予約されてからもう1度お越しいただけますか?」
それがマニュアルのようで、特に感情はこもっていなかった。マニュアル通りの受け答えであしらわれては困ると、論文を女性に見せた。
「これを読んで欲しいんです。大切な内容なんです。お願いですから、この論文だけでも教授に見せていただけませんか?」
そう懇願しても、女性はお引き取りくださいと機械的に言うだけだった。
「ただの子供が書いたものじゃないんです。腐敗症の事なんです」
必死で訴えていた時、
「あれ、どうしたの佳子ちゃん」
と、白衣の男が近寄って来た。俺は藁にもすがる想いでその人に駆け寄った。
「研究所の職員の方ですよね。お願いです。この論文を小山教授に渡していただけませんか? 腐敗症に関する大切な内容なんです。読んでいただけたらそれでいいんです。きっと腐敗症特効薬開発の力になれるはずなんです」
男は俺が手渡した20枚に渡る論文を1度手に取り、中を軽く見てから俺に渡した。
「じゃあ、この論文の内容を簡潔に説明してくれる?」
そう言われて俺は口ごもった。説明できるはずがない。俺は桐斗のように賢いわけでもなく、ただひたすら暗記して複写しただけなのだから。
「ほらね、何も知らないんじゃないか。あのね、ここは子供が来ていいところじゃないんだよ。小山教授は医大にも行ってない子供の言うことにいちいち耳を傾けてる時間は無いんだ。ほら、帰った帰った」
俺は背中を押されたが必死で抵抗した。
「お願いです。1度でもいいんです。この論文を読んでください。本当に大切な内容なんです」
何度そう言っても男は全く相手にしてくれなかった。いつしかどこからか来た警備員に両腕をつかまれて研究所の外へと追い出されてしまった。
「お願いです。この論文を読んでください!」
何度訴えても警備員さえ首を横に振って帰れと言う。腐敗症により詳しい人間からしたら医大にも行っていない様な子供の言うことなんてただの戯言なのだろう。それでも読んでもらわなければ姫香は救えない。
諦めることなく連日研究所に行ったがすぐに追い出されてしまい、論文すら受け取ってもらえなかった。警備員は俺を見かけると出てくるようになり、渡しに行ける様子ではなくなっていった。
「ここに姫香を救う術があるのに!」




