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第3章 歪んだ時針(2)

 おぼつかない足取りでオレンジに照らされた街を歩く。友達と帰路につく学生、買い物から帰る途中の親子、犬と一緒に歩く老夫婦。そんなものが妬ましく思えた。衝撃的な光景ばかりが頭をよぎる。包帯だらけの姿。肉が溶けて見える骨。虚ろな目で無表情な姫香。


 姫香はもう死ぬのか? そんなことばかりが頭の中で渦巻いて、不安が押し寄せる。姫香が死に向かっているということが現実味を帯びて、失ってしまう恐怖が襲ってくる。見ていることしかできない無力さ、死へと近づいていく姫香。


 本当なら今頃一緒に手を繋いで学校から帰っている時間なのに、どうして俺の隣に姫香がいないんだろう。前を楽しそうに歩く男女の姿を見つけて足を止める。ただ傍にいたいだけなのに。それだけで十分なのに、どうしてこんなに世界は理不尽なんだろう。


 その時、耳をつんざくような悲鳴と急ブレーキの音が響き渡った。反射的に音の方を見てみると、飛び出した子供にトラックが猛スピードで迫っていた。ブレーキを思い切り踏んでいるのだろうが、間に合わない事は明確だった。


 思わず目を瞑る。


 突然音が無くなった。


 いくら待ってもぶつかる音も悲鳴もなく、俺は目を恐る恐る開けてみる。


 トラックは子供に当たる寸前の所で停止し、子供も驚いた顔のまま止まっている。信じられずに周囲を見回すと、全てが止まっていた。





 時間が凍った。その場で俺以外に動いている人間がいたなら、皆そう表現したはずだ。俺以外の全てが突然白黒写真のように色を失い、その場で凍りついていた。楽しげに笑いながら走っていく子供も、手から滑り落ちたペットボトルも、その飲み口から飛び出す水の粒達でさえ宙で停止している。


「何が、起きてるんだ?」


俺1人が動いているのだ。何が起こっているのか理解できずに辺りを見回す。他に動いている人間がいないし、景色が色を失っている。さっきまで燃えるような色をしていた建物も道も人も皆一様に白黒だった。


 そんな世界の中で、色づいた何かに俺の目は吸い寄せられた。灰色のボロボロのマントを着て、フードを被った120センチ程の背丈の人型のものが目線の先に立っている。それは幼い人間の少年の姿をしていたが、一目で人間ではないと分かった。フードから覗く金色の目は瞳孔が縦に長く、じっと俺を見ている。周囲に色がないせいか、その異様な何かは際立っていて、俺は目を放せない。


 少年はトラックに体を向けて指差すと、トラックはまるで逆再生するかのように動きだした。トラックはバックするように後方へとさがり、目を見開いていた運転手の顔は元の落ちついた表情へと戻っていく。少年は次に子供を指差した。道路の中央にいた子供だけが早送りするように動き、道路を渡りきる。それを見届けると少年は手を下ろした。


「何をしたんだ」


いつの間にか心の声を発していた。少年は止まった世界で再び俺に体を向けた。


「君の時間を止めるのを忘れてたね。せっかくだから教えてあげる。あの子はこれから医者になる大切な子供だから、ここで死んじゃダメなんだ。だから事故に遭わせないようにトラックを戻してあの子の時間を進めてあげた。これで事故は起こらない。あの子も死なない」


時間を止める? 少年を見た。信じられないが頭の中に浮かぶ予想を口にしてみる。


「まさか、時間を操れるのか?」


少年は特に表情を変える事もなく淡々と話した。


「まぁ、厳密に言えば時間を操れるってわけじゃない。人間はこの世に生を受けた時点で一生分の時間を刻む時計を手にする。僕が生命時計って呼んでるものだ。僕にできるのはその時間を巻き戻したり進めたりすることだけ。今やったのは子供の生命時計を進めて道路を渡らせ、トラックの運転手の生命時計を逆回りさせることでぶつかる前に戻し、接触を避けた簡単なことだ。本当は君の時間も止めなくちゃいけないんだけど、手を抜き過ぎた」


普通なら信じない話だろうが、目の前で止まっている人々を見れば信じざるを得なくなる。この少年は、一体何者なんだ。生命時計? そんなものを自由に動かせるなんて非現実的すぎるが、この力があれば姫香を救えるかもしれない。


 俺は少年の元へ駆け、しゃがんでから両手で肩を掴んだ。


「その力を俺に貸してくれ!」


これしかない。姫香を救えるのはこの力なんだ。夢を見ているみたいな感覚だが、それに頼るしか他に方法がなかった。この力で姫香が腐敗症になる前に戻せば姫香は助かる。そう思うとこの目の前の少年をこのまま帰してしまうわけにはいかなかった。


 少年は無表情のまま真剣に頼みこむ俺を見つめ、金色の目には俺が映っていた。


「本来この力は運命に従うよう、狂った生命時計を正しい時間に戻してあげる為の力。さっきの子供も生命時計が狂ったから事故を起こして死ぬところだった。全て運命が決められているんだ」


感情のない少年の話を聞いて力が抜けそうになるが、ここで退くわけにはいかなかった。


「それでもお願いだ。その力を貸してくれ。どうしても助けたい人がいるんだ。簡単に運命を変えちゃいけないことぐらい分かってるけど、それでも頼む」


異常な世界だ。夢を見ているのかもしれない。それでもいい。信じるから、必要な物なら何でも渡すから、俺に姫香を救う力をくれ。少年の肩を掴み、全身で訴えかけた。


「いいよ」


特に悩む素振りもなく少年は即答した。


「でも、同じ時間軸に生きる者がこの力を使えば、使われた人間は必ず孤独になる」


孤独になる? どういうことかよく分からない。少年は続けた。


「君に、その覚悟があるか?」


俺は目を放さなかった。目を放したその瞬間消えてしまう気がした。姫香を救える唯一の手段。科学では説明できない異様な力。それでもいい。姫香が助かるなら。


「貸してくれ」


そう言うと、少年は怪しげに笑った。

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