第2章 姫香の告白(2)
南口に到着した俺は外灯下のベンチで俯いたまま座っている姫香の姿を見つけた。腕時計を見てみるが今はまだ5時半。6時に集合と言っていたのにもっと早くここで待っていたのだろうか。
「姫香」
そう声をかけると、姫香は目を丸くしてこちらを見た。息は白く、鼻は赤い。すっかり体が冷えているのではと、姫香の体調が気になって駆け寄る。
「微熱があるっていうのにいつから待ってたんだよ。ただでさえ冷え症なのに、こんなところにいたら体が冷えるだろ」
と、上着を脱いで姫香に手を回してそっと着せた。学校まで休んだぐらいなのに外でじっと待っていたら悪化してしまう。2人きりにはなれたが、体が冷え切ってしまっているなら場所を変えたほうがいいだろう。
「大丈夫か? ここじゃ寒いよな。もう少し温かい場所で――」
「ねぇ、直人君」
周りを見回して、少しでも温かい場所はないかと探している俺に姫香が不意に言った。
「ん?」
そもそも俺を呼んだのは姫香だから、何かどうしても話したいことがあったのだろう。何か迷っているのか、なかなか言い出さないため自然と優しく問いかけてみた。
「どうした?」
姫香は1度目を伏せて少ししてから、笑顔で俺を見上げて言った。
「あのね、今日病院行ったら腐敗症だって言われちゃった」
「え?」
あまりに突然すぎて一瞬理解できなかった。聞いたことがある名前なのにまるで寝起きみたいに頭がうまく働いてくれない。何度かその名前を繰り返してから、ようやくその意味を理解した。腐敗症。現在治療法がない致死率100%の病。
うまく言葉が出てこない。姫香が腐敗症、だって……? あの恐ろしい病気だって?
「え? ど、どういうこと?」
未だパニック状態の俺に、姫香はポケットから5枚の紙を取り出し、差し出してきた。どういうことだという顔で姫香に視線を戻すと、笑顔のまま俺にその紙を渡してくる。恐る恐る紙を受け取って内容を確認してみると、そこにはどれも似通った内容が書かれていた。
全て別の病院の検査結果表で、詳しいことは分からないが、俺にも分かる項目が1つ。診断項目にはただ一言、腐敗症と書かれていた。どの検査結果を見ても腐敗症という文字が書かれており、何も言えないまま前に立っている姫香を見た。
「嘘だろ……」
結果を目にしながらも理解できない俺に向かって姫香は笑顔のまま続ける。
「ずっと微熱が続いてて、ちょっとおかしいから病院に行ってきたの。すごいよね。腐敗症の検査って血液検査だけで良いんだよ。結果が出るのも早くて、30分ぐらいで診断が出たの」
そんな、そんなことあるのかよ……。腐敗症という文字と、姫香の笑顔と、信じたくない気持ちと、否応なしに理解していく頭に、もうぐちゃぐちゃだった。そんな中、姫香は腐敗症になった、という言葉が頭の中でこだました。そんなこと信じたくもないのに、もう1度見てみても結果用紙には腐敗症の文字が書かれている。信じざるを得ない状況の中でも必死に腐敗症じゃない可能性を探していた。
「直人君、別れましょ」
腐敗症ということだけで頭がいっぱいだった俺はその言葉に頭が真っ白になった。血の気が引いていくのが嫌でも分かった。あまりにショックで思考が停止した。
「姫香……? な、何言って――」
「直人君が嫌いとかそんなことじゃないのよ。ただ、さすがに腐敗症持ってるのにこれ以上一緒にいたらうつっちゃうかもしれないでしょ。でも、私は大丈夫。正直腐敗症なんてやっつけちゃえって気持ちだし、こんなに元気だしね」
姫香は依然笑顔のままで力こぶを作って見せている。姫香は別れても平気なのか? こんなに付き合ってることにこだわってたのは俺だけだったのか? いや、姫香も俺のことを好きでいてくれたはずだ。違う。そんな、まさか……。
脳内で未だ整理ができていない俺とは裏腹に、姫香は続けた。
「もし入院しちゃったら隔離病棟行きらしいけど、その時はまとまった時間もとれるわけだし、今まで読みたかった本を読んで、見たい映画だって1日見てやるの。もうDVDになってレンタルされてる頃だし見放題」
お母さんに借りてきてもらわなくちゃいけないけどね、と笑う。考えが追いつかない俺を前、やりたい事を指折りに数えて何度も笑顔を向けた。
「だから私は大丈夫! 付き合ってるって事実があるだけで一緒にいないといけないとか、気を遣っちゃうでしょ? それなら友達に戻っていた方がいいと思うの。ね?」
目の前にいるのはいつもと変わらない姫香なのに。大好きな笑顔なのに。どうして俺はこんなに悲しいんだろう。不意にそんなことを考えた。
分かってる。それは姫香が腐敗症だからだ。そして今別れを迫られているからだ。




