第2章 姫香の告白(1)
楽しい日々が続いていく、はずだった……。
物語がついに動き始めます。
第2章 姫香の告白
俺と姫香が付き合いだしたことは一気に学校中へと広まった。姫香が男女ともに圧倒的支持を得ていた事で拍車がかかったのだろう。その中で俺達の事を1番喜んだのはもちろん桐斗だった。映画を誘った自分のおかげだと恩着せがましく言ってきたが、あの時桐斗が強引にでも映画に誘っていてくれなかったらこんな風に付き合うことはできなかっただろう。桐斗に感謝である。
「姫香、今日も一緒に帰れる?」
クラスメイトが次々下校していく中、俺は鞄に教科書を入れ終えてから姫香に呼びかけた。
「大丈夫だよ直人君」
名前を呼ばれるだけでこんなに幸せを感じるなんて幸せすぎる。毎日合法的に2人で帰ることはできるし、休みの日に映画に行くことに理由も必要ないのだ。クラスのメンバーも俺と姫香の仲を知っていて、もう何も言わなくなっていた。いつも一緒。困ったら助け合って、他の子に目移りすることもなく半年という時間を経て公認の仲になっていた。
そのうち密かに姫香に好意を寄せていた男子も身を引くようになり、たとえ告白されても姫香は丁寧に断った。最初こそ不安だったが、半年も経つと慣れたものである。告白されても姫香は気持ちを移すことはないという絶対の信頼があった。
桐斗は俺達が2人で帰れるようにと週2日だけ3人で帰ることにしたらしく、今日は3人で帰る日だった。3人で帰るときにはゲームセンターでプリクラを撮ることもあり、俺の携帯にも貼り付けてある。
俺の両親も姫香の事を知っていて、もう顔も合わせた。両親はこんなにかわいい子が彼女なんて、と感激していて、特に父さんが喜んだ。いや、喜んだというより、姫香を好き過ぎて絶対に別れるなよと半ば脅してきたことは一生忘れられないに違いない。
もちろん俺も姫香の両親に会いに行った。最初は溺愛していた愛娘を奪う男だと姫香の父さんに白い目で見られていたが、姫香の母さんと話しているのを見ていたら寂しくなったらしく、その内自然に両親と話すようになっていた。今では家族が増えたみたいに思える。電話をして一緒にご飯を食べる事もしょっちゅうだった。
「すまないねぇお2人さん。今日は俺も一緒に帰る日だから」
桐斗が姫香との間にわざとらしくそう言って割り込んでくる。
「お前本当に丸くなったって言うか、性格穏やかになったよな。マユミンの事も何も言わなくなったし」
俺は変わったらしい。随分寛大になって、堂々としていると桐斗から言われるようになった。俺自身そう感じていないのだが、姫香が肯定するのだからそうなのだろう。
桐斗は夕焼けに染まった一本道でおもむろに姫香に尋ねた。
「でも、なんで姫香ちゃんは直人でオーケーしたの? こいつ何にもしてないのに」
目を細めて桐斗を見てから姫香に目線を移した。そう言えば、姫香はどうして俺の事が好きだったんだろう。いつもあたふたするばかりで姫香にこれといって何かをしてあげた事もない。姫香は好きだと言ってくれたけれど、具体的な理由を聞いたことは無かった。
姫香は恥ずかしそうに俺達から目線を逸らし、小さめの声で言った。
「直人君、覚えてないと思うけど、私が転校してくる前に私の事助けてくれたの」
衝撃的だった。姫香に会ってた? 俺が姫香を見たのは転校してきた日が初めてだ。じゃなきゃこれは一目惚れとは言わないだろう。
姫香は空を見上げて遠い目をすると、思いだすように順を追って話してくれた。
「芦野宮高校に転校書類を持って来た日、書類が風で飛んじゃって困ってた時に体育の授業に行く途中の直人君が拾ってくれたの。それも飛んで行った分全部よ。チャイムが鳴ってたから、授業に遅れちゃったと思うんだけど、全然怒ってなくてずっと優しくてね。その時にこの人がいる学校なら私もやっていけるなって思ったの」
「あ! あの時か!」
桐斗が声を上げるのも無理はない。俺も覚えている。体育のテストがあって急いでいた時、目の前を書類が飛んでいったのだ。無我夢中で追いかけまわして、全部拾い上げた時には既に遅刻だった。あの後グラウンドを10周も走らされたから忘れるはずがない。
「私、気づいたけど話しかける勇気がなくて……。でも、羽鳥君が直人君から話があるってきっかけをくれて、やっと話しかけられたの」
チラリと桐斗を見てみると、既に得意顔で俺を見ていた。桐斗が告白させようとしてきて正直余計なお世話だったのだが、結果オーライだったようだ。
「映画に行った時も、実は心の中で迷ってたと思うけど、最終的にはちゃんと困ってる人を助けてて、やっぱりこの人なんだって思ったんだよ」
どうしようもないこの性に初めて感謝した。損しかしていなかったが全てはこの幸せの布石だったのか。そう思うとグラウンド10周など屁でもない。俺、良い人でよかった!
「まぁ優しさでは世界一かもな」
「正直俺の良心が強すぎるだけだけどな」
率直な感想だった。困ってる人を見捨てたらその日1日気になって眠れなくなるから、良心を大切にするというより、どっちかというと良心に振り回されている状態だったのだ。
「直人君の優しさは誰が見ても分かるよ」
そう微笑んでくれるからそれだけで胸がいっぱいである。
「あぁ、俺幸せだわ」
こういう時にしみじみ思うんだ。俺、やっぱり姫香が好きだ。傍にいてくれる。それだけで十分だと思うほど、一緒にいて居心地がいい。小声でつぶやいたのを聞いた桐斗が大声で姫香に言う。
「あ、今聞いた? 幸せだって。直人今幸せ感じてるって!」
「大声で言うなよお前は」
文句を言いながらも顔は笑っていた。ふと、ズボンのポケットで携帯がバイブしている事に気がついて確認してみると、姫香の母さんから電話がかかっていた。桐斗の茶々をさらりと受け流しながら電話に出る。
「はいもしもし、直人です」
電話の向こうからは自然と安心してしまう柔らかい声が聞こえてきた。
「直人君、今晩すき焼きだから一緒にご飯食べない? 人数が多い方が楽しいでしょう?」
「本当ですか? お言葉に甘えさせてもらいます」
そう話す裏で姫香の父さんが俺も喋ると声を上げている。
「お父さんも早く直人君に会いたいみたいね」
「後5分ぐらいで姫香と一緒に家に着きますからもうちょっと待っていただいて……」
「そうね。言っておくわ」
姫香を見ると、その会話を聞いていたらしく微笑んでいた。付き合ってもう半年。思い返してみれば本当に色々あった。
姫香とデートに何度も行って、中にはお化け屋敷も含まれていた。俺がどっちかというとホラーが苦手だと姫香は知っていたのだが、どうしても行きたいと言うので行ってみた。姫香は終始セットの内臓に反応して嬉しそうにしていて、一瞬引きかけた自分がいた。帰りに焼肉を食べに行ったら姫香が見事に内臓のフルコースを説明しながら笑顔で食べていた。あの日の衝撃は未だに忘れられない。もちろんそれだけではなく、観覧車に2人で乗ったりもした。
一緒にいるのが当たり前になって、普通なら倦怠期とか言う仲が冷める時期もあるらしいが、俺と姫香の場合は特に喧嘩することもなく安定していた。不意に笑顔を向けられるともちろんドキドキするが、今では心臓が跳ねると言うよりも一緒にいて安心する方が大きかった。一緒にいられることが幸せで、互いに安心できる居場所になっているようだった。老夫婦の様な関係だと桐斗が例えたことがある。老夫婦というのはどうかと思ったが、桐斗なりに安定した関係のことを例えたのだろう。そんな関係が心地よかった。
桐斗と別れて2人で姫香の家に向かう。今日は姫香の家に招かれたと両親に言ったら今度は俺の家に姫香を呼ぼうと提案された。互いの家族一緒に外食する日が来るのも遠くないだろう。
隣を歩いていた姫香が俺見た。目は小さい子供のようにキラキラしていて嬉しそうだ。
「今日のすき焼き、ハツいっぱいなのよ」
あぁ、心臓のことね。そう頭の中だけで整理して笑顔になる。
「そっか。それは楽しみだな。今日は左心室食べれるといいな」
姫香の解説によると、心臓というものは左右の心房と左右の心室に分かれていて、左心室の方が肉厚なのだそうだ。姫香の事だから今日はその部位がどこなのか詳しく解説しながら食べてくれるだろう。ここまで必要なのかは不明だが、生物の授業は完璧だ。
「姫香」
俺が手を伸ばすと当たり前のように姫香が手を重ねてくれた。姫香の細い指が俺の手を握り返して体温が伝わってくる。肩が触れ合うほどに近くて心地がいい。それが俺達の当たり前だった。
隣で幸せそうに微笑む姫香を見て思いだした。
「そうそう、今度は俺んちに来いって言ってたぞ。特に父さんが」
父さんは姫香を娘だと言い張って溺愛していて、未だに別れるなと何度も迫ってくる。最近は姫香がなかなか家に来ないことを寂しがって早く連れてこいと催促してくるほどだ。
「本当に、父さん姫香の事大好きだからなぁ」
「嬉しい。私のお母さんもお父さんも直人君の事好きだよ」
と、姫香が返してくれるのを聞いて、にやっと笑ってから訊いてみる。
「姫香は?」
それを聞いて、姫香は顔を赤らめて目を伏せた。
「……好き」
小さな声でそう言う姫香に、たまらなくなって抱きついた。
「俺も好きだ!」
「ちょっと、直人君」
姫香が困った声を上げた。周りに人はいないからこれぐらい許してくれ。そう思いながら強く抱きしめた。
翌日姫香は学校に来ていなかった。携帯には微熱があるから休むという内容のメールが届いており、とりあえず席に着いてから返信メールを作成する。一度も学校を休んだことがない姫香の事だから微熱とはいえ相当しんどいのだろう。
「大丈夫? 今日家に寄っていくから、何か欲しいものあったら言って」
と、メールを送っておいた。とにかく今日は姫香の家に寄ろう。必要な物と言えばやっぱりプリントかゼリーかな。思いつく物をノートの隅にメモしておく。
「姫香ちゃんが珍しいな」
遅れて登校してきた桐斗が自分の席に鞄を置いてから俺の方へと歩いてきた。
「微熱があるみたいだ。今日の帰りに何か買って様子見に行くよ」
桐斗は隣の席に座りながら姫香の座席を見て言った。
「そっか。俺は今日早く帰らないといけないから一緒に行けないな」
いつも一緒にいたから急に姫香が休んで寂しいようだった。
「また連絡するよ」
姫香がいない1日はひどく長く感じられた。今まであんなに行くのが楽しみで学校が終わってしまうのが憎らしかったのに、姫香がいないと勉強もやる気が出ない。それでもノートはしっかりとって姫香に見せてあげる為だと精を出した。1時間が長くてついつい外の景色を見てしまう。今すぐにでも姫香の顔を見たい。姫香の声を聞きたい。今日は他に何を買って行こうか。そんなことを考えながら授業を受けた。不意に携帯がバイブして、授業中ではあったが、隙を見てメールをチェックした。姫香からだ。
「今日は外で、2人で会いたい」
それだけだった。風邪のせいで弱っているのか、それとも別の用事なのかは分からないが、姫香が外に出てくる以上あまり長居はできそうにない。
「分かった。じゃあ芦野宮公園の南口はどう? ほとんど人が来ないから。日が落ちると冷えるから防寒はしてきてくれよ」
すぐに返信は来た。
「ありがとう。芦野宮公園に6時でいい?」
「いいよ。無理そうだったら言ってくれたらいいから」
「ありがとう」
そんなやりとりだけで嬉しくなる。今日は姫香に会えるんだ。体調を崩しているんだからあまり長時間は一緒にいられないけど、少しでも会えるだけましだった。
授業が終わってからすぐ、俺は芦野宮公園に向かった。芦野宮公園は中央にある巨大な池を囲むように長身の木々が並ぶ広い自然公園で、北口の方には芝生のある広場もある。木々の間には舗装された道があり、平日にもジョギングをする人が多い。両脇を木に挟まれて、まるで森の中を走っているように感じられるのも特徴の1つだ。
池には鯉がいて早朝には餌をやるおじさんがいたりする。その餌を目当てに鯉が群がってくる様子ははっきり言って恐怖映像だった。おじさんは笑顔で餌を池に撒いていたが池の中はもはや激戦区。以降、自分の中で早朝の芦野宮公園は立ち入り禁止区域となった。
地元の人がよく利用するが、広場があり大通りに面する北口に利用者が集中している。南口は北口からおよそ500メートルの位置にあり、通りから離れていて池しか見えないのでほとんど使う人はいなかった。そのため夜になると外灯が寂しく立つだけになる。
3月と言うこともあり、日が短く5時でも随分暗かった。早すぎてもいい。弱っている姫香を待たせたくないし、少しでも会えることを楽しみにして公園へ向かった。




