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第1章 優しい人(11)

 映画が終わると、岸さんはパンフレットを買った。正直あの映画のどこにそんな面白いシーンがあったのかは疑問だが、岸さんは買ってきたパンフレットを嬉しそうに眺めていた。可哀そうに、俺の腕は空いたままだ。


「岸さんって、こういう映画好きなの?」


と、訊かずにいられなかった。予定では今頃……。やめろ。そんながっかりしたみたいな反応はするんじゃないと自身に注意する。


 隣を見てみると、岸さんは見たことがないような眩しい笑顔で頷く。


「大好きなの。内臓」


はい?


 岸さんはパンフレットを広げると、飛び散った内臓を興奮気味に指差して言った。


「見て、このかわいい肝臓」


かわいい?


 俺にはそれが何の臓器か分からない。内臓ってかわいいもんなの? 女子の中では内臓が流行ってるのか? 分からない。岸さんが分からんぞ! 夢か? 夢なのか? それなら早く覚めてくれ!


「いつもは膵臓派なんだけど、今日から肝臓派になっちゃいそう! 藤沢君は何派?」


何派? 内臓に何派とかあるの? 俺も何か言わないと。何か言わなければその瞬間この笑顔は無くなってしまう!


「胃?」


問うような形になったが、岸さんは俺の言葉に重ねるように構わず食いついてくる。


「胃かぁ! 胃もいいよね。食前と食後で大きさ変わってくる感じが健気で、胃液と胃粘液とのバランスがたまんないよね。今日出てたら良かったのに……。次は見たいね」


俺って今何の話してるんだろ。何で、日常でほとんど使わない「胃」って言葉を連続して聞いてるんだろう。とにかく岸さんの好みは分かった。岸さんは異常な内臓ファンである。





 映画館を出て、俺達は遅めの昼食をとった。岸さんの衝撃的な好みのおかげで緊張は割と解けて自然に話せるようになった。幻滅したわけではない。今まで雲の上の存在だと思っていた岸さんが案外俺や桐斗と変わらない普通の女の子なんだと思ったら急に気が楽になったのだ。もちろん急に笑顔をむけられたりしたら心臓は破裂しかけるが、話すのは抵抗が無くなりつつあった。


 ゆっくりと食事しながら岸さんに対して将来の夢はあるか、学校には慣れたか、友達はできたかなどを聞いて話した。岸さんの将来の夢は保母さんらしい。迷子の良太君の扱いに慣れていたのも、元から子供が好きだからなのだろう。納得だった。きっといい保母さんになるに違いない。


 学校には随分慣れたようで、皆が優しくしてくれるおかげだと言っていたが、正直岸さんにきつく当たる人間などこの世界に存在するのかと思う。そんなことを話しているうちに時間は一気に過ぎていった。





 俺達が次に外へ出た時には辺りはオレンジ色に染まっていた。本当ならもっと一緒にいたいのだが、岸さんを夜の街に連れだすわけにはいかない。きっと家では優しい両親が岸さんの帰りを待っていることだろう。


 にこにこして隣を歩く岸さんを見た。


「ごめん。今日は本当にドタバタして」


岸さんは正直一緒にいてろくな1日を過ごしていない。本当は岸さんと一緒に楽しい1日を過ごすはずだったのに、迷子を母親の元に連れて行って、自転車のドミノ倒しの片付けを手伝って、ミカンを拾って、映画館まで走って……挙句の果てに俺が顔面強打した所も見られて散々な結果である。俺は楽しかったのだが、岸さんは楽しかったのだろうか。


「そんなことないよ」


隣を見ると、岸さんはどこか嬉しそうに笑っていた。


「色々あったけど、それも含めて楽しかったよ」


と、笑顔を向けてくれる。それだけで天にも昇る気持ちだった。


 あぁ、俺この人が好きだ。素直にそう思った。隣で笑っていてくれたらきっと幸せだ。心の中が好きでいっぱいだった。俺、岸さんが好きだ。


「岸さん!」


思った以上に声が大きくて、岸さんは驚いた顔で俺を見た。もう言うしかない。フラれるとかそんなことどうでもよかった。ただどうしようもないこの気持ちを伝えたかった。


「俺、あの、その」


急に口ごもる。岸さんが見ている。言えばいいんだ。好きだって。


「す、す、す……」


どうしても好きが言えない。時間が経つほど言い辛くなっていく。


「どうしたの?」


岸さんが心配げに俺を見ている。ダメかもしれない。それでもいい。当たって砕けろ。桐斗の言葉が蘇ってきた。深呼吸をした。覚悟を決めろ。勇気を出せ。そして岸さんを見た。


「俺、岸さんが、岸さんの事が好きだ」


顔を見ていられなかった。心臓が爆発しそうで、体が震えている。思わず目を伏せ、自分の足元を見つめた。言った! 言ったんだ! 告白する側になって初めて、告白する人達は皆こんなに大変なことをしていたのかと痛感する。たった2文字だっていうのに、こんなに勇気が必要なことだったんだと初めて知った。


「あの、藤沢君」


恐る恐る顔を上げてみると、岸さんは顔を真っ赤にしていて、目が合うなり俯いた。顔が熱くて、今俺も真っ赤になっているんだろう。岸さんが上目遣いで見てきた。


「実は、私も好きなの……」


え? 今、なんて言った? 理解できなかった。岸さんも俺の事が好き? そんなバカな、と岸さんを見る。岸さんはさらに顔を真っ赤にしていた。


「え? 本当に?」


信じられなくて、もう1度訊いてみる。聞き違いじゃないだろうか。それでも、岸さんは頷いた。岸さんが俺の事を好きだって言ってる! そう理解した瞬間鼻から何かが垂れた。慌てて手をやると、手には血がついている。


「やべっ」


岸さんは顔を上げ、鼻を押さえているのを見て固まった。


「ご、ごめん。嬉しすぎて鼻血が……」


その言葉を聞くなり、岸さんは吹きだした。


「ちょっと、笑わないでくれよ。俺も出したくて出したわけじゃなくて」


岸さんは鞄からティッシュを取りだして渡してくれた。礼を言って受け取り鼻に押し当てる。そうして岸さんと目が合って、同時に笑った。嬉しくてくすぐったくて、どこか照れ臭くて、つい笑ってしまう。胸の中が幸せで満たされていた。恋が実るってこういう事なんだ。俺達はその日から付き合うことになった。


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