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痛む体に力を入れ、光が降り注ぐ廊下を歩く。前を行く女官の姿を見失わない程度に私は周囲を見回していた。
祖国の城とは大きく造りの違う廊下は、様式美よりも実用性重視で造られているらしく、切り取った石を幾重にも積み重ねているといった感じに見える。
万が一攻め込まれても容易に壊すことはできないだろう。そんな無骨さの中で目を引くのは素朴な造りに見える窓だ。
近づいて見たわけではないが、素朴に見える外枠が意外に凝った造りに見受けられた。パッと見た感じでは気づかない、さり気ないところで繊細な彫りがセンスの良さを感じさせる。
元々要塞として建てられ、それを改装し城として活用している経緯があるらしいので窓など細かい部分を変えたのだろう。
「こちらがリビリア様のお部屋となります。続きの間にはお付の間を用意いたしました」
「まぁ!とても日当たりのよいお部屋ね。それに近くに花が咲いているわ!」
特大の猫をかぶり、上品よくけれども無邪気に微笑む。
案内された部屋は、身分相応の広さと家具が揃ってた。大きな窓には真っ白なレースのカーテンが掛けられ、その奥には緑が生い茂っていた。
お世辞にも庭とも言えない外は、言葉通り花が咲き誇っている。ただしほとんど手を入れられていないと分かるありさまだが。
日当たりは良好、広さも十分。だというのに外だけが残念なこの部屋。
それだけで、帝国にとっての自分の価値がわかってしまった。
歴史の古い大国の一の姫をあまり歓迎していないのだろう。
向こうからの申し入れだが、欲しかったのはきっと私ではなく妹の――正確には正真正銘の国王夫妻の娘だったのだろう。
とはいえ、申し入れし姫が輿入れした以上無下にも出来ず、といった具合か。
内心の冷めた感想をおくびにも出さず、私は作られた姫を演じニコニコと笑う。
そんな私に案内していた帝国の女官の眉がやや下がった。
困っているような、憐れんでいるような、そんな表情。どんな扱いをされているのか分かっていない姫に同情が湧いたといった感じだ。
仮にも女官として城に勤めている以上、役目に徹しなくてどうするのだろう。
濃い茶色の髪に同じ色の目をした可愛らしい女官は、自分と同い年かそれよりも少し上だろうに。
「……お気に召していただけて何よりです。
ご挨拶が遅れました。わたくし、リビリア様付きとなりますアウラー・ドリュースと申します。
これよりリビリア様に誠心誠意尽くして参りたいと思っております。よろしくお願いいたします」
「アウラーですね。不慣れな点も多く手を借りることも多いと思いますが、よろしくお願いしますね」
なんと。この女官がこれから私の世話役、いわば自分付きの女官になるらしい。
内心の驚きをおくびにもださず、華やかになるよう心掛けた微笑みをアウラーに向ける。自国で培った猫は簡単には剥がれ落ちない自信がある。
この部屋のことをを追及されなかったことに一先ず安心したのか、アウラーは「こちらへどうぞ」と窓近くに設けられた一組の小さな椅子とテーブルを勧めてきた。
近くで見ると、本当に庭なのかと疑いたくなるような庭が目に入ってくる。この時期に見ごろの花は薔薇といったところだろうか。
元々アーチとして設けられていたらしい骨組みに、薔薇の蔓が好き勝手伸び昔の面影は少ない。それでも薔薇が咲いていることから、まるっきり放置された訳ではないのだと知って嬉しく思った。
薔薇は一番好きな花。気高く凛として咲き誇る姿は憧れてしまう。美しくあるために、自身を守る棘を有しているのも気に入っていた。
美しいばかりは好きじゃない。守ってもらうだけの存在には魅力を感じないからだ。
「どうぞおかけください。いま飲み物を用意いたします」
いわれるまま椅子に座り、あらためて外の景色を眺める。ここまで伸び放題だと、少し手を加えたくなるな。
薔薇を整え、あのアーチに沿わせれば随分と魅力的な庭になるはずだ。今は薔薇の季節だが、薔薇が終わったら別の楽しみができるように他の花もあるといい。
庭師に頼めばできるはずだ。とはいえ、ここは皇帝の住まう宮。自分で雇うわけにもいかないので、持ち主である皇帝に頼まなければならない。
(少し気が重くなるが……)
幼いころに一度っきりしか会ったことのない皇帝陛下。あの出会いは、自分の中で宝物になっていた。
あの後、何度もあの庭園に足を運んでは夢ではなかったのだと思い出に浸っていた。そこまで思い出し、軽く頭を振る。
(今思えば本当に純粋だったな、私。乙女すぎて恥ずかしくなる)
手の甲にキスをする行為は尊敬を秘めていると何かの拍子に教育係が言っていた。小説内での描写に、このことを思い出して聞いたために覚えている。
あの場面でどこに尊敬が生まれたのか全くわからない。わからないが、彼の年齢を考えるとあまり深い意味でキスしたわけではないだろう。
たぶん本当にお呪いの意味だったのかもしれない。もう聞くこともないだろう。それに今更聞く気にもならないことだった。
「お待たせいたしました。ここまでの道中お疲れでしょう。疲労回復に効果があるお茶をご用意いたしました」
「リビリア様、お菓子もご用意しましたのでどうぞ」
アウラーに続き、ジルも盛り付けられたお菓子を置く。綺麗に並べられているのはクッキーだろうか。見たこともない何かが練りこまれている。
「これは?」
「それでございますか?それは隣国クルスタロ国の乾燥果実です」
「まあ!クルスタロ国ですか!かの国は年の殆どを雪に閉ざされいると聞いています。なるほど乾燥の文化が発達し、このようになって食されているのですね」
知識として知っている乾燥果実。現物を見るのは初めてだ。
現物とはいっても、すでに別の物と成り果てているそれを見つめつつ、そっと一つ手に取ってみた。
「これはなんて果物かしら?あら甘酸っぱいですわ」
「それはラズベリーでございますね。リンゴもありますのでそちらもどうぞ」
「まあ!種類豊富ですわね」
「……隣国と貿易が盛んでありますから」
私の驚きにアウラーは一瞬躊躇する素振りを見せ、次には何事もなかったように言った。その一瞬の隙が命取りだというのに、この女官は少し未熟な面があるようだ。
若いことから、女官になってまだそれほど経っていないのかもしれない。この部屋同様、一国の姫のために用意したにしては扱いが雑過ぎた。
(露骨にされるよりいいか。地味だが……)
地味に雑。それでも一国の姫を一応は敬う形に見せたのは評価しよう。
これで北向きの小さな小部屋、女官なしなどで出迎えられていたら、来て早々に特大の猫が剥がれ落ちていた。これでも王女である矜持は持ち合わせている。
あとは、ここの管理者である女官長と対面した時に考えよう。皇帝のことは考えることを放棄する。
今ここであれこれ考えていても、結局は顔を合わせるしかないのだ。その時に対応すればいい。
「貿易が盛んなのは良いことですわ。歩み寄りは大事ですもの」
「ありがとうございます」
私の言葉にアウラーは小さく礼を述べる程度に留めた。
暗に私が意外とこの国を含めて近隣諸国との情勢を知っていると匂わせてみたが、反応はいまいち。分かっているのかいないのか判断がつかない。
今は彼女のことを信用できるか様子見だ。信用に値できるとわかったら猫を剥ごうか。ずっとここにいるのなら、自室くらいはのびのびいたい。
「後ほど女官長がご挨拶に参るかと思います。その時あらためてご説明をさせていただきます」
「ええ。わかりましたわ」
カップに口づけ揚々と頷き返す。
女官長が来てくれるまで寛ぐことにし、私は三枚目のクッキーに手を伸ばした。