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ガタン、と重い音と共に身体が浮く。どうやら少々うたた寝をしてしまったようだ。
身体を動かしてみればあちこちが痛んだ。
「あら?リビリア様、お目覚めですか」
「ん。懐かしい夢をみてた気がする。うぅ!ジル、どのくらい進んだんだ?」
「ディトリ山に差し掛かったあたりです。山越えはこれからになります」
「まだまだじゃないか…」
国を出て二日目だし仕方ないか。
馬車の窓を見ながら、肩や首を動かし凝りを解していく。隣では私付きの侍女のジルが苦笑いしながら髪をすき始めていた。
寝ていたときに乱れたのかもしれない。
兄と妹の希望で揃える程度しか切ったことのない髪は、膝まであり邪魔なことこの上ないが、どうしようもないので諦めている。
度々ジルに切るよう命じるが、王子と二の姫の命があるからと切ってもらえない。そればかりか、ジルも切ることに消極的に思えた。
こんなのになんの価値を見いだし、切ることを止めるのか私にはさっぱり分からない。私にとっては、ただの――――。
「やっぱり邪魔くさいな。兄上もサラもいないんだし、切っても構わないだろ?」
「ダメです!こんなに艶やかで手触りがいいのにもったいない!」
「だからと言ってこの長さは異常だと思うぞ。それに黒は不吉だと」
「リビリア様!」
私の言葉を遮りジルが険しい顔で名を呼ぶ。
少し癖のある赤毛を一纏めにしてある横顔に、しまったと肩を竦めた。
なぜか彼女はこの髪を気に入っているらしく、貶すような言葉を紡ぐと酷く怒る。私より一つだけ年上なのけなのに迫力があるのが怖い。
後宮の女官たちの荒波にも敗けずにぶつかっていった結果、こんな性格になってしまった。
そもそもの原因は私だから少し申し訳ない。特に彼女のご両親には謝っても謝り切れない。
「わたしはリビリア様の髪大好きです。髪だけじゃない、瞳だって大好きです。
キラキラしてて、まるで黒曜石みたいじゃないですか」
「……ありがとう」
誰かに好きだと言ってもらえるだけで嬉しい。「あの日」から側にいるジルに言われるとさらに嬉しい。
小さく笑うとジルも笑った。
器用に髪を編み込み纏めていく彼女の手元を見やり、白い手から黒い髪が芸術に変わるのを不思議に思いながら視線を外にやる。
それでもやっぱりこの色はあまり好きでないんだ。と心の中で呟いた。
これから行くナタティア帝国はディトリ山脈を越えた北の大国。
アリベリス国と比べると僅かに国土は広い。しかし歴史は浅く、幾度かの戦によって敗れた国々が一つに纏まって出来た国だ。
軍事力は強いが、北と西に国が隣接しており度々武力衝突が絶えない土地でもあると聞いている。
先代の皇帝が平和条約を結び今は安定しているが、代替わりでまた情勢が不安定になりつつあるらしい。
その皇帝は大変な切れ者で冷酷でもあると耳にした。
(ナタティア帝国…。あの皇子の国……)
山一つ隔てただけで数年前に起こった内乱の話もその後のことも風の便り程度しか入ってこなかった。
いや父王や兄は詳細を知っているだろうが、政に携わらない姫二人の耳に血生臭い話を聞かせないようにしていたかもしれない。
(元気だろうか。覚えて……いるだろうか)
あの月明りのなかで出会った人。そっと瞼を伏せ、記憶のなかの少年を思い出す。
あの優し気な眼差しで見てくれるだろうか。それとも、忘れたと冷たい目で見られてしまうのだろうか。
ツキン、と胸が痛む。私は知らずあの触れ合っていた手を握り締めていた。
国を出発して5日目にナタティア帝国の領土にはいった。あと半日すれば城につくだろう。
この5日間馬車に揺られてあちこち身体が痛む。しかもお尻が一番ひどい。
「山越えがこんなに酷いとは思いませんでした…」
「私もだ。尻擦りむけてなきゃいいんだが」
「もう!リビリア様。仮にも王女様なんですから、皇帝様の前ではそんな言葉使わないでくださいね」
「……わかってる」
国を出るとき兄たちからも口を酸っぱくさせ、それこそ耳にタコが出来るくらい言われた。
「皇帝の前では猫を被るし心配するな」
特大の猫を被ってやるさ。
私は「人質」なんだ。国のためにも無益な争いは避けたい。
山一つ隔てているお陰で直接的な侵略はないが、昔から虎視眈々と我が国を狙っていたのは知っている。
南と東に海、北には山、西には深い森が存在する我が国は資源豊かで他国との交易も盛んだ。
民も温厚な者たちが多く、おおらかな性格のために来るもの拒まず…いや、むしろ常にお待ちしています状態。
海から攻める国はなく、山や森に阻まれ侵略できない立地でもある。そのお陰で長く争いがない平和な国。
大陸の歴史を見てもこれだけ長く続いている国は少ない。
しかし近年、軍馬を改良し調教する術が発展したり、強固な造りの船の開発や武器の開発が進み安穏ともしていられなくなってきていた。
長らく争いがなかったために軍事力は自己防衛程にしかない我が国にとってそれは由々しき事態。
どこかに頼らなければいざと言うとき国は呆気なく潰されてしまう。
だからこの誘いは正直に言ってありがたいものなのだ。
王女である私を切り捨てることは難しい。ゆえに私がいる限り我が国はナタティア帝国の後ろ楯を得たとして他の国から攻めこまれる心配が少なくなる。
相手とて歴史が浅いだけで見下す連中に知らしめる意味を持つのだ。互いの利害の一致。
だから私は争いにならないようにするだけ。
そして不利益になりそうな情報を集めるだけ。
恐らく他国や国内からも側室を迎えるだろうし、我が国のために精々姫君から情報を搾取してやろう。
国を守るためならば何でもしてやる。
兄上とサラのために。顔は知らないが陽気で朗らかな民たちのために。
「リビリア様、城が見えてきました」
ジルの声に窓の外に目を向ける。
堅牢な石造りの城壁から覗く城は、アリベリス国のような雅さはまったくなくまるで牢獄のような重い石造りの建物だった。
(……籠城戦になったとしても耐えられる造りだな)
この砦の城がこれからの私の住みかになるのだ。一瞬寒気が襲い僅かに身を竦ませる。
(挑むところだ)
徐々に姿を現す城を見上げ、私は挑むように睨み付けた。
たとえ私を「人質」として召すのがライニス皇子――いや新皇帝となったライニス皇帝でも私は自国を守る。
このツキツキとした胸の痛みに蓋をし、私は深く息を吸い込んだ。
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