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 人のざわめきが聞こえる。ああ、これは夢だ。

 もう随分と昔の、私がまだ幼かった頃。――まだ庇護下に置かれていた力ない自分。





 教会の鐘が晴天の空の下に鳴り響く。すすり泣く人の声、在りし日の思い出を語りあう人の声。

 その中に紛れ権力を握ろうとするタヌキたちの取引や、次の寵愛を得ようとする蝶たちの水面下での攻防も嫌がおうにも耳に入ってくる。

 私は意識的に耳を塞ぎ、棺の中で安らかに眠る王妃であり、私の養母を見つめ祈っていた。

 もともと体があまり丈夫ではなかった。だから第二王女を身ごもり、出産出来たのは奇跡に等しい。しかし養母は王女を産むとそのまま儚く散ってしまった。

 銀の髪を緩く纏め、灰色の瞳をした美しい人だった。

 「かあさま」と呼ぶとその灰色の瞳に優しい色をのせ、優しく目を細め微笑んでいた姿を思い浮かぶ。それでも涙を流すことはできなかった。自分の出自ゆえに。

 弱った姿を見せたら最後、父の三人の側妃たちの餌食になると幼いなり気がついていた。

 このころの私は知らなかったが、三人の側妃は国の事情で妃に召し上げたが、最初の渡り以外通うこともない側妃たちだったらしい。

 それゆえに、出自のしれない他の国からきたと思われる四人目の側妃から生まれた私は、彼女たちの嫉妬に火をつけ疎まれていた。

 父は――王は王妃を愛していた。実母は通過儀礼の最初の渡りの際に私を身ごもったに過ぎなかったが、それでも子供が出来たことは許せなかったのだろう。

 その嫉妬心は出産後、産後の肥立ちが悪く亡くなった実母から娘の私に向けられた。

 まだ産まれてまもない私を、彼女たちから守ったのが実母を可愛がっていた王妃――つまり養母だった。血のつながりはないけれど、それでも私の唯一の『母』。

 棺の中で眠る養母の冷えた頬に触れ、心が凍った気がした。



 アリベリス国の正妃の国葬は、様々な人の思いをのせ表面上は何事もなくしめやかに終わった。






 その夜、葬儀のため訪れていた各国の来賓をもてなすために細やかながら――とは言うものの、国力を見せつける意味もあり煌びやかだ――パーティがもようされた。

 大小様々な国が存在する大陸の中でも歴史が古く、国土もそれなりにある大国の一つゆえに訪れている来賓の数は桁が違う。

 私は見たことがなかったが、通常のパーティーではこれ以上に煌びやかで人も溢れかえていると、私を心配して傍についていた義兄が小さな声で教えてくれた。

 しかし今回は正妃崩御の為の集まりだというのに、女性は着飾ることに余念がなく、男性は欲望を隠そうともしない。この中でどれだけの人が養母を偲んでいることやら。

 怒りなのか、悲しみなのか。

 目にした光景があまりにも軽薄で醜い。

 大人の世界は醜いと知っていたのに、私の知る世界は狭かったのだと衝撃を受けつつ、分からない感情に体を震わせながら、私は王族の義務を果たし、早々に広間を後にした。

 悲しいやら、憤りやら、様々な感情が絡み合い来賓との顔合わせの間、笑っていたのかさえ分からない。

 とにかく耐えに耐え、ようやく解放されたことで人気のない場所に行きたかった。






 城の中に小さく造られた庭園の薔薇のアーチを潜り抜け、中央に設置されてある噴水の縁に腰かける。

 月の明かりで仄かに照らされた薔薇は、どことなく幻想的で今ここにいることが夢のような気持にさせた。

 それでもこの指に触れた冷たさは本物で、横たわっていたあの姿は幻ではないと教えてくれる。

 私は震える手を握りしめ、嗚咽をこらえ俯いた。



「……かあさま……」



 この庭園は養母のお気に入りだった。

 何代か前の王が寵妃のために新たに造らせたらしく、花を愛していた寵姫のために様々な植物を植えさせ、さらに歴代の王たちも妃のために花々を増やしていった結果、小さい庭園ながら王宮庭園と間違いそうなほどに立派な庭になっている。

 ちなみに王宮庭園はここの2倍の面積があり、植えられている植物も多種多様だ。手入れもきちんとされているので景観は美しい。

 ただこの庭園と比べるとあそこはただ美しいだけの庭園だった。温かさも、安らぎもあそこは私に与えてくれない。

 私にとってはここが一番馴染み深く、思い出が詰まった場所。養母が優しく微笑みながら一緒に散歩してくれた、幸福の庭園。

 ここならば、奥まった場所ということもあり、誰にも邪魔されず泣くことができる。

 思い出に浸ることが出来る。


「かあさま…っ」


 慣れ親しんだ庭園に来て気が緩んでしまった涙腺が決壊する。ポタポタと滴となり頬を伝う。

 あの灰色の瞳はもう自分を映すことはない。凛とした態度で叱られることも、全てを包み込むような笑みを向けてくることもない。

 耳に心地好い優しい声で「姫」と呼ぶこともない。


「かあさま……わたし、ひとりぼっち……」


 父王と正妃の間には5歳年の離れた異母兄と産まれたばかりの異母妹がいるが、兄は父のもとで政を学び始めているためいつも一緒にはいられない。

 妹に至っては産まれたばかりということで、暫くは乳母が面倒を見るだろう。それに乳児との意志疎通は難しい。

 実の兄のように、実の母のように慕っていた人たちと離され、これからこの悪鬼巣窟の後宮で生きていかなければならないことに不安と恐怖が増した。

幸いと言うべきか、父王は正妃との間に二人、側妃で私の産みの母との間に私を作った以外子はいない。

 兄がいる以上権力争いに巻き込まれることはないが、庇護者がいない中、私を嫌っている側妃たちの中に混じるのは怖かった。

 今となっては唯一頼ることの出来る父王も、私を腫れ物扱いするので頼れない。

 どれだけ養母が守ってくれていたのか痛感する毎日を送るのだろう。


「うぅ…ヒック……っ」

「誰かそこにいるのか?すまない、道に迷って―――」


 止まらない涙を流し、身体を震わせていると耳慣れない声がかけられた。まだ年若い男の声にビクリと身体を強張らせる。

 恐る恐る顔を上げると、そこには薔薇園から僅かに身を現した少年が佇んでいた。

 養母と同じ銀の髪が月明かりを弾き輝いている。瞳は闇に染まり本来の色は分からないが恐らく蒼。身成も上物を身につけていることから、おそらく賓客の一人。

 薄明りの中、互いに目を合わせ見つめあう。

 そこで私ははっと体を強張らせた。来賓をほったらかしにして泣いている所を他でもないその客に見られた。

 本来は客がいなくなってから泣くべきなのだ。そのくらいの分別はつく歳だ。

 私は慌てて涙を拭い出来るだけ優雅に見えるよう立ち上がった。


「おみぐるしいところをお見せしまして、しつれいしました。お客さまでいらっしゃいますね。

ここは王宮から離れた王族の庭になります。広間はこの先を抜けたところにあります。どうぞ――」

「……死神……」

「え?」


 今なんと言った。空耳ではないのかと問うように見上げる。

 よく見ると少年は自分より随分と年上のようだった。背丈も倍近くあり、月明かりのなか端整な容姿を晒していた。


「……死神でも泣くものなんだな」

「し、しにがみ…」


 初対面。しかも年も儚いような女、幼女に向かってなんという暴言。しかもこ の国のれっきとした王女に向かって。

 私は絶句しつつも自尊心を傷つけられギッと相手を睨んだ。客だ、年上だ、王族の威厳など頭から吹っ飛んでいたのだ。今思えば幼いゆえだったと思う。

 今ならば微笑みでうまくかわしてやれるというのに。


「そんなに睨むな。こんな日に死神に会うなど面白いものだ。

いや……たしかこの国には黒薔薇のお伽噺があったか。死神と精霊、どちらでも構わないが、まさかこの目で見れるとは思わなかったな」

「……」


 無礼を咎めるでもなく少年は薄く笑み、この国の誰もが知っているのお伽噺を口にした。

 ここを建国した当時から語り継がている物語はもちろん知っている。


 建国の王に恋をした黒薔薇の精は人になり王の住まう王宮で働きだした。

 黒い髪に黒い瞳の異国風の精霊に王は一目で恋に落ちた。

 しかし王には王妃がおり、嫉妬した王妃は精霊を虐げやがて精霊を死に追いやってしまう。

 精霊の骸を抱き締め嘆く王の腕の中で精霊は人から元の黒薔薇に戻った。王は愛する女性が薔薇の精霊だと知り、もう奇跡は起きないのだと知った。

 以来黒い薔薇を始め様々な薔薇を庭に植え、精霊を想いながら彼女と同じ薔薇たちを愛でながら生涯を閉じたという悲恋物だ。


 どうやら少年は自分をその話の精霊か、はたまた亡霊だと思っているらしい。

 確かに容姿は黒髪黒目で顔立ちも異国風だ。けれどそれは産みの母に似ただけのこと。服を見れば喪のために黒いドレス。

 なるほどと私は泣いていたことも忘れ、思わず納得していた。気づかなかったが全身真っ黒では暗がりなこともあり、死神のように見えたのだろう。

 怒りを忘れ納得していると頭上から影が落ちてきた。


「目が赤い」

「わっ」


 何だろうと見上げた顔に少年の手が伸びる。

 声をあげた私を見下ろし少年は目尻に浮かんでいた涙を乱暴に拭ってきた。


「闇に紛れ一人で泣くより誰かの側にいた方が安心しないか?」

「……だれもわたしといたがりません」

「そうか」


 この人は私のことを知らないのだろうか。黒い姫のことは国内のみならず、他国にも知られていると思っていたが。

 少年の問いに小さく左右に首を振るう。すると少年はただ短い頷きだけを返してきた。

 一体なにがしたいのだろう。

 不思議に思いながら見ているとまた目が合った。蒼だろうという予想は当たっていたようで、優しい蒼い双眸が間近にあった。

 その顔は幼いない私でも、思わず見惚れるほど整っている。


「死神や聖霊でも温かいんだな」

「……」


 また言った。

 どうやら少年は本当にアリベリス国の一の姫の容貌を知らないらしい。有名なはずなのに。

 もしかして、本当に死神か精霊の(たぐ)いだと信じこんでいるのだろうか。


「冷たいほうがいいですか?」

「温かいほうがいい」

「そう、ですか」


 無言が続く。何を言うべきか迷っている私を尻目に、少年は髪を撫で始めてきた。

 さっきの乱暴さはなく、ひどく優しい手つきに驚く。まるで慰めているようで目を瞬かせされるがままだ。

 そのまま暫く呆然としていた私は、ハッと正気に戻り少年に声をかけた。


「お客さま。出口をさがしておいでではなかったのですか?」

「ああ、そういえばそうだな。……お前が気になって忘れていた。夜でも映える黒など、知らなかったが綺麗なものだな」

「……」


 なんのてらいもなく、少年が口にした言葉を数瞬遅れで理解する。

 幼女を口説いていたと本人は気づいていないようだった。当時の私も、そんなことなど分からなかったが、幼心に恥ずかしいと感じたのは確かだ。

 羞恥で顔を赤くなっていることになど気づかず、少年はなおも髪を撫でていた。


「――――……ぁ!」



 どうするべきか迷う私の耳に、遠くから誰かの声が聞こえてきた。

 どうやら誰かを探しているらしい。


「ああ、アイツが迎えに来たのか」

「お連れさまですか?」

「ああ」

「ではお戻りは左手のアーチからになります」


 少年を見れば、彼は声がした方に睨みをきかせていた。

 苦い顔で今にも舌打ちしそうな気配があり、あまりの形相に私は固まってしまった。


「……あ、すまないな」

「いいえ……」


 そんな私に気がついたのか、少年が困った顔で謝ってくる。どう答えたらよいのか分からず、言葉少なめに頷くしかできなかった。


「潮時か。まあ、涙は止まったようだしいいか」

「……」


 それには触れないで欲しかった。私は羞恥で顔が赤くなったのが分からないよう、うつむくしかない。

 少年はなにが可笑しかったのか、ふっと笑い声をあげ「また泣かないように(まじな)いだ」と、紳士が淑女にするように私の手を持ち上げ軽く口付けを落とした。


「……っ」


 あまりのことに言葉を失う。

 まじない。まじない。これが!?


「手を見て俺を思い出す。これで泣きたいときに一人じゃないだろう?」


 よくわからない理屈だ。思考回路が停止した私はただ呆然としているだけだった。

 今考えると客観的に十代を少しばかり過ぎたくらいの少年が、幼女に対して変質者のような行動をしていたように見えただろ。

 ただその当時は、なにも知らないただの少女。

 初めて家族以外の異性に触れられ、そこからポッと温かくなった気がしたのだ。


「……ニスさま!ライニスさま、どこにおいでですか」


 先程の声の主が近くまで来ているらしい。まだ若い少年の声だ。

 焦った声が目の前の少年の名前を呼ぶ。かなり切羽詰まった声に、思わず捕まれていた手を振りほどき、半歩少年から離れた。


「……お連れさまがかわいそうです。早くお戻りになってはどうですか」

「そうだな」


 顔を伏せ突き放すようにいい放つ。少年は苦笑いでもしたのか、声が震えていた。

 ポンと頭に手が乗せられ、少年が歩きだし横をすり抜ける。ビックリした私は振り返り、少年の後ろ姿を見つめ続けていた。


 後日、その少年の名を知る。彼は北の大国の第二皇子だった。

 北の大国――ナタティア帝国。そこの皇帝の名代として参列したらしい。

 皇帝は体調を崩し、代行を第一皇子していると聞いた。彼はその兄に代わり来たのだ。

 少年の名はライニス。ライニス・ナタティア。

 歳は自分よりも7歳上の12歳。

 少年の正体を知り、私は心の中で繰り返し彼の名を呟いた。彼が触れた手を握り締め、その感情の意味を知らぬまま。





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