森の中で
はぐれないように、手を繋いで森を進む。
道中ソルは「まったくあいつは…」云々となにやらブツブツ言っていたが、どうしてそこまでヘルツを嫌っているのか聞きたいような聞きたくないような。
心配だとも言っていたし、探しに行こうとするあたり言うほど嫌ってはいないのかもしれないが、イオリにはそれを聞く勇気は無かった。
「森ってそんなに危険なんですか?」
「危険だ。心が弱いやつが入ったら特に。さっきも言ったけど、“良くないモノ”は相手を取り込むために心の隙を突いてくる。それに加えて、元住人のやつらは襲いかかってきたりするからな。あの蝶々馬鹿はどっちにしろ大丈夫だと思うが、あんたは注意しとくんだぞ」
「…分かりました」
蝶々馬鹿って。
そこに突っ込むと話が逸れてしまいそうなので言うに言えなかった。
蝶々馬鹿って。
最早名前の原型がない。
しばらく歩き回っていたが、しかしマフラーの端っこすら見つける事が出来ないまま時間が過ぎた。
結構奥まで来たが、ヘルツは一向に見当たらない。
地面に張り巡らされた木の根にイオリが躓きかけた時、ソルは立ち止まった。
手を繋いでいたおかげで完全に転ぶ事はなかったが、流石に慣れない場所で足が疲れてきている。
「どこまで行ったんだあいつ」
「もう戻ってたり、なんて事は」
「…そうかもな。一旦戻ってみるか。ここまで来たらいつ“良くないモノ”が出てきてもおかしくない。悪いけどすぐに戻るぞ」
ソルの手を握る力が少し強くなる。その時、森の奥から小さな声が聞こえた。
「誰かを探しているの?」
「誰だ?」
「ここよ」
茂みの中から現れたのは、ケープを羽織った小さな女の子だった。しかしケープと頭髪を除いて服を含めた全身が黒く、森の暗さに溶け込んでいる。
「お前、まさか“良くないモノ”か?」
「…うん、私は“良くないモノ”。でも他の人達とは少し違うの。私はステラ。貴方達は?」
「私はイオリ」
「…ソルだ。どういう事なんだ?まだ分身の状態のやつならともかく、住人が堕ちた “良くないモノ”にはまともに話せるような自我なんてないはずだろう」
「私がこうして普通にお話できるのはね、このケープのおかげなの」
“良くないモノ”の少女・ステラはよく見せるようにくるりと回った。フード付きの桃色のケープがふわりと浮き上がる。
「これはね、町長さんが私にくれたものなのよ。私はずっと一人ぼっちで、誰かの優しさを欲しがってた。私が“私の良くないモノ”に食べられちゃった時、その場に丁度町長さんがいて、これを私にくれたの。『私がいつでも君の居場所を作ってあげるから、大丈夫だよ』って町長さんが言ってくれたの」
「望みが与えられて、昇華こそしなかったけど完全には堕ちなかったって事か」
「そういう事なの。それでもやっぱり、森からは出られないんだけどね。イオリは、分かった?」
「一応…?」
与えられた知識と情報を頭の中で必死に整理して、イオリもなんとなく理解する。
見た目から分かる通り、彼女は一度自分の“良くないモノ”に取り込まれてしまった。しかし取り込まれてすぐに欲しがってたものを与えられたので、自我を失わずに済んだ、と…。
まとめてみてから、これ結局そのまんまだ、と気付く。あまり上手にまとめられなかった。
新たな用語として「昇華」が出てきたが、「望んだものを与えられると昇華する」という言葉の流れからして、言い換えるとするなら「浄化」とか、そんな感じなのだろうと解釈する。
「それで、ソル達は人を探しているの?」
「あぁ。首にマフラーを巻いてる頭の弱そうな男だ。見なかったか?」
「その人なら見た、見たよ!でもこの先のずっと奥に行っちゃった…。蝶々を追いかけていたみたいだけど」
「なんだって!? どこまで行くつもりなんだあの馬鹿は!」
「なんだかさっきよりヘルツさんを表す言葉が酷くなってきてるような」
「…気のせいじゃないか? さぁ急ごう。もしあいつが自分の“良くないモノ”と出くわしたら大変だ」
「案内してあげようか?」
「いいのか?」
「うん。ただし、条件があります!」
胸を張ってそう告げるステラに、ソルは訝しげに首をかしげた。
「なんだ…?」
「お友達になって!」
随分と可愛らしい条件に目を丸くする。ソルと目を見合わせ、そしてイオリは小さく笑った。
「私達でよければ。いいですよね?」
「……まぁ、うん、いいか。危険はなさそうだし」
「危険なんてないよ!良心的な“良くないモノ”だから」
「それは恐ろしい程の希少種だな」
【ステラ が 仲間に なった!】
ゲームなら、きっとこんなテロップが出ることだろう。
暗い森に少し不安を覚えていたところだったが、元々子供が好きな方であるイオリにとっては癒しとしてとてもありがたい新メンバーだった。
「マフラーの人はこの奥だよ」
ステラを先頭にして森の奥へと進む。最初にソルと出会った空き地の付近と比べると、昼間とは思えないくらいに暗いかった。こんな場所よりももっと奥に、ヘルツはいる。
そういえば、ヘルツが言っていた蝶々とは一体どんなものなのだろうか。
あそこまで惚れ込むのだから、よっぽど美しいのか、それとも蝶自体はそれほどでもなくて、ヘルツの好みに蝶々がどストライクだっただけなのか。
どちらにせよ、どんな蝶なのかは気になる。
と、考えていた矢先に、ヒラリとした何かがイオリの視界に映り込んだ。
足元に咲く彼岸花の赤色に紛れている真っ赤なそれは、よく見れば手の平ほどの大きさの蝶だった。
光の下で見ればそれなりに綺麗に見えるであろう、あまり不快感は感じない赤色なのだが、森の暗がりの下にいるせいかどこか不気味に見えてしまう。
一言で「赤」といっても種類は色々とあるが、その中でも森の下で見る蝶々の赤は、イオリには酷く見覚えのある赤だった。
綺麗な赤じゃない。
黒ずんだような、あの赤は。
――――危ないっ!!
「どうした?」
ソルの声にハッとする。心配そう…かどうかは分からないが、前を歩くソルが伺うようにこちらを見ていた。
「…何でもないです。少し考え事をしてました。それより、今赤い蝶を見かけたんですけど、もしかしてヘルツさんが言ってたのって」
「そうだ、その赤い蝶。何ががそんなにいいのか僕にはさっぱりだ」
「…ソルさん、は、ヘルツさんの事が嫌いなんですか? 扱いが酷いわりには心配してるようなことも言うし」
「あぁ、正直好きじゃない。あいつはどこか、悪い意味で人とは違うような部分がある。それに僕はあいつの心配なんてしてない。探しに来たのは、あんたが不安そうにしてたから仕方なくだ」
「え、でもさっき心配だって」
「僕が心配してるのは…」
「あ、二人とも!いたよ!あそこあそこ!」
ステラが指をさしたその先を、二人は目で追った。そこは今までずっと暗かったのが嘘のように明るくて、一面が真っ赤に染まっている。
木だけがぽっかりと空いた彼岸花畑だ。それに加えて大量の赤い蝶々がそこら中をヒラヒラと舞っている。
目がおかしくなりそうなこの感覚は、最初森へ来る時に感じたものとは比にならなかった。
「…僕が心配してるのは」
赤の中心に、探していた人物が立っている。
何かを喋っているようだがうまく聞き取れない。だがその声は明らかにイラついているようだった。
彼岸花畑に足を踏み入れ、ヘルツに近寄る。
「“ヘルツの良くないモノ”だ」
ソルがヘルツの肩を掴んだ。
とたん、瞠目してヘルツは振り返った。
真っ黒な影を足蹴にしながら。