ヘルツと
ボーイに公園に引きずり込まれ、野球をする事になってから数十分。
ボーイがピッチャー、ヘルツがバッター、イオリは野手としてたった三人でしばらく遊んでいたわけだが、突然ボーイが「あっ!」と声を上げた。
「どしたの?」
「家の手伝いしてって言われてたの忘れてた…」
「あちゃー。俺と遊んでちゃダメじゃない」
「だってヘルツと遊びの約束してたのが先だったんだもん」
「まぁ俺はいつでも遊んであげるから、怒られないうちに早く言っといで。イオリもまた遊んでくれるってさ」
「え?」
「そうでしょ?」
ニコニコと、全く悪気のなさそうな笑顔でヘルツはイオリを見るが、イオリは逆に顔をしかめた。遊ぶのが嫌というわけではない。ただ、この顔は、完全に確信犯の顔だ。ノーとは言わせないと暗に言っている。
ヘルツの言葉に、ボーイがまるで真偽を確かめるようにこちらを見てくる。
…そんな風に見られたら頷くしかないじゃないか。
「…うん。何もする事ないし、また遊んでくれると嬉しいな」
「ホント!? 絶対だよ!」
「約束するよ」
「やったぁ!じゃあ僕手伝いしてくる!」
「いってら~」
「いってらっしゃい」
バットとボールを抱え、帰るというのにボーイは嬉しそうに公園を出ていった。
そんなに遊んでもらえるのが嬉しかったのだろうか。まぁ遊びたい盛りなのだろうし、そういうものなのかもしれない。
丁度、イオリの弟もあのくらいだった。なんだか懐かしい気持ちになって、イオリはボーイが出て行った後もしばし公園の出入り口を眺めていた。
さて、ボーイがいなくなった今、片や彼と遊ぶために公園にいた者、片や彼に連れてこられた者で、たった一つの共通点が無くなってしまった二人の間に気まずい沈黙が訪れる。
いや、イオリが一方的に気まずいと思っているだけで、ヘルツがどう思っているかは分からない。
先ほどの有無を言わせない笑顔を見る限り、どこか食えない感じのある男だ。食おうと思うわけではないが、あまり積極的な性格でないイオリからすると若干苦手なタイプである。
先ほどからじっと、じぃっとガン見されているのは、一体何を訴えているというのか。
「…あの」
「ん? どうかした?」
「そんなに見られると、ちょっと…」
「え、なになに? もしかして照れてる? かぁわい~」
こういう軽いノリが得意ではないイオリにとって、からかい口調の言葉はかなり返答に困る難題であった。
こちらも軽いノリで返せばいいのだろうか?
…無理だ。そんな性格じゃない。
「あはは、そんな困った顔しないでよ。こういうノリは苦手?」
「あんまり…」
「そっかー。ごめんね、俺ってこういう性格だからさ、嫌だったら言ってくれていいよ」
「あ、嫌ってわけでは…。ただ自分の性格がそういうノリと正反対…とまでは言いませんけど」
「うん、まぁ言いたい事は分かったよ。嫌じゃないってんなら良かった」
頬を掻いて、ヘルツは苦笑した。ノリは軽いし、掴み辛いが、悪い人ではないのだろう。
「ねぇ暇なんでしょ? よければ俺がどっか案内してあげようか?」
「いいんですか?」
「いいよいいよ、俺も暇だし」
グッと背伸びをしてから、手を差し出す。最初の時の握手とは違った意味合いだろう。
一人で歩くよりは、誰かがいた方がずっといい。ここはお言葉に甘えよう。
差し出された手にイオリも手を出して、軽く握る。すると手を握ったのが意外だったのか、目を見開いて驚かれた。
「え?」
「あー、そう来るとは思わなかったや。意外と大胆なんだね~。その方が俺としては嬉しいけど」
「え、や、すいません」
「あっ。なぁんだ、残念」
慌てて手を離すと、ヘルツはあーあと肩をすくめた。残念、とは言うが、あまり残念そうには見えない。
イオリはヘルツに眉尻を下げながらも、気を取り直してMr.に貰った地図を見た。
地図の下の方には海が、左上の方には森があるようだ。右上には病院らしき絵が描かれているが、今は用はない。
「何処に行きたい? あ、地図持って………それ、地図だよね?」
「はい、Mr.に貰ったものです」
「…なるほど、理解したよ。でもそれ、Mr.にしては描けてる方だねぇ。普段もっと酷いから」
「そうなんだ…」
二人してMr.お手製の地図を覗き込む。
これで上手く描けている方となると、今度は逆に普段の絵というのを見てみたい気もする。
行くとしたら、海か森のどちらかだろう。なんだか夏休みに出かける場所を選んでいる気分だ。夏休みは森というより山だが。
「じゃあ、森に行きたいです」
「オッケー。森は俺も好きなんだ。早速行こうか」
再びヘルツに手を差し出されたが、今度はそれを握り返す事はしなかった。
「ちぇっ」
「………」