公園の彼ら
空は不思議な天気だった。
昼だとはっきり分かるくらい明るいのに、空は霧掛かっていて太陽がどこにあるのかが分からない。
しかし霧が出ている時特有の、湿気を含んだひんやりとした空気が全く感じられない。
そもそもこんなに明るくて気温もそれなりに暖かいのに、霧が出ているというのはおかしいのだ。
初めて見る天気に、イオリは首をかしげた。
だが今は、天気の事など放っておこう。雨の心配は無さそうだし、今は散歩が先だ。
バス停から役場までの道は、簡単だったので覚えている。
迷子を用心して地図を貰ったが、地図を見る限りではその心配はなさそうだ。
取り敢えず、その辺を歩こう。
役場からの第一歩を踏み出そうとした時、とある第三者がイオリを呼び止めた。いや、この場合は第二者と言うべきか。
「あんた誰?」
その言い方はぶっきらぼうで、警戒している事が声からありありと伝わってくる。
声の方に目を向けると、イオリよりもずいぶん背の低い少年が、イオリの事を見上げていた。
少年は片手にバットを持ち、「Boy」と書かれたキャップを目深く被っていて、口から上の顔がよく見えない。身長の関係上、イオリが少年を見下ろしている形になっているせいでもあるだろう。
目は見えないが、訝しげな視線を送られているのは分かる。
「今日からしばらく役場でお世話になる、イオリです。ついさっきこの町に来たんだよ」
「そうなの!? 新しい住人さん!?」
急に声のトーンが上がる少年にイオリはたじろぐ。
新しい住人が来る事はそんなに喜ぶ事なのだろうか?
いや、自分は住人になる予定はないが。
「新しい住人、ではない、かな」
「なぁんだ。つまんねー」
「でもバスが来るまではここでお世話になるよ。よろしくね」
「もしかして帰るつもりなの? そんな人初めて見た」
少年の知る限り、ここに来た人間は皆この町の住人になっていくようだ。
確かに海も山も近く、自然に囲まれたのどかな場所だとは思う。思うが、どこか寂しさを感じる町だ。
イオリには、あまり定住したいとは思えなかった。定住していく人々は一体何を思ってここに身を置くのだろう。
「ねぇ、イオリはどこ行くの?」
「どこにも。ただ、来たばかりだからその辺を散歩しようと思って」
「じゃあ一緒に公園行こう!これから野球しに行くんだ。二人だけど」
町の客だと分かった途端警戒は解けたようで、少年はイオリの腕をぐいぐいと引いて公園へと引きずっていった。見かけによらずなかなか力が強い。
二人という事は、公園にもう一人いるのだろう。
公園はそう遠くなく、役場からすぐ見える場所にある。
「君の名前は?」
「僕? みんなボーイって呼ぶからボーイでいいよ」
なんだかそのまんまだが、本人がいいと言うのであればよしとしよう。
公園に到着すると、ボーイは手をパッと放して公園の中へと駆けていった。
よっぽと野球が好きなのか、かなり上機嫌だ。
「ヘルツー!お待たせー!」
「おかえりー。もー、野球やるってのにバット忘れるってどういう事?」
友達と言うからには、同い年くらいの子供なのだろう。
そう思って目を向けたが、イオリの予想は大きく外れる事になる。
公園の中心でボーイと会話をする人物、「ヘルツ」と呼ばれたその人は、明らかにボーイより年上で、イオリと同じかそれよりも少し上くらいの年齢の青年だった。
オレンジ色にも見えるほど明るい茶色の短い髪に、目はつり目で、明るく人好きしそうな印象を与える顔。
首にマフラーをしており、そのマフラーは後ろでリボン結びになっている。
「ん? あの人どうしたの?」
「今日この町に来たんだって」
「新しい住人さん?」
「違うよ。そのうち帰るってさ」
「帰る? ふーん、変わってるね」
本人の目の前で何やら好き勝手言われている。
この町に来てから町の外に帰るのは相当変わった事らしい。何故かはよく分からない。
皆定住するから、結果的にそう思われるだけなのか。
「何してんの、早くこっち来なよ!」
「あぁ、うん」
ボーイに呼ばれるがままに公園に入る。
公園にはこの三人以外に人はいないようだった。
ヘルツは物珍しそうな顔でイオリを見ている。
「はい、二人とも自己紹介して!」
楽しそうにその場を仕切るボーイをチラッと見て、先に口を開いたのはヘルツだった。
「どーも初めまして。俺はヘルツ。よろしく!」
そう言って手が差し出されたので、一応握り返しておく。
「イオリです。短い間だけど、よろしく」
「へぇ、ほんとに帰る気なんだ」
「その、さっきボーイにも言われたけど、帰るってそんなに珍しい事なの?」
「まあね。この町に来た人はみんなそのままここに定住するから。俺より古参の奴らはどうか知らないけど、少なくとも俺はこの町に来てから“帰った”っていう人は知らないかなー」
顎に手を当て、思い出すような仕草をするヘルツ。
そんなにか、と肩を落としたくなったが、何がどうあれ自分は帰るのだ。よく考えてみれば肩を落とす必要などどこにもなかった。
「ま、困った時は助けになるから、ここにいる間は存分にこの町を楽しんでくといいよ。何もないけどね」
ケラケラと笑うヘルツに、せっかくだからお言葉に甘えよう、とイオリも笑い返す。
それからまたボーイに腕を引かれ、三人で野球をする事になったのだった。