お隣さん
本当は、あのバスに乗って墓参りに行く途中だった。
自分が幼い頃に亡くなった母と、母が亡くなって数年してから同じ日に交通事故で亡くなってしまった弟。
二人の命日が、時間こそ違えど全く同じ日付だったのは、一体どんな運命だったと言うのだろう。
自宅から少し離れた寺の墓地に二人は埋葬されている。父は先に行き、学校があったイオリは後からバスで向かう予定だった。
しかし結局、着いたのは別の場所。
ごめん、お墓参り、間に合わないや。
携帯は何故か圏外だし公衆電話も見当たらない。
父に連絡が取れないままで、バスを待つ以外に成す術のない状況にイオリがついた溜息は、思ったよりも重いものになった。
…それにしても、暇だ。
まだ日も高いし、せっかくだから散歩でもしてこようか。
バスがいつ来るかも分からない今、どこに何があるだとか、覚えておいても損はないはずだ。
イオリはベッドから飛び降りると、荷物はそのままに部屋を出た。
小さい町と言われたが、慣れない土地では迷子になる可能性もなくはない。
地図があれば貰っておきたいところだ。
まずは役場に行こう。
「…ん?」
部屋を出てすぐ、自分以外の人影が視界に入った。
見ればパジャマの様な服を着た少年とも少女ともつかない子供が、点滴スタンドを支えにしながらゆっくりと歩いている。
それだけならよく病院で見かける様な感じだが、目を引いたのは頭だった。
赤いニット帽を被っている。これはいい。
しかし顔には、大きな一つ目が描かれた布を巻いていて、顔の大半が覆われているせいで口元しか見えない。
…あんな布を巻いて、前は見えるのだろうか。
誰もが思い浮かべるであろう疑問が、当然イオリの脳内にも浮かぶ。
パッと見では性別の判別がしにくい見た目だが、なんとなく、イオリはその子供が女の子であるように思えた。
「こんにちは」
とりあえず声をかけてみる。しかし返答はない。
彼女はゆっくりゆっくりと歩みを進め、隣の2号室の前で足を止めた。
布で目を隠しているとは思えないほどすんなりとドアノブに手をかけ、扉を開ける。
Mr.が「他の宿泊者と顔を合わせる事もあるだろう」と言っていたが、彼女がその「他の宿泊者」のようだ。
「今日から隣でお世話になるイオリです。短い間ですけど、よろしく…」
「……」
「…あ」
イオリが言い終わらないうちに、彼女は部屋の中に入ってしまった。
こちらの声が聞こえていなかったのだろうか。あれだけ見事にスルーされたら流石に凹む。
極度の人見知り…にしては余りにも反応が無さ過ぎる。
一体何なのだろう、とイオリは首をかしげた。
しかし本人があの状態では、今後もまともな会話は望める気がしない。彼女の事はまた後でMr.に聞いてみる事にしよう。
イオリは一階に降りると、中庭を通って再び役場に戻った。
「おやイオリ様、どうしましたか?」
「散歩にでも行こうと思って」
「それはいい!良い気分転換にもなるでしょう」
「はい。それで、地図があればと思ってきたんです」
「地図ですね、少々お待ちください」
棚をガサガサとあさり、Mr.は一枚の紙を差し出した。
それは街の大まかな地図だったが、宿泊申込書同様に手書き、しかも子供が書いた様な地図だった。
「…これですか?」
「これです」
「…えっと」
「…すみません、絵心がないもので……」
まさかとは思ったが、やはりMr.が書いたものだったらしい。
申し訳なさそうにしている彼に何か言うのも忍びないので素直にお礼を言った。
そういえば昔、イオリが小学校低学年の頃だが、絵が下手で気も小さくて、児童に馬鹿にされている先生がいた。地図の下手さ加減が記憶に残る先生の絵にどことなく似ていて、思わず小さく笑ってしまう。
イオリは、その先生と仲がよかった。気が小さい故に完全に舐められてしまっていたが、それとは別にとても優しい先生だったので、他のどの先生よりも懐いていた覚えがあった。
今はもう故人の先生だ。自殺してしまった。何があったのかは、イオリには分からない。
ただ当時受けたショックが、今も心に大きく抉ったような傷跡を残している。
何か思い詰めたような素振りは無かったように思うが、自分がもっと先生と仲良くしていたら、話を聞いてあげていたら、先生は死ななかったかもしれないなどと、幼い頃はよく自分を責めたものだった。
大人が何か悩みを抱えていたとしても、自分より一回りも二回りも年下の子供、しかも教え子の児童なんかに悩み相談など出来るはずがないと、今なら分かるのだが。
閑話休題。
「そういえば、ここに来る前に2号室の方に会いました。あいさつをしたんですが、何も答えてくれなくて…」
「あぁ、ソムナン様に会ったのですね。彼女にはなんの会話も無意味です。なんせずっと眠っておられますからね」
「寝てるのに歩けるんですか?」
「えぇ。睡眠時遊行症というやつです。夢遊病とも。聞いた事はありませんか?」
夢遊病の名なら、聞いた事があった。
簡単に言えば眠っている間に動き回ってしまう病気である。
それから、どうやら「彼女」で合っていたようだ。
名前はソムナン。覚えておこう。
「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」
「お気をつけて。暗くなる前にはお帰りください」
Mr.に見送られ、イオリは意気揚々と役場を出た。
さて、まずはどこに行こう。