ようこそ
『愛してるわ、私の可愛い子』
『この子はもう、飼えないんだ』
『僕が父さんの代わりに守るよ!』
『ありがとう、その言葉があれば先生は頑張れるよ』
『死にたいの』
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ガタリと揺れて、目が覚めた。
そういえば、今はバスに乗っているんだった。
次のバス停が終点である事を告げるアナウンスが車内に響く。
『次は、ヒガン町、ヒガン町。お降りの方は…』
ヒガン町。
初めて聞く名前だ。
まさか乗り過ごしてしまったのだろうか?
焦って、一瞬そんな事を思う。しかしすぐに否定した。
本来の目的地も終点で降りるはずだったから、間違っても乗り過ごすというのはありえないし、何度も確認したので乗り間違えたという事もない。
だが確かに車内の電光掲示板に出ている停留所名は「ヒガン町」だ。
ここは一体どこだろう。
しばらくするとバスはスピードを落とし、やがて停留所に泊まった。
窓から見える看板にも、やはり「ヒガン町」とある。
「お客さん、終点ですよ。降りてください」
「あ、はい」
運転手に急かされ、慌ててバスを降りる。
プシューという音と共に扉が閉まり、バスはさっさと行ってしまった。
どうせ終点だし、車通りも少ないのだから、ここがどこなのか聞けば良かった。
バス停には看板とボロボロのベンチがひとつ置いてあるだけで、どこを探しても時刻表がない。
困った。
しばらく一本道が続いた先に住宅地が見える。
仕方がないが、地元の人に聞いてみるしかないだろう。
歩き出そうとした時、背後から声をかけられた。
「あら珍しい。こんな辺鄙な町にお客さんかしら」
振り向くとそこには、ベビーカーを押す一人の女性が立っていた。
見た目はまだ二十代前半ほどで若く、焦げ茶色の髪にはゆるいパーマがかかっている。
そして恐ろしく見覚えのある、顔。
「どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」
「…いえ、すいません。知人に似ていたもので」
「まあ、そうなの」
女性はくすくすと笑う。
知人どころではない。
その顔は、自分が幼い頃に亡くなった母親にそっくりだった。
「ところで、この町にはどんな用事で来たのかしら?」
笑いの収まった女性が、微笑みながら再び問いかけてくる。
自分の母親もこんな風に笑う人だった。
そんな事を思いつつ、その親切に甘える事にした。
「バスを乗り間違えてしまったみたいで…。次のバスがいつ来るかご存知ですか?」
「あら…、バスで来たのね。けれどごめんなさい。ここのバスがいつ来るかは私も分からないの。時刻表も無いでしょう?」
「…え?」
女性に不思議そうな顔をされ、瞠目する。
「そもそも、この町の人達はバスに乗らないのよ」
「バスが来るのに、ですか?」
「えぇ。バスは外から人を連れて来るだけ。けれど貴方は、いつもと少し違うみたいね」
女性の言葉にますます混乱した。
目的地には今日中に行ってしまいたかったのだが、これでは帰る事すら出来ないではないか。
それに「いつもと違う」とは、一体どういう事なのだろう。
むう、と唸り、困り果てた様子を見かねてか、女性が苦笑しながら住宅地の方を指さした。
「町長さんなら何か知ってるかも知れないわ。いつまでもここにいるのもアレだし、案内するから、行きましょう?」
ベビーカーを押して歩き出した女性のあとを追って、自分も歩き出す。
山と森と海に囲まれた、どこか世界から隔離された様な町。
『ヒガン町』に、今一人の人間が誘われ、足を踏み入れた。
道端に咲く季節はずれの彼岸花が、招かれた客を歓迎するかの様に揺れ、笑った。
―――ようこそ、ヒガンの町へ