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エピローグ

「ミッシェル」

 パスカルは陽気に片手を振って、駅から吐き出される人波を掻き分けながら僕の方へ歩いてきた。

「元気だった? あれ、少し背が伸びたんじゃない?」

 僕はにこにこしながらうなずく。

「人より小さいのは変わりないが」

 遅れてやってきたヴィクトールの口の悪さも相変わらず。

「明後日から先生の個展が始まるのに、こんなにゆっくりしていていいんですか? 準備とかあるんでしょう?」

 僕がそう尋ねると、パスカルは片手を振りながら、軽い調子で大丈夫だと答えた。

「優秀なスタッフ陣が取り仕切ってるし、絵が届くのは午後だから。明日は貸しきりで先生の絵を見せてあげるよ」

 ずっと楽しみにしていた。先生がサナトリウムでどんな絵を描いていたのか。昔の絵も幅広く集められているらしい。ジャンヌさんの出版社では画集も発売される。会場でも売られるはずだ。

「今回は僕が責任持って監修したからロランも文句は言わないと思うよ。前の画集は恩師に頼みこまれてしぶしぶ承諾はしたけど納得はしてなかったからね。出版したことをずいぶん後悔していたよ」

「確かにものすごく嫌そうでした」

 瞬殺で処分しそうになるほど。

「お茶でも飲みに行かないかい? 左上の葡萄があるケーキ店がいいな」

 元修道院だったケーキ店のショーウィンドーの前には、いつもと同じようにきりりとギャルソンエプロンをつけたアルチュールが立っていて、僕たちをにこやかに迎えてくれた。一緒にやって来たヴィクトールに気づいた彼は、先生とあまりによく似ているので一瞬驚いた顔になった。

「彼、先生のいとこなんだ」

 説明すると彼は軽くうなずいた。

「ご案内いたします」

 アルチュールはカウンターから出てきて奥の喫茶席に案内した。注文が運ばれてきて落ち着くと、パスカルが斜め前にある左上の葡萄の絵を懐かしそうにみあげた。

「何年ぶりかなぁ。また見られるとは思わなかったよ。しっかしこんなにしょぼい男だったかねぇ、彼は」

 パスカルの顔は自然と柔らかになる。

「見たことあるんですか?」

 美術大学時代に描いた絵だと先生は言っていた。

「あるどころか最初で最後の共作だよ。僕とロランの」

「もしかして葡萄描いた後輩?」

「なかなかよく描けているだろう? 今もこうやって見られるのは僕のおかげだよ」

 彼が機転をきかせなかったらあの時すでに破られてごみにされていたはずだ。

「えらっそうに。描いたのはロランだろう。せっかくの絵をだいなしにしやがって」

 ヴィクトールは文句を言う。

「あの頃は楽しかったな。作品制作で徹夜なんて言っておきながら実際は酒盛りしてくだまきあったり、気に入らない教授のはげづらを盗み出して正門前の銅像の頭にのせたりして。ごみためみたいなきったない場所にどうにか生息していたけどね」

 夢はあったよと、しみじみ思い出に浸る。

「ヴィクトールに聞いたよ。来月からパティシエの修業に行くんだって?」

 ケーキ店で見習いとして働くことになるのでアレックスの店はやめることになるが、決心を告げると彼女が一番喜んでくれた。

「紅茶のことももっと勉強して、将来的には自分の店を持ちたいんです。どれだけ時間がかかるかわかりませんが」

 気恥ずかしくなって、僕は両手で紅茶のカップを抱えた。

 店には花を飾ろう。春には黄色いミモザ。夏には赤いベルガモットを。庭にはハーブを植えよう。色とりどりの。そしておいしい紅茶と甘いお菓子を出すんだ。口にした人がやさしい気持ちになれるような。もう目には見えないけど、そよ風と一緒にやって来た先生が、うれしそうに目を細める顔が思い浮かべられる店を。

「楽しみだね。開店する時は必ず行くよ」

 パスカルはささやかな夢を笑いもせずうなずいてくれる。

 たっぷりの砂糖とミルクは勘弁して欲しいけどね。僕は心の中で苦笑した。 


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