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子犬

 昼になっても胃が重くて目の前に並べられた昼食をもてあましていると、裏口の前で鳴いている子犬のか細い鳴き声に気がついた。ドアを開けると、茶色のふわふわの毛をした小さな子犬が二匹、ものほしそうに僕を見あげた。

「お前たちいったいどこの子だい?」

 アレックスはカウンターで客の相手をしている。

 僕は昼食をこっそりボールに移し変えて、子犬たちに与えた。

 アレックスが心配するのでどうにか食べようと頑張ってみた。でも、そうしようと思えば思うほど胃がむかついて気持ちが悪くなった。夕食も作っている時点で怪しくなり、風邪ぎみだからと言い訳して食事の前に帰った。次の日も同じような調子でほとんど口にしなかった。不思議なことに体を動かして働くのがやけに楽しくて、いつも以上に走りまわった。店で出す料理を調理する時はまるで平気なのに、自分の分の食事だと思った瞬間、匂いをかいだだけで吐き気がする。さすがにおかしいと思った。でも、気分はやたらとハイで仕事に支障が出なかったので、アレックスに気がつかれずに食事を取らない方法がないかとそればかり考えていた。夕食は川から助けてくれた命の恩人と約束しているとでも言おう。そのあとうまくいって入浸っていることにすればしばらく言い訳せずにすむ。昼食は子犬の兄弟が助けてくれる。どうやら昼の立ち寄り場所に決めてくれたようだ。アレックスの目を誤魔化すことばかり考えている自分が情けなくて仕方なかった。でも、罪悪感を抱きながらやめることができなかった。

「ねえ、一度新しい彼氏連れてきなさいよ。どんな人か会ってみたいわ」

 アレックスはうそだとも知らずにそのことを喜んでくれた。

「そのうちね」

 僕は陽気に手を振って店を出る。

 言い訳を疑わせないために、相変わらず歩いていた。寒さはどんどん厳しくなる。下手に近所の店に入ったりしたら、アレックスの耳に入ってしまう。真夜中近くまでさんざん歩いて帰ってきても、疲れているはずなのによく眠れなかった。闇の中で研ぎ澄まされた聴覚は、針が床に落ちる音さえ聞き分けられそうだ。

 

「あなた顔色が悪すぎよ」

 何日目かにアレックスに言われた。僕は内心どきりとしながら、彼が毎日夜中まで、僕を放してくれないんだとおどけてみせた。

 店の中を走りまわって仕事をする元気がどこから出てくるのか、自分でも不思議だった。空腹で動けなくなる限界は経験上知っている。どうにか鳥のえさほどの量を口の中に無理矢理詰めこんで、えさをもらおうとねだりに来た子犬たちに分け与えた。

「僕はすごく助かるけど、別のおなじみさんも作っておかなきゃだめだぞ。僕がいない時、食いっぱぐれるだろう?」

 二匹の子犬は僕の呟きなど無視して、夢中でボールの中身をがっついている。生きることに従順なその単純さが、僕はうらやましかった。

「えらいな、お前たちは」

 かがみこんで、じっと犬たちの食事をながめた。

 子犬たちは食事が終わると名残惜しそうに空になったボールの中を眺め、満足そうにあくびした。

「おいしかったか? よかったな」

 ぼくは近くにいたほうの子犬にそっと手をのばした。食事分のサービスなのか、おとなしくなでさせてくれる。もう一匹の方も、順番を待つように近寄ってきた。僕は人懐っこい黒い瞳の優しさと柔らかな毛並みの感触を存分に味わって、子犬たちから手を放した。

「じゃあまたな」

 その言葉が合図だったかのように、子犬たちは勢いよく走り去っていった。

 僕は和やかな気持ちになりながら、膝に手をあて立ちあがった。

 その瞬間、目の前が暗くなった。立ちくらみかとかまわず歩き出すと、がくんと視界が下がり膝をついた。そのまま体を支えられず、前のめりに手をついて地面に倒れた。視界が狭まり、最後は針の穴ほどの小ささになって真っ暗になった。


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