火事で死んだ弟とドクターとの約束
調子のいい画商パスカルの登場です。
食えないお人ですが、画家先生の一番の理解者。
気になるお話もちらりと出てきます。
「何をしている」
先生は、雑草が生えた庭におりて中腰になっている僕の姿を不審げに眺めやった。
座った膝の上にはスケッチブックが広げられている。
「すっかり野生化してるけど、やっぱりここってハーブ畑みたいですよ。さっき庭に降りた時に、そうじゃないかなって思ったんだ」
見間違えようのないローズマリーの枝が、雑草の間から顔を出している。
「このあたり手を入れてもいいですか?」
思いがけないお宝を発見してしまった。
「好きにしろ」
先生は興味なさそうにそっけない返事を返した。
視線をあげてまわりを見渡せば、ミモザやローリエ、ジャスミンが植えられている。もっと探索を続ければ、いろいろみつけられそうだ。
新しい家政婦さんは、いまだにやって来る気配がなかった。もしかした業界内のブラックリストにのってしまったのかもしれない。先生と付き合う時間が長くなったおかげで行動パターンがわかってきて、気難しい先生の性格もそれほど苦にならないようになった。神経質な細かい指示も、頭に入ってしまえば逆に動きやすい。目のはれはすっかり引いて目立たなくなったが、モデルの仕事はまともにやっていない。考えてみれば、僕がこの仕事を引き受けてから一度も絵筆を持っているのを見たことがなかった。主に油絵を描いていると聞いていたが、アトリエに完成した絵は一枚もなく、いつもスケッチブックを広げてデッサンをするだけだ。僕は先生がどんな絵を描いているかどころか名前も知らない。はじめて会った時に名前を聞いたら画家先生で十分だろうと真顔で言われて、そうかもしれないなと納得してしまった。もしかしたら僕の名前もまともに覚えていないかもしれない。先生は一歩も敷地の外には出ず、外界との接点は電話だけ。唯一やってくるのは画商のパスカルくらいで、完全な引きこもり生活を送っていた。
道を歩いている僕にモデルをしないかと声をかけてきたのは、画商のパスカルだ。いっこうに絵を描かない先生にどうすれば描いてくれるかとしつこく聞いたところ、モデルがいないからと答えたらしい。亜麻色の髪に空色の目をした色の白いほっそりとした子。先生の注文に僕がぴったりだったわけだ。そのまま見ず知らずの人間についていったわけだから、いまさら怪しいと身構える気にもならなかった。まあ、画家のくせに一枚も絵を描かず、どうやって生活してるのかとは思うけど。
「先生―っ」
にぎやかな声が近寄ってきて、背の低い小太りな男が姿を現した。画商のパスカルだ。
「ああ、ここにいたんですか。どうです?新作への意気こみは」
「まるでわかん」
先生はむすりと答えてスケッチブックを閉じた。
「言われたとおり、ちゃんとモデルだって連れてきたでしょう。亜麻色の髪に空色の目をした色の白いほっそりした子。まさか、また短気起こして・・・」
「そこにいる」
先生は面倒くさそうに、庭でハーブを摘んでいる僕を指差した。
「あっどうも」
パスカルと目が合って会釈する。
「どうひいき目に見てもモデルをしているようには見えないけど?」
「どっちかっていうと家政婦の仕事ですね」
「何をさせているんですか」
パスカルは先生にくってかかった。
「家政婦がまだみつからないんだ。こいつはモデルのくせに目をはらしてやってくるような間抜けだぞ。そっちの方がずっと使える」
あっひどい。
「じゃあ新しいモデル探してきますよ。とにかく描いてくださいって」
「なんでお前は人の顔を見るたび、壊れたレコードのように同じことばかり繰り返す?」
「僕は画商ですよ。ものがなければ商売にならない」
「実家にあった古い絵を売って、ずいぶん儲かったんじゃないのか?」
「おかげさまで。でもあれはあれです。僕は先生の新作が買いたいんです。いいかげん立ち直ってもいい頃でしょう。火事で死んだクラウスだってそれを望んでいるはずです。あの火の中で、あなたの絵を守ろうとして・・・」
画家先生はじろりと目の前の小太りな画商を睨みつけた。
「お前は何をしに来たんだ」
返事いかんではたたき出すと言いたげな口調に、パスカルは本来の要件を思い出した。
「先生ここの住所ですけど、家族くらいには教えてもいいでしょう?どこにいるんだととにかくしつこく聞かれて困ってるんです。とくにあの、先生にそっくりないとこ君ですよ。死んでも話さないといったら僕をその場で絞め殺してあの世まで追ってきそうな勢いで」
画商はそのいとこに抵抗して、少々痛い目にあったのだろう。
「クートはひたむきで優しい子だからね。ここの場所がわかったら必ず追いかけてくる。そうなったらせっかく手に入れた静かな暮らしがだいなしだ。彼には特に一言も漏らすな」
「そんなあ。無理ですってこれ以上」
画商は今にも泣き出しそうな顔で、画家先生を見た。
「それじゃあ新作は一枚もかけないな」
うっと詰まって画商は黙りこむ。
「用はそれだけか?」
先生はスケッチブックを胸に抱いて腕を組んだ。
「ドクターから書類を預かってきました。このまま約束が守れないようなら・・・」
「おい。俺の部屋にお茶を持ってこい」
先生は庭先で突っ立っている僕に怒鳴った。
「僕は紅茶よりもコーヒーの方が好きなんですがね」
歩き出した先生の後を追いながら、画商は自分の好みを主張する。
「そんなもので紅茶の香りを邪魔されてたまるか」
先生は足さえ止めずに却下した。
ドクターとの約束って、どこか悪いんだろうか。僕はお茶を入れるためにキッチンへ向かう。火事で誰か死んだ?先生に関する謎がさらに深まったが、これ以上僕に詮索されたくないから場所を変えたのだろう。うまくやりたければ首を突っこまないほうがいい。




