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助けてくれたのは

 自然とまぶたが開いた。僕は自分が目を覚ましたことに驚いていた。やけに頭が重い。

 しばらくそのままぼんやりした後、身を起こして自分が見慣れぬ部屋のベッドにいることに気がついた。いつもと違う肌触りに自分が着ている服をみおろすと、僕のものではない大きすぎるパジャマを着ている。慌てて記憶をたどってみたが、かなり酔っ払っていたらしいということ以外は何も思い出せなかった。

「よかったぁー。目、覚めたんだ」

 声がした方に目を向けると、そこにいたのは画商のパスカルだった。

「どうして?」

 神出鬼没にもほどがある。

「昨日のこと覚えてないの? ずいぶん衝撃的な出来事だったけど」

 そう問われてもまるで思い出せなかった。いったい僕は何をやらかしたんですか。そんな前振りされると、とっても聞くのが恐ろしいんですけど。

「君、橋の上から川に落ちたんだよ」

 塞ぎかけた僕の耳にパスカルの言葉が飛びこんでくる。

「川に?」

 そういえばそんな気が。

「やっぱり相当ショックだったんだ」

 自分がロランの死を告げたせいかと、さすがのパスカルも落ちこんでいるらしい。世をはかなんで飛びこんだとか思われているのだろうか。

「けしてあなたが今思っているようなわけじゃ」

 僕は手を振って、彼の考えを否定した。 

「じゃあなんでまた」

 パスカルに尋ねられて、僕は残った記憶を整理する。

「ただ・・・そう。画集で見た先生の絵を思い出して真似してみたくなったんです」

「もしかして欄干を歩く男?」

 絵の話になるととたんにパスカルの目が明るくなる。

「題名は覚えていませんがそんな絵です。酔っ払ってたんで後先考えずつい」

「そんなくだらない理由で俺は、冷えきった雪のちらつく夜の川に飛びこんだのか?」

 パスカルとは別の場所から聞こえてきた声に、僕はびくりと飛びあがった。パジャマの上にバスローブを着た背の高い男が、後ろ向きに置かれたソファのひじ置きに半身をもたれさせ、僕を振り返っていた。先生のいとこのヴィクトールだ。

「なんだ。その幽霊にでも会ったような顔は」

 気持ち的にはまさにそれだ。僕は顔に手をあて表情を引き締めた。

「もしかしたらあなたが助けてくれたんですか?」

「だったら悪いか」

 ヴィクトールは不機嫌そうにうなる。

「悪くはないですけどものすごく意外で」

 思わず本音が出てしまう。

「ああそうさ」

 ヴィクトールは突然逆切れた。

「できればおもりの一つでも投げこんで、確実に川底に沈めたかったさ。だけど目の前で死なれたらさすがに寝覚めが悪すぎる。あいにくまわりには誰もいなかった。それでやもえなく仕方なしにだ。好きで助けたわけじゃない!」

 よりにもよってなんで俺の目の前で川に落ちたりするんだと、口の中でぶつぶつと愚痴る。

「ヴィクトールはそんなところでいったい何してたの? 君が居候しているおばさんのお屋敷は、まるで反対方向だよね」

 パスカルは無邪気に聞いてた。

「散歩だよ」

 むすりとヴィクトールは答える。

「へーぇあんな天候の日にわざわざ?」

 パスカルは意味ありげな視線を彼に向けた。彼は堅く口を閉じて、向こうを向いてしまう。

「まあいいけどね。ちょうど寝入ったところをたたき起こされて濡れ鼠になってる二人を見た時は本当に驚いたよ。おまけにミッシェルは気を失ってぐったりしてるしさぁ。ヴィクトールが殺人事件の証拠隠滅に手を貸せっておしかけて来たんじゃないかって正直思ったよ」

あの橋の近くにパスカルは住んでいるのだろう。

「すみません。ご迷惑おかけしました」

 僕はパスカルに頭を下げた。

「おい。まず頭をさげるのは命助けた俺だろう? あのままほっといたら確実にお前死んでたぞ」

「それじゃとりあえず、ありがとうございました」

「どうして目をそらして礼を言うんだ」

「いや、なんとなく目を合わせたくない雰囲気が漂っていて」

 いちいち睨みつけるのはやめて欲しい。

「わかるなあ、その気持ち。なんだか呪われそうって言うか憑かれそうな感じするもんね」

「俺は自縛霊か!」

 ヴィクトールはサイドテーブルの上にあった灰皿をパスカルに投げつけた。パスカルは小太りな体型からは予想できない軽やかさでそれをかわし、何ごともなかったように口を開いた。

「ね、今日は仕事に行くの? 休むなら連絡入れておこうか?」

 そう言われて僕ははっとした。

「今何時です?」

 僕はいきなり現実に引き戻されて、ベッドから飛び降りる。

「えーっと。十時五分」

 パスカルは上着のポケットから懐中時計を取り出して覗きこんだ。

「まずい」

 いつもならとっくの昔に店に入っている時間だ。

「僕の服はどこです?」

 こんな格好じゃ外を歩けない。

「仕事行くの?」

「行きますよ。電話貸して下さい。アレックス心配してる」

 あわあわしながら僕は頼んだ。

「それだけ元気なら大丈夫か。電話は隣の部屋にあるよ。服は、乾いたかな」

 パスカルは疑わしそうに首を傾けながら部屋を出て行った。

 僕は大慌てで隣の部屋に駆こみ店に電話する。

「あなたいったいどこにいるのよ」

 鼓膜が痛くなるほどの大声。

「ごめんなさい、今目が覚めて。大急ぎでそっちに行くから」

「もしかして男の所?」

 まあ確かに、男しかいなさそうな家だけど。

「心配して死体保管所にまで問い合わせした私が馬鹿みたいじゃないの。だったらとっとと仕事に来なさい! 遅れた分こき使ってやるんだから」

 電話口で逆切れするほどものすごく不機嫌。

「アレックスが想像しているようなことはなかったよ。酔って川に落ちただけ」

「川に? いったい何してたの!」

「詳しい話は店でするよ。じゃあね」

 僕は受話器を置いて息を吐き出した。

「ミッシェル。やっぱり服乾いてなかったよ。アイロンあてて何とかしておくから。その間食事でもして」

「食事はいいのでよければシャワーを貸してください」

「好きに使ってくれていい。ヴィクトール案内して」

「何で俺が」

 ヴィクトールの眉間にしわが寄った。

「君がアイロンかけたらシャツに焦げ目ができるだろう。ほら、行ってこーい」

 パスカルはそう言いながら物を投げるしぐさをした。

「俺は犬か!」

 ヴィクトールは怒鳴ったが、案内には立ってくれる。

 シャワーをすませて浴室を出ると、アイロンで無理矢理乾かされてぱりぱりになった服一式が、ハンガーにかけられて置かれていた。

 車で送ってくれるというパスカルの好意を素直に受けて、アレックスの店に駆けつける。車を降りると同時に、アレックスが店から出てきた。

「ミッシェル!」

 僕を力いっぱい抱きしめて、両手を肩に置いた。

「怪我は? 大丈夫なの?」

 すばやく視線を走らせ確認する。

「心配したんだから。昨日昔の男とばったり会ってもめたって言ってたでしょう? 様子が変だったし、胃の調子が悪いからって夕食を食べずに帰ったから部屋まで様子を見に行ったのよ。そしたらあなたいないじゃない。おまけに時間になっても仕事に来ないし。やっと連絡がきたと思ったら、川に落ちたって情報だけできっちゃうんだもん。どれだけ気をもませればいいのよ」

ヴィクトールに殴られて店に戻ったあと、まるで覚えていないがどうにか言いつくろっていたようだ。

 僕たちは店に入って、昨夜のことを根掘り葉掘り聞かれた。酒を飲んで橋の欄干を歩いているうちに川に落ちたことを素直に説明する。しかし、先生が死んだことは口にできなかった。アレックスはどうして酒を飲む気になったのか気にしたが、寒くて眠れなかったからだと笑いの中に誤魔化した。

 その間もお客さんは次々やってきている。アレックスは僕の話を聞きながら、てきぱきと注文をさばいていった。しかしその間もまともに会話をしようとはせず、客商売としてはどうなのだろうと心配になる。僕はカウンター席の隅に押しこめられ、自重させられていた。全てが終わるまでは一歩も立たせて貰えないふいんきだ。常連さんたちはアレックスが出している不機嫌オーラによほどの取りこみらしいとあきらめて、自ら注文の品を自分の席に運んでいる。一通り話し終えると、アレックスはがみがみしかりつけてきた。

「昨日は殴られただけですんだからよかったけど、そんないいかげんなつきあいしてるとそのうち誰かに刺されて死ぬわよ」

 話は普段の生活態度にまで飛び火していた。さしあたりその可能性があるのは、ヴィクトールと昨日追い払った鷲鼻の人かな。

「それ冗談にならないから」

 僕が笑うとアレックスはくわっと目をむいた。

「誰が冗談言ってるの! このままだとぐるぐるに縛りつけて目の届くところに置いとかないと夜もおちおち眠れやしない!」

 それも冗談にならない。態度をあらためないと、本当に実行されちゃいそうだ。

「ごめん、もうしないから。お酒はしばらく飲みません。食事のワインも」

「川にも近づかないのよ」

「わかった。雪山にも踏み入らないよ」

 アレックスはようやく気が治まってきたらしい。

「二日酔いは・・・、大丈夫そうね」

 僕の顔を見て一人納得する。

「昔から次の日に引きずったことないんだ」

 どんなに飲んでも一晩寝たらすっきり。

「得な体質ね。やっぱり若いからかしら」

 アレックスはしみじみ呟く。

「朝ご飯は? 慌てて食べてないんじゃない?」

 とにかく体が資本だと主張するアレックスは、すかさず食事の心配をする。

「大丈夫。心配いらないよ」

 僕は質問をはぐらかした。お腹はすいていない。でも、いつにも増して快調だった。

「まずは汚れ物片づけちゃうね」

 僕は立ちあがり、そそくさと厨房に駆こんだ。


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