思い出のケーキ店
酔いつぶれてしまったカ―ルをそのままほっとけなくて、とりあえず僕の部屋で休ませようかと思い、千鳥足の彼に肩を貸しながらアレックスの店を出た。店の外に出ると、日中暖かだった空気はすっかり冷え切って肌寒く、僕は身を震わせた。
「ミッシェルぅ。俺は一人で寂しいんだ」
カールが突然大声を出して抱きついてきた。
「しっかりしてよ、カール」
僕は両手で彼の腕をつかんだ。
「前みたいにベッドの上で愛しあおうよ。君をじっくり味わいたい」
そう言って僕の首筋に唇を寄せてくる。
「ちょっとカール」
僕より体の大きな彼にのしかかられて困り果てながら顔をあげると、闇の中に背の高い男が立っていてこちらをじっと見ていた。一瞬、先生のように思えてどきりとした。しかしよく見ると、眼鏡はかけていないし先生より年が若い。
「あの、何か?」
気になって僕は声をかけた。彼は一瞬たじろぎ黙りこんだが、すぐに気を取り直して口を開いた。
「アレックスの店というのは?」
たんに道が聞きたかったのか。
「ここですよ。入り口は通り側です」
僕は裏口の前の通路に立っていた。
「ああ、そう」
男は短く呟いて、通りに向かって歩いていく。
なんだか先生にふいんきが似てるな。僕はその場に立ち止まって、男が店の中に入っていくのを見ていた。
いったい先生はどこに行ってしまったんだろう。もう僕には関係なくなってしまったことだけど。噂話の中に少しでも事実が混じっていたならばと、嫌な想像がわきそうになって僕は首を振った。やめよう。こんなこと不毛だ。
「愛してるミッシェル。一生君のことを放さないよ」
カールはそう叫んだまま、ぐったりと動きを止めた。支えていた体の重さが、ずんと増す。
「え?もしかして寝ちゃった? カール。ねえカールってば!」
頬を叩いてみるがいっこうに目を覚ます気配はなし。
この階段を担いでのぼらないといけないわけ?僕は呆然と、アパートの狭い階段を見あげた。
酔いつぶれたまま僕の部屋に泊まったカールは、朝、目を覚ますと同時に仕事に飛び出ていった。喫茶店が閉店した後あらためて、僕のところに謝りに来た。
「ごめん。迷惑かけた」
両手を合わせて上目遣いに僕を見た。
「いいよ、別に」
僕は両手を振って笑う。確かに部屋まで運ぶのは大変だったけど謝られるほどのことじゃない。
「これ、よかったら食べてよ」
ケーキらしい箱を差し出した。
「知り合いがやってるんだけどおいしいらしいから」
彼は根っからの辛党なのでケーキは食べない。
「なんだか悪いな。余計な気を使わせたみたいで」
仕事が終わった後で店に寄ったのだろう。僕はカールに飲みごろになった紅茶を入れた。
「ミッシェル気にすることなんてないわよ。どうせもらったかなんかして処分に困ったんでしょうから」
カールは一瞬動きを止める。図星だったらしい。
「理由はどうあれうれしいよ」
僕はわざと明るい声で箱を開けた。
「おいしそうだね」
白い生クリームが塗られたケーキの上には果物が色鮮やかにのせられている。僕は箱から取り出してうれしそうに食べた。
「・・・」
記憶を刺激されて生クリームの部分とスポンジの部分を別々に食べてみる。
「これって、緑の窓枠のケーキ屋さん?」
確か店名はケーキ店なのに修道院だった。僕はあらためてケーキが入れられていた箱を見た。表面に印刷されていたのは、先生と行ったことがあるあのケーキ店だ。
「どうだったかな?」
カールは店の作りまでは記憶にないらしい。
「高校の時の同級生が弟とやってる店なんだけど、最近弟が喫茶に力を入れてて。おいしい紅茶を入れるんだって燃えてるんだ。それで、知り合いの紅茶専門店のオーナーに紹介してやったわけ。ケーキはそのお礼」
もしかしてショーウィンドーの前にいたギャルソンエプロンの店員さん? 原因は先生のうまい紅茶を出してるか発言だよね、やっぱり。
「おいしいわね、このケーキ。ジェノワーズ生地にフロマージュ・ブランのムースがはさんであるのね。チーズの風味がよく引き出されてる。ミッシェルはこのお店に行ったことあるの?」
「一度だけね」
あの時はすごく幸せだった。まだ何度も先生と一緒にケーキを食べに行くものだと思っていた。何の疑いもなく。
「そのときは違うケーキ食べたんでしょう? 生クリーム食べただけでよくわかったわね」
ケーキを食べた時の僕の反応を見て、それだけのことがわかるアレックスってさすがだ。
「すごくおいしかったんだ。何かが違った」
うまく説明はできないけれど。
「ねえミッシェル。あなた本格的にパティシエの修業してみたら? 覚えも早いし、絶対才能あるわ」
そんな風に言ってもらえるととてもうれしい。でも、身の程というものを僕は知ってる。
「アレックスは僕のこと買いかぶりすぎだよ。早く覚えられたのは教え方がうまかっただけ。僕なんて全然だよ」
特別な才能なんてない。教えられたことができるようになっただけだ。僕はその事実に気がつかないかのように、ただ明るく笑って見せる。
「ミッシェル。あなたはもっと自分に自信を持つべきよ」
アレックスは僕の手を包みこむようにして、自分の手を上に重ねた。
「相変わらずアレックスはのせるのがうまいね」
僕はすぐ冗談に紛らわしてしまう。
自信なんてどうして持てる? 僕の中には何もない。だから、誰かがいないと寂しくて仕方ないんだ。必要としてくれる人がいないと、僕の存在自体が消えてしまう。形さえ保てない。どうにか息をしようと足のつかない海の中で必死にもがいている。僕はそんな自分を隠すためにいつも笑ってる。僕の弱さが僕を笑わせるんだ。
「ありがとう。そう言ってもらうだけで元気が出るよ」
僕はいたたまれなくなって話を終わらせる。




