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ポールの事情

 昼すぎ角の帽子屋の奥さんが、特別注文のタルトとスコーンを取りに来た。仕上がりを確認しながら今すぐ食べたそうな顔になる。

「ありがとうアレックス。いいお茶会が開けそうよ」

「ずいぶんと優雅じゃないの」

 アレックスは箱を閉じてリボンをかけながら、彼女に笑いかけた。   

「娘がどうしても開きたいってせがむから。内輪だけの遊びみたいなものだけど」

「ジル?」

「マリアンヌの方よ。最近読んだ小説に影響されたみたい。紅茶なんか飲みもしなかったくせに」

 彼女は代金を払い、品物を抱えた。

 店を出て行った奥さんと入れ替わるようにポールがやって来た。

「今日はタルトタタンを焼いたの?」

 入ってくるなり興奮気味に問いかけながら歩き寄ってくる。メニューに書き入れた本日売切れの文字を読んだのだろう。 

「焼いたわよ。いい林檎が安く手に入ったから」

 この秋始めて焼かれたタルトタタンは、焼きあがると同時に売切れてしまった。

「こんな日に限って出遅れるなんて。新しく焼いたりしないよね」

 期待をこめて、上目遣いになる。

「もう林檎がないのよ」

 見るからにうなだれるポール。

「そんなにがっかりしなくても、ポールの分はちゃんと取ってあるから」

 アレックスは笑いながら肩を叩いた。

「本当? さすがアレックス、恩にきるよ」

 ポールはアレックスに抱きつく勢いで大喜びし、タイミングよく空いたいつもの指定席に腰を下ろした。

「林檎の季節が終わってからずっとアレックスのタルトタタンが食べたくて夢にまで出てきたよ」

「今日はずいぶん遅かったじゃない」

 彼はたいてい昼前には店にきている。

「いろいろあってね。実は昼食もまだなんだ」

「今日のお勧めはマグロとジャガイモの白ワイン煮がメインだけど?」

 ポールは数瞬考え、さしあたりタルトタタンと紅茶でいいよと答えた。

「なんだかすごく疲れてない?」

「体は消耗してないけど精神がね。部屋にいても気が滅入るだけだし、甘いものでも食べれば気分も変わるかと思ってね。来てよかったよ」

 危うく待ちに待っていたタルトタタンを食べ損ねるところだったとポールは笑った。

 珍しくいつも持ち歩いている鞄が手元にない。気もそぞろな感じでぼんやりしている。

 僕はカウンターでポールの分の紅茶を入れていた。ティーポットにお湯を注いで茶葉が開くのを待っていると、ドアが開いて入り口につけられたベルが鳴った。

 入ってきたのは髪を後ろで一つに縛ったスーツ姿の女の人だ。美人だけどシャープな感じで、厳しさが全面に漂っている。彼女はすばやく店内を見まわし、ある一点で視線を止めた。その先にはポールがぽつんと椅子に腰かけて、タルトタタンが運ばれてくるのを待っている。彼女は目標発見とばかりに勢いよく歩き寄っていった。

 押しかけてきた彼氏に殴られた事件が頭をよぎった。もしかして恋愛関係のもつれで修羅場に? ポールに危機迫る? 緊張する僕の目の前で彼女はポールのテーブルの前に立った。

「探しましたよ先生! ちょっと目を離した隙に何やってるんですか!」

 手のひらが振り下ろされ、テーブルが大きな音を立てる。

 ポールはびくりと顔をあげた。

「あっ、ジャンヌ君?」

 カウンターからでもはっきり見て取れるほど、ポールの顔色がさっと変わった。

「ジャンヌ君? ではありません。今日は自宅にいてくださいってあれだけお願いしたのに」

 じろりと睨まれて、ポールは首をすくめた。

「よくここがわかったね」

 彼女の反応を気にしながら、気弱な笑顔を浮かべる。

「この前の取材の時、近くの喫茶店に入浸ってるって話してらしたでしょう」

「そうだっけ?」

 確信なげにポールは首を傾ける。

「そうだったんです。文学賞の候補にあがった小説のアイデアはどこで考えついたのか聞かれたでしょう。その時はっきりと言ってました。主人公が自宅から店まで歩いていく描写が妙にリアルだったから、まさかと思って文章どおりに歩いてきたらここにたどり着いたんです。店の感じもそっくりそのまま。さすがに店名は違うけど先生の家を知っていたらばればれです。いつ電話しても留守にしていると思ったら、こんなところでさぼってたんですね」

「さぼってないよ。ちゃんと仕事はしてた」

 ポールは慌てて弁解する。

「どうなんだか。でも足がつきましたからね。これからはちょくちょく寄らせてもらいますよ」

 ふっふっふっと、腕組みしたジャンヌは不敵に笑った。

「そんな、僕の唯一のオアシスが・・・」

 ポールはぐったりテーブルに突っ伏した。

「帰りますよ、先生。いつ連絡が入るかわからないんですから」

 ジャンヌは自爆しているポールの様子などまるで無視で急かした。

「僕はもうどうだっていいよ。結果は君が聞いておいてくれないか」

 ぐだぐだとポールは呟く。

「なに弱気になってるんですか!こっちの受賞は頭っからなしだって決めつけてる奴らを見返してやりましょうよ。必ず取れます。絶対です!」 

 ほとんど意地になりながら、ジャンヌは気合いっぱいに右手を握りしめた。

「だけどうちでじっと待つのには飽きたよ」

 ポールはテーブルに片頬をつけて目だけをあげた。

「仕方ないですね。ここに連絡してくれるように頼んできますから。ちょっと店員さん」

 トレーにティーセットとタルトタタンをのせてポールのテーブルに運びかけていた僕は、呼びかけられて顔を向けた。

「電話貸してもらえない? それと、ここの番号教えて」

「どうぞ。番号は・・・」

 カウンターにやって来たジャンヌは、取り出した手帳に僕が言った番号を書き取った。

「お待たせ、ポール」

 ジャンヌは受話器を耳に当て、何かしら話し始めた。

 彼は目を輝かせてトレーからテーブルの上に移動するタルトタタンの動きを追った。まずは紅茶を一口飲んでフォークを取りあげる。さくりと歯先をタルト生地にあて一口大の大きさに切りとるとゆっくり口の中に運んだ。

「はあ」

 舌の上で十分堪能した後喉を鳴らして飲みこむと、幸せそうに吐息をついて椅子の背にもたれかかった。

「もう今が幸せならどうだっていいよ」

 口元に笑みが浮かぶ。

「なんだか大変そうだね」

 さっきから気になったいたのでやんわりと何があったのか聞いてみる。

「実はね、僕が書いた小説が文学賞の候補にあがっているんだ。彼女は担当の編集さん。今日の選考会で受賞者が決まることになってるんだ。それで朝から連絡を待ってたんだけど、なんだか長引いてるみたいだ」

 だから落ち着かない感じだったのか。

「別に賞なんて関係ないって思ってたんだけど、いざとなったら緊張しちゃって。やっぱり気になってるんだろうね」

「すごいじゃないですか。どんな文学賞なんです?」

 ポールが言った賞名は、あまり本を読まない僕でも知っていた。その年雑誌に載った小説か出版された本の中から選ばれる、国内で一番注目される文学賞だ。

「今年はすごいヒット作になった本命がいるから騒がれなくて助かってるけど」

 受賞する可能性はすごく低いのか。それですでにあきらめムード。

「どうして先生はそんなに後ろ向きなんですか!」

 電話を済ませて戻ってきたジャンヌが、強い口調で会話に入ってきた。

「君は驚くほど前向きだね」

 ポールは肩をすくめて苦笑する。

「自信があるからですよ。今回の先生の小説、今までで最高のできです。あんなちゃら男の本なんて目じゃないですよ!」

「だけど売れてるからね。時代に支持されてる。内容もすごくいいよ。セリフが自然ですんなり入ってくるし、何より泣けるよ」

「先生の小説だってするめ以上の味の濃さです。それにまだ本になってないんですから、知名度がいまいちなのは仕方ないでしょう」

 彼女はそう力説する。するめっていったいなんだろう。

「どんな話なんですか?」

 僕は興味をひかれて尋ねた。

「舞台は街角にあるサロン・ド・テ(紅茶専門店)。その店のオーナーが客たちの悩みを次々解決していく人情ものかしら」

 ようするにほのぼの系?

「それよりも先生。さっきから気になっていたんですけどずいぶんおいしそうなものを食べてるじゃないですか」

ジャンヌは皿の上に残っていたタルトタタンに目を向けた。

「あげないからね。最後の一切れなんだから」

「慰労の意味もこめて、少しくらいいいでしょう?」

 ジャンヌは片眉をあげる。

「嫌だ。これだけは君でも譲れない」

 ポールはかたくなに断った。

「そうですか。店員さん。他にどんなもの置いてるの?」

 動きにつられてポールの視線が僕の方にふっと向いた。ジャンヌはその隙を見逃さず、ポールの前にあった皿の上から最後のひとかけらをさっと横からさらって口の中に放りこんだ。ほんの一瞬の出来事だった。

「これ、すごくおいしいですね」

 視線を戻したポールは空になった皿をみつめ、目をあげてもぐもぐと動いているジャンヌの口元をじっとみつめたが、衝撃が大きすぎてフォークを持ったまま固まっている。

「あそこにあるのもしかしてメニュー? なんだ、紅茶ないじゃない。だけど先生が飲んでるってことは頼めなくもないのね。ねえ。今日のお勧めランチってまだ食べられる?」

「用意できますよ」

「じゃあガトーショコラとコーヒーもね」

 注文は紅茶じゃなくていいのか。

「私にもお願いするよ」

 ポールが珍しくむっつりした顔で注文した。

「先生も食べるんですか?」

「食べてでもいないとやっていられない」

 僕は厨房のアレックスに注文を告げ、ポールの事情も説明した。

 ランチを作り終えたアレックスは厨房から出てきて何度も電話に視線を向けた。いつベルが鳴るのかと、重苦しい空気が流れ出す。

 ジリリ・・・

 電話のベルが、甲高い音をたてた。とたんにみな黙りこむ。

「ね、これ出てもいいの?」

 アレックスは恐る恐る僕の方を振り返った。

「早く出ないと切れちゃうんじゃないの?」

 あせりつつ答える。

「それ、まずいじゃない」

 アレックスは慌てて受話器に飛びついた。

「もしもし?」

 短い受け答えがあり、ポールに顔を向けた。

「文学賞の選考委員会だって」

 ポールの顔が強張る。ふらふらと立ちあがり、差し出された受話器を受取った。

「はい。私です」

 固唾を飲んで見守る僕たち。

「どうだった?」

 静かに受話器を置いたポールの背中に声をかけた。

「受賞したって」

 にわかに信じられないのか呆然と呟く。

「え?本当?」

アレックスが野太い悲鳴をあげて、ポールに抱きついた。

「おめでとうポール。紅茶一杯で粘って書いてたかいがあったじゃない」

「それは誉てるの? それとも皮肉?」

 ポールは微妙な笑顔になる。

「わーん。やっぱり私の言った通りになったじゃないですかぁ」

 きりりとした見た目を裏切って、ジャンヌは大泣きしながらアレックスを含めてポールに抱きついた。あまりの騒ぎに感動の涙も引っこんだ僕は、二人の勢いに押しつぶされそうになっているポールをどうにか助け出した。

「受賞おめでとう」

 ようやくまともに息がつけるようになったポールは、祝いの言葉をかけた僕に向かって照れくさそうに小さく微笑んだ。

「ありがとう。なんだか夢みたいだよ」


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