うつろな気持ちのまま
「ミッシェル」
アレックスの店を訪ねると、ちょうどランチ時の忙しい時間だった。店に入った時点でそれに気がつき、邪魔をしては悪いと慌てて出て行こうとしたが、そうする前にアレックスにみつかってしまった。
「こっちきなさい。どうしたの、泣いたりして」
そう問われて始めて、自分が泣いていることに気がついた。
「仕事の邪魔してごめん。お昼だってこと忘れてて。またあとから来るから。お客さん待ってるよ」
「そんなことよりミッシェルのほうが大事よ。ほら、入って」
逃がさないわよと言わんばかりに僕の腕をつかんだ。
「でも・・・」
「四の五の言わずに来る。客のことが気になるならしばらく奥で待っててよ。ちゃっちゃと片づけて終わらせるから」
そう言いながらぐいぐい僕を厨房の奥まで引っ張ってくると、手近にあった丸椅子を引き寄せて僕を座らせた。
「いい? 私がここに来て話しを聞くまで一歩も動かないのよ。勝手に姿消したらひどいからね」
アレックスは僕の顔の前に人差し指を突きつけた。
厨房がやけに広いと思ったら、いつもいるジャンの姿がなかった。
「アレックス。ランチ2。今日のお勧め3。さくらんぼタルトの追加は?」
「今焼けた。悪いけどオーブンから出して」
「白い薄手の皿にのせるんだったよね」
「アイスをそえて」
「わかった。切って出すよ」
何故かポールがウエイターをしている。
「何か手伝おうか?」
思わず僕は申し出ていた。
「本当? じゃあ中手伝って。ポールは外に専念して」
「あっミッシェル久しぶり。いらっしゃいませ」
ポールは挨拶もそこそこに厨房から飛び出ていく。
アレックスは恐ろしい勢いで野菜を刻み始め、僕は彼女に言われるまま、機械的に材料を洗ったり皿を並べたりした。忙しければ忙しいほど何も考えずにすむのでありがたい。
あっという間に時間がたち、ようやく店も落ち着いてきた。ポールはぐったりした様子でいつもの席に座り、遅い昼食を取っている。
「ありがとうポール。とんだとばっちりだったわね」
「まったくだよ。お茶に来てウエイターをさせられるとは思わなかった」
彼は苦笑交じりに肩をすくめた。
「何があったんです?ジャンの姿が見えないけど」
「店を辞めたの。手紙だけ残して」
「え?」
「かけおちだってさ。ロマンティックじゃないか」
ポールはフォークに刺したローストチキンを口に運んだ。
「何がロマンティックなもんですか。特別注文も受けていたから朝からばたばたよ。あの子ったら仕こみさえしていかなかったんだから。まったく薄情じゃないの。前もって相談くらいしてくれたっていいじゃない。給料前なのにちゃんとお金持っていたのかしら」
突然店を辞められて迷惑をかけられたことよりも、心配で怒っているらしい。
「連絡してくれないと残りの給料も払えないわよ」
ぶつぶつと文句を言い始める。
「だけど意外だったな。あの無口なジャンがそんなことをしでかすとはね。人は見かけに寄らないよ。まったく」
しみじみと呟いて、いつも上着のポケットに入れて持ち歩いている手帳になにやら書きつけ始めた。小説のネタに使うつもりなのだろうか。
「それで?ミッシェルはどうしたの?」
アレックスは店の一番奥の席に僕を座らせると、自分も目の前に座った。テーブルの上には昼食が並んでいたけれど、、手をつける気にはなれなかった。
「先生と別れたんだ」
時間がたって、かなり気持ちは落ち着いてきていた。
「そうみたいね」
アレックスは僕の足元に置かれた鞄をちらりと見た。
「それだけ」
僕は深く息を吐き出す。こんなに僕を打ちのめしているのに、言葉にするとなんてありふれていて簡単なんだろう。
「それだけって。ずいぶんあっさりしてるじゃない。顔はひどいけど」
えっそんなに?
「鼻も目も赤いし。ミッシェルって色が白いからすごく目立っちゃうのね」
鼻が赤いのはちょっと嫌かなとちらりと思った。いまさら気取るのもおかしいけれど。
「今回は結構本気だったのね。流れでいついたって感じだったけどかいがいしくやってたでしょう。うまくいけばいいなって思ってたんだけど。あなただってそろそろ、いいめにあったっていいじゃない」
アレックスは切なそうに息をついた。
「まあお食べなさいよ。おなかがすいていると元気も出ないわよ」
アレックスはテーブルの上の料理をすすめた。
チーズとくるみ、アボガドとクレソン、鶏肉と香味野菜をはさんだ三種類のサンドイッチ。キャベツと玉ねぎを詰めたいわしのファルシー。バジル風味の野菜スープ。デザートにマスカットのタルトまである。
「泣きたければ好きなだけ泣けばいいわよ。小出しにしてるといつまでもじめじめしてなきゃならないじゃない。それで? その様子じゃミッシェルが振ったってわけじゃなさそうね」
「出て行っちゃったんだ。画家仲間と住むからって」
ぼそぼそと僕は答えた。
「もしかして二股かけられてた?」
「どうなんだろう・・・いや、やっぱり先生はそんなことしないと思う。不器用だけど優しい人だから。きっと重かったんじゃないのかな。最近ぎくしゃくしてたし。よくある話だよ」
カールが家具職人見習いの彼氏を捨てたようにありふれた。
「あなたねぇ。まだ若いんだからそんな風にあきらめきっちゃだめよ。どうして追いかけないの? 好きだったんでしょう?」
アレックスは興奮気味に身を乗り出した。
「うん・・・そうなんだと思う。でも、追いかけることも引き止めることもできなかった。先生は本当に絵の才能があるんだ。僕なんかが邪魔しちゃいけない」
でも結局、足手まといになってもついていこうという勇気が持てなかっただけだ。完全に突き放されるのが怖くて。なんでもないのだと自分に言い聞かせた。
「そんな馬鹿なことあるわけないでしょう。ミッシェルに合う男なんて、そうそういないわよ。たとえどんなに有名な画家先生でもね」
「アレックスと話してると、なんだか自分にうぬぼれたくなるな」
僕は気弱に笑った。
「うぬぼれなさいよ。あなたは本当に素敵な子よ。ほら、気がすむまで泣いたんなら笑って見せて。そしてお腹いっぱい食べなさい。今日のスープは特別おいしいのよ」
僕は勧められるままにスプーンを取りあげて、スープをすくった。
角切りにされた野菜とベーコンが入っている。バジルのスパイシーな香りがたちのぼってくる。僕はゆっくりとスプーンを口に運んだ。
「おいしい」
自然と声が出た。
「そうでしょう。もっとたくさん食べなさいよ」
僕はうなずいてサンドイッチに手をのばす。
「部屋のことはエリックが前払いで半年分払ってるから心配いらないわ。今、こっちの仕事に一区切りついて帰ってるし」
彼がいないと聞いて、僕は正直ほっとした。
「エリックには連絡しておくから、今まで通りに暮らせばいいわよ」
「そう、だよね」
先生を知らなくてもずっと生きていられたんだから。昔の生活に戻るだけだ。どんなに寂しくても人は死なないし、生き続けなくちゃならない。僕はひたすら食べ続け、皿を空にしていった。
「ごちそうさま」
「満足してもらえたかしら?」
「うん。これ以上食べろって言われても無理」
お腹がいっぱいになったとたん、眠くなってきた。
せめて食器くらいは片付けようと運びかけて、アレックスに止められた。
「いいわよ。私がやるから。ごめんなさいね。こんな時に手伝わせて」
「ううん。べつにいいよ。気もまぎれたし」
「ねえ。無理はしなくていいけれどよかったらうちでバイトしない? というよりバイトしてくれない? 新しい人がみつからないと、またポールにとばっちりが」
「え? 勘弁してよ。こんなの一日したら十分だよ」
ポールは気弱に眉を下げた。
「そうだね。でも、今日はもう帰って寝るよ。なんだか疲れた」
「食べてすぐ寝ると太るわよ」
からかうようにアレックスは言う。
「この際目をつぶるよ。今度スープの作り方教えてくれる? 企業秘密でなければ」
「うちで働いてくれたらレシピ盗み放題よ」
「そんな特典がついてくるならいいね。じゃあおやすみなさい」
僕は手を振って店から出た。




