モデルの代わりに引き受けた仕事
痴話げんかに巻き込まれて、顔を晴らしたままモデルの仕事に向かったミッシェルは、出迎えた画家先生の嫌味の嵐に襲われる。
今日は仕事にならなそうだと思っていたが、モデルの代わりに家政婦の仕事を引き受けることに。
気難しい画家先生のかわいい一面も見れて、俄然やる気になってしまう。
「そんな顔でよく来られたな」
僕のはれた目を見た先生は予想通りの皮肉げなまなざしで、開口一番そう言った。
「モデルは顔が命じゃないのか?仕事をしてるって意識がちゃんとあるのか」
黒縁眼鏡の奥からじろりと睨まれる。歳は三十前後か。鼻筋が通った上品で整った顔をしている。そのため険しい表情になると妙に迫力があった。
「すみません。不意をくらってよけきれませんでした」
素直に僕が謝ると、彼は馬鹿にしきった態度で鼻を鳴らした。
「とろい奴め」
確かにその通りです。反論する気も起こらない。
「でかい男だったのか?」
興味なげに画家先生は尋ねた。
「え?まあ」
とっさに僕はうなずく。
「ふーん」
そううなったきり先生は、くるりと背中を向けて長い廊下を歩き出す。そのまま端まで進んでいき、ようやく玄関で立ちすくんでいる僕に気がついて足を止めた。
「さっさとこい。何しに来たんだ?」
画家先生の声は低いのに、やけに通る。
「クビじゃないんですか?」
僕は向こう側に届くように声を高めた。
「クビになりたいのか?」
ぶんぶんと首を横に振った。
「勝手に頭の中で、ありもしない言葉を聞くんじゃない」
なんだかすごく危ない人になった気分。
「別の仕事をやる」
画家先生は廊下の向こう側で、人差し指だけを動かして手招いた。
僕は呼ばれるままに、家の中へ足を踏みこむ。
「それで。僕は何をすればいいですか?」
追いついた僕は、思いきって先生にきいてみた。
「家事全般だ」
「家政婦さんはどうしたんですか?」
新しい人が来たばかりだ。
「やめた」
「やめた?」
もうすでに何人も変わっている。朝やってきて昼にはいない人もいた。
「新しい家政婦がみつかるまで毎日朝から来い」
僕の都合はまるで考えないわけか。別にそんなものありはしないけど。口調はいかにもえらそうで、困っている感はまるでない。でも、見るからに苦手そうだよね。こういう生活感があふれることは。
「わかりました。新しい人がみつかるまでですね」
呪いでもかかっていそうで気は進まなかったが、引き受けたのは見るに見かねてだ。画家先生は気難しいけど見た目はかっこいい。背は高いし肩幅も広い。そんないい男が、埃の中にうずもれながら一人寂しく背中を丸めて缶詰を食べてる図なんてわびしすぎる。
「お前出来るんだろうな」
それって質問の順序が逆でしょう。そうつっこみたくなったが本当にやったら冷たいまなざしで凍え死ぬかもしれないのでやめた。
「一通りのことは出来ますよ」
僕が答えると先生は、早速やってくれと面倒くさそうに片手を振った。
半年前に引っ越してきたという広い建物の大半は、使われないまま放置されていた。何故こんな不必要に大きい家に住んだのかときいてみたら、庭が静かで気に入ったのだという。静かというよりも雑草が生い茂ったやぶめいた庭で、たんに伸び放題になっているだけにしか見えないが、芸術家の先生なので、人とは違う感性を持っているのだろう。
「本は右から背の低い順。物を隣りあわせで置く時は平行に。手を抜いて雑に片づけるな」
指示が細かすぎる。
「それから俺のアトリエのものには触るな。俺の部屋のものを勝手に動かすな」
やっと終り?
「洗濯物は色目をあわせて干せ」
確かに家政婦さんも逃げ出すだろうとなと僕は納得する。おまけにすっかり創作意欲をそがれてしまった先生は、距離を保ちながらずっと僕につきまとって観察している。離れているので邪魔にはならないが、ものすごくやりにくい。夕食を作る頃にはその状況にも慣れたが、何もしゃべらずそこにいる気配だけが漂ってくると何をしているのかが気になって、出来るだけ視線を向けずに彼の存在を忘れようとしていたはずなのに、つい振り返って見てしまう。先生は夕食が出来上がるのを待ちわびる幼い子供のような顔をして、鍋から湯気があがるのをじっとみつめていた。始終無表情に取り澄ましている先生の無防備な一面を見たような気がして、驚きながらある種のかわいらしさを感じた。
おいしいもの、食べさせてあげようじゃないですか。ふいに、そんな意欲がわいてきた。
料理を皿に盛り準備万端に整えると、画家先生は涼しい無表情で席についた。
「まあ、食べられなくはないな」
あっけない口調で感想を述べる。先生は上品にナイフとフォークを使い料理を口に運ぶ。
台所には汚れた皿が一つもなかった。今までちゃんと食べていたのだろうか。
「おかわりどうですか?」
心配になって声をかける。
「もういい。残りはお前が責任もって片づけろ。突っ立っているだけの奴に見られながら食事をするのは好きじゃない」
「すみません。先生の反応が気になって」
口に合わなかったら悪いなっと。
「さっさと皿を持って来い」
僕は自分用の食器を出して料理をのせると、画家先生の斜め前の席に座った。
「料理はどこで覚えたんだ?」
彼はすでにナイフとフォークを置いて、まったりとワイングラスを傾けている。
「本格的に習ったことはないです。ただ、飲食店で下働きをしてる時に人手が足りずに厨房を手伝うことがあって」
運のいいことに僕のまわりにはいろいろ教えたがる人が多かった。その人たちの間を渡り歩いているうちに、気づけばいろいろとできるようになっていた。
「まあ、自然にです」
先生の皿には、料理がまだ三分の一ほど残っている。おかわりをすることを考えて、軽くしか盛ってなかったのに。あっもしかして、さっきのふりはこんな料理いったいどこで覚えてきやがったんだこのやろうってことだったのか?食べられなくはないなっていうのはすんなり誉めたくない照れ隠しじゃなくて、たんに本心を言っただけ?。
「あの、口に合わなかったですか?」
考えを探るだけでは埒があかないので、素直に尋ねてみた。
「いや。残っているのは胃が受け付ける容量の関係だ。気にするな」
たいした量食べてないじゃないですか。僕よりずっと体格もいいのに、どうやって体力維持してるんだろう。
「明日何か食べたいものがありますか?」
生の食材は底をついているので、買出しに行く必要がある。
「鳥料理がいいな。あと、何か甘いもの」
「すみません。今日はそこまで気がまわりませんでした」
「おかげでワインを二本あけた」
食事の途中で持ってきたワインが、いつのまにか空になっている。どうやら糖分とアルコールは同種に分類されて、摂取量が決まっているようだ。
「最後にコーヒーを入れてくれ」
一通り食材のチェックした時コーヒー豆がみあたらなかったのでこの国では少数派の紅茶好きかと思ったが、どうやら違っていたようだ。
「あの。どこに豆があるかご存知ですか?」
僕が尋ねると、先生は眉間にしわを寄せた。
「ないのか?」
「みつけられないだけかもしれませんけど」
毎日入れるものだから奥まった場所にあるとは思えない。
「あの女浴びるほど飲んでおいて買い置きもしていなかったのか?まったく使えない」
ぶつぶつと文句を言う。
「紅茶なら用意できますよ。葉っぱがあったから」
どうしてもコーヒーと言われたら、お隣さんかコーヒーを出している飲食店に頼みこんで豆を分けてもらうしかないだろう。たいていの店はもう閉まっている時間だ。
「紅茶なら?はっ、言ってくれるじゃないか。この国の奴らはまともな入れ方を知りもしない。どんなにいい茶葉があっても宝の持ち腐れだ。あんなまずいお茶を飲まされるくらいなら、コーヒーを飲んでる方がずっとましだ」
「先生ってもしかしてお茶派?」
珍しさに声が高まる。
「だったら悪いか。コーヒーだけが飲み物じゃないんだぞ」
画家先生は腕を組んでむすっと答えた。
「じゃあ入れてきます」
僕はお湯を沸かそうと立ちあがった。
「おい。俺の話を聞いていたのか?」
いらだたしげに引きとめた。
「聞いてましたよ」
僕はうなずく。
「だから俺はまずいお茶なんか」
「まずくなければいいんでしょう?」
片目をつぶって微笑みかけると、先生は疑わしげに僕のことを見た。




