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先生の計画

 赤いベルガモットの花が咲き乱れ、柑橘系のさわやかな香りをふりまいていた。ジャスミンや他の花々も色とりどりに咲いている。しかしそれ以上にはびこっているのが根強い雑草で蚊とかが大量発生しないかと心配になり、恐る恐る先生に草刈をしてもいいかとお伺いをたてると、案外あっさりとうなずいた。庭が気に入ったいっていたのは、たんに草取りをしない言い訳だったようだ。いつもの仕事の合間に数日かけて手入れをした。使っていない部屋の掃除もしたので、いつでも使える。

 先生は一昨日画商のパスカルと出かけたまま、まだ帰ってこない。また、後援者のドクターのところだろうか。

いつ戻ってくるのかわからないので今日の夕食の準備はどうしようか考えていると、門の中に入ってきたらしい車の音が聞こえてきた。玄関まで出迎えに行くと、どこか浮かない顔の先生が立っていた。

「ただいま」

 先生が帰ってきてくれただけで僕はほっとする。

「お帰りなさい。何かあったんですか?」

「ん?」

「いえ・・・何もないならいいんです」

 少々気にはなったが、すぐに忘れてしまう。

「夕食急いで作りますね。何か食べたいものがありますか? 今からだから、手のこんだものはできませんが」

「必要ない。今日は外で食べよう。中央駅の近くのあの店がいい。出かける準備をして」

「え? あっはい」

 うなずく僕に、先生は真面目なまなざしを向ける。

「話したいことがある」

 何だろう?

「今じゃだめなんですか?」

 あらたまられるとこっちまで緊張する。

「夕食を食べてからだ」

 と、先生は答えた。


 蝋燭の明かりに照らされた薄暗い店内は、適度に混みあって心地よい活気に溢れていた。

 出された完熟トマトのマリネを添えたサーモンのグリルは絶品だった。デザートのレモンタルトとアイスもさっぱりとしておいしく、食事の後に運ばれてきたお茶を満足しながら飲んだ。先生はテーブルの上で手を組んだまま、カップに手をつけようとしない。

 しばらく黙りこんでそのまま座っていた先生がようやく口を開いた。

「あの家を出ることにした」

 さりげない口調で先生は話し始めた。

「画家仲間から一緒に住まないかと誘われている。作品制作のいい刺激になるだろう。いい絵がかけそうな気がする」

「先生が?」

 他人とつきあうのは苦手なのに。家を出るといわれたことよりも、そのことで驚いた。

「いつ行くんです?」

「一週間後」

 そんなに早く?

「あの家は好きに使ってくれていい。私がいなくなった後も」

 僕を連れて行く気はまるでないんだ。

「いつ帰ってくるんですか?」

 わずかな期待を抱きしめながら、僕は笑顔をはりつけた。

「もう二度と戻らない」

「・・・」

 まわりであがっていた雑音が一気に遠ざかっていき、静けさが増した。抑揚のない先生の声がやけに響いて、切り取られた空間に染みこんで消えていく。

「そ・・・そうですか」

 僕はぎくしゃくと返事を返した。

「どんな絵が描けるか楽しみですね」

 僕はやけに明るい声ではしゃいだ。

「家の件はとってもありがたいんですけど、お断りしようと思います。一人で住むには広すぎますからね」

 目の前のポットに残っていた紅茶をカップに注いで、一気に飲み干した。

 時間がたちすぎてやけに濃いアールグレイ。ミルクかお湯を足して飲もうという頭もまわらなかった。

 口の中に苦さが広がる。

「そういえば先生、アールグレイの香り付けにベルガモットが使われているって知っていました?」

 そのあと僕は、とりとめのない話をし続けた。

「ミッシェル」

 気づかうように先生が、僕の名前を呼ぶ。

 僕はテーブルに手をついて立ちあがった。

「帰りの車呼んできます」

 動揺が押さえられない。僕は逃げるようにその場から離れ、電話を借りるためにカウンターへ向かった。


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