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秘密と嫉妬

 昼食の後、出かけているかもしれないと思いながらエリックを訪ねると、運のいいことに彼は部屋にいた。

「ミッシェル。よく来てくれたね」

 引っ張られるように中に入って、椅子に座らされる。

「ちょうど今コーヒー入れたんだ」

 彼は部屋の隅にある狭い調理スペースに向かった。

「あのおかまいなく。すぐに帰りますから」

 僕はこちらに向けられているエリックの背中に声をかける。しかし彼は手を止めようとしない。

「さくらんぼ入りのチョコレートケーキがある。もらいものだけど。君、甘いものは大丈夫だよね」

 エリックはケーキとコーヒーを運んできてテーブルの上に置いた。

「部屋、結構綺麗に使っているだろう? 今のところは壁に穴もあいてないよ」

 突然尋ねてきたのに汚れた服が床の上に散乱していることもなく、部屋の中も埃がたまらない程度には掃除してある。

 僕が使っていた頃との大きな違いは、棚の上に仕事で使うらしい書類が置かれ、壁に取り付けてあるフックにエリックのシャツや上着がかけられているくらいだ。借りた部屋なので、大きく物を動かさないよう気を使っているのかもしれない。

 画集を渡したらすぐに帰るつもりだったけれど、せっかく用意をしてくれたのでコーヒーくらい飲んでいかないと悪いだろうと思い、椅子に座った。

「あのこれ、ありがとうございました」

 ようやく落ちついて腰をおろしたエリックに、僕は画集を差し出した。 

「まだゆっくり借りていてよかったのに」

 彼はそれを受取って、重ねられた書類の上に置いた。

「昨日じっくり見られましたから。それに、画集の安全が確保できそうにないんで」

「?」

 つい口が滑ってエリックの首を傾けさせてしまった。

「先生が嫌がるから。あの勢いだとごみにするか灰にするかしちゃいそうで」

 エリックは眉をひそめた。

「ブルクハルト嫌いか。君の彼氏はさぞかし正統派の絵を描くんだろうな」

 どうやら先生の絵は、そのての人たちから批判的に見られているようだ。

「頭が固過ぎなんだよ。どんな絵を描くのか一度見てみたいね」

 エリックは憤然としながらコーヒーをぐいっと飲んだ。

「この素晴らしさを認めようとしないなんてさ。まったく見る目がないよ。画家失格だ。新しいものを生み出してこその芸術家だろう? 伝統にばかりこだわる奴はたんなる職人だ」

 彼の口調は明るいので言いたい放題言っていても嫌味がない。本人が目の前にいても、少々気を悪くするだけで聞き流されてしまうだろう。先生だったら確実に大喧嘩だろうけど。

 僕はコーヒーとケーキを慌てていると見られない程度に手早く片づけ、椅子から腰を浮かせた。

「じゃあ、あのそろそろ」

「まだゆっくりしていきなよ。今来たところだよ」

 エリックは立ちあがって僕をせいした。

「でも・・・」

 僕は口ごもる。

「君とゆっくり話をしたいと思っていたんだ。それとも何か用事がある?」

 特に差し迫った用はないけれど。

「君の彼氏、君のすることにいちいち口出してくるタイプなんだろう。帰りが遅いと怒られるとか」

「そういうわけじゃ」

 子供みたいにすねるだけだ。

「アレックスのところにも来なかったし、外に出すの嫌がるの?」

「それは僕が悪くて」

 先生との生活があまりにも穏やかで、時間がたつのも忘れていた。

「そんな自己中心的な奴とは別れてしまえよ」

「え?」

「君はもっと自由に外へ出て行くべきだ」

 エリックは僕の腕を強くつかんだ。

「そんな奴に縛られることはない」

「僕は縛られてなんていませんよ。先生のところにいたいからいるんです」

 なんだか激しく誤解してるんじゃないのかな。別に監視されて暮らしてるわけじゃない。

「君は愛されてるの?」

 真正面から聞かれて僕は面食らった。

「たんなる遊び? それとも仕事の延長?」

 とっさに僕は答えられなかった。僕は身代わりだ。先生が愛した人の。それはどれに入るんだろう。

「ミッシェル」

 戸惑う僕をエリックは抱きしめた。

「俺ならそんな顔絶対させない」

「エリック?」

「そんな奴とは別れて俺とつきあえよ」

 エリックは僕を抱きしめたまま体を倒し、覆い被さってきた。僕は体の重さを支えられず、床の上に膝をついてそのまま押さえこまれてしまう。

「エリック!」

 僕は非難の声をあげて跳ね除けようとしたけど、体の上に体重をかけられているうえに、両手首をがっちりつかまれて起きあがれなかった。僕はどうにか彼の下から這い出ようともがいた。いつのまにかシャツを剥ぎ取られ、上半身が剥き出しになった。

「いや」

 ズボンのあわせをひろげながらエリックの手が滑りこんできて、僕のものをつかむ。そして性急な手つきで上下に扱きはじめた。

「エリック、冗談は・・・」

 かすかに声が震える。

 エリックは顔をあげて、真っ直ぐ僕を見おろした。

「俺は本気だ。ミッシェル」

 苦しげに彼は目を細める。

「一目見ただけで忘れられなくなってしまった」

 やるせない声で、彼は叫んだ。

「一昨日君と別れてからずっと、君の面影が頭から離れない。君の明るい空色の瞳。柔らかな赤い唇。陶磁器のように滑らかな白い肌。君の声、華奢でほっそりとした体つき。君の全てが、俺をひきつけてやまない。腕の中に君を感じたくて、気が狂いそうだった。好きなんだ。君を」

 エリックは僕の首筋をきつく吸った。両手首をつかむ左手に力が入る。僕は痛さで顔をゆがめながら、どうすればこの場を逃げ出せるだろうと、不安を押さえながらエリックを見あげた。

「エリック。あなたのことは嫌いじゃないけど、先生を裏切ることなんかできない。他の誰にも抱かれるつもりはないんだ」

僕は真剣に彼に訴えた。でも彼は聞く耳を持たない感じで、僕を掴む手にさらに力が入った。

「その画家が君を本気で愛しているとは思えない。遊びなのか仕事なのかときかれて、君は答えられなかった。そんな風に君を戸惑わせる程度の関係なんじゃないのか?君が想っているほど向こうが想っていない証拠じゃないのか?」

食い入るように、エリックは僕の心をかきまわす。

「君が頑固に別れられないと言いはるのならこうするしかない」

 エリックの手に激しさが加わる。

「わかってくれ、ミッシェル」

力が抜けていきそうな感覚と必死に戦いながら、わずかに動く足をばたつかせ、背を突っ張らせた。必死に暴れているうちに、僕を押さえるエリックの手が緩まった。僕は彼のあごの下にに両手をかけて、力いっぱい押した。起き上がろうとした僕を逃すまいとエリックの大きな手がのびてきて、僕の口と鼻をいっぺんに押し包んだ。

「・・・!」

 息ができない。こめかみの血管が大きな音をたて始め、目の前が暗くなっていく。僕は必死にエリックの胸を叩いたり腕をつかんだりしたけれど、頭がぼんやりしてきて手足の感覚がなくなっていった。暴れる力もなくなって、ぐったりとその場に横たわった。


 下腹部に生温かいものが広がっていくのを感じながら、強張らせた全身がずしりとベッドにのめりこんだ。エリックも同じように荒く息をつきながら、僕の体の上へたおれこむ。   

男に慣れきった僕の体は、触れられれば敏感に反応する。しかし全てが終わってしまった今、気持ちよさよりもうしろめたさや痛みが僕を支配していた。強姦されたと泣き出すほど初心ではない。こんなめには何度もあった。傷つけるのが目的でない分いくらかましだ。自分にそう言い聞かせる。でも、拭いきれない苦さが気持ちを重くした。

僕は眠ってしまったエリックの体の下から這い出ると、ベッドから降りて散らばった服を拾い集め、バスルームに入った。しばらく何もする気になれず出しっぱなしのシャワーの下にたたずんでいたが、家で待っている先生の顔がふいに浮かび、閉じていた目を開けて石鹸を手にとった。

体を綺麗にして身支度を整えた。シャツの襟のボタンがなくなっていたが、そのまま部屋を出る。階段をおりてアレックスの店の横を通る時、彼女に声をかけられたらどうしようかと緊張した。でも、呼び止められることもなくすんなり通りへ出た。

僕はほっと息をついて歩き出した。シャツの袖口がすれるたび、手首が痛かった。目の高さに持ち上げて見てみると、エリックにつかまれていた指の跡が、赤黒く鬱血していた。心には怒りはなく、静かだった。きっと僕に、つけこまれるだけのすきがあったのだろう。

何も考えずひたすら歩き続け、どうにか先生の家にたどり着いた。

僕は門の前で大きく深呼吸する。

先生は僕を軽蔑するだろうか。嫌いになったりしないだろうか。不安を押し殺し、顔をあげる。

心配させちゃいけない。いつもと同じように、笑ってただいまと言うんだ。すみません、遅くなって。すぐに夕食作りますからね、と。

 今日は魚料理にしようと思っていたのに、買い物をするのを忘れた。残った材料で何を作ろう。今、何があったっけ。一つ一つ頭の中で並べあげてみる。そうしていくうちに、現実感が戻ってきた。門をくぐって玄関まで歩き、ドアノブに手をかけた。

「ただいま」

 返事はない。

 僕は真っ直ぐキッチンへ向かった。椅子にかけていたエプロンをつけて、のろのろと材料を集めた。

「野菜を洗って」

 頭の中の指示どおりに動く。

「包丁を持ってきざむ」

 一度言って確認しないと次に何をするのか思い出せない。

「オーブンを温めて・・・」

 やっているうちにけだるさが増して、僕はその場にずるずると座りこんだ。膝をたてると、体の中にはまだ違和感が残っていた。再び苦さが広がって、胸の中を満たした。

「どうした?」

 聞こえてきた先生の声に慌てて立ちあがった。

「ちょっと休んでいただけです」

 笑顔、笑顔。でも、まともに顔が見られない。

「具合悪いのか?」

 先生は僕の肩に手を置いた。

「いえ、全然」

 除きこむ先生のまなざしからそっと目をそらす。

「すぐに夕食作りますから」

「おい、何か焦げ臭いぞ」

「え?」

 とっさに理解できずぼんやりしたが、すぐに先生がかいだ焦げ臭さの原因にいきついた。

「本当だ・・・オーブン」

 慌ててふたを開けるともわもわと黒い煙がふきだしてきた。手で仰ぎせきこみながら中をのぞきこむと、真っ黒に炭化した物体がぷすぷすと音をたてている。

「大変・・・」

 そのまま鉄板を取り出そうとして、あまりの熱さに手をひっこめた。

 どうかしてる。

「何をやっているんだ」

 先生はいらいらと怒鳴りつけ、僕の手首をつかんだ。

「痛っ」

 思わず僕は声をあげた。

「痛いに決まってるだろう。さっさと水で冷やせ」

 先生は水道の蛇口を全開にして、僕の手をつっこんだ。

 そんなに大騒ぎしなくても、一瞬だったからたいしたことないですよ。僕は気弱に苦笑した。

「今日はもういい。このままだと家ごと燃やされそうだ。外に食べに行こう」

 外出するのは苦手なのに。先生と外に出かけるなんて一大イベントを提案されて、いつもなら楽しくて仕方がないはずなのに、気持ちがまるで浮いてこない。

「どこの店がうまいんだ?」

 先生はほとんど出かけないので、そういうことにはまるでうとかった。

「えっと」

 僕はのろのろと記憶を手繰り寄せた。とにかく、アレックスの店は却下だ。

「マジョラムか・・・ここは煮こみ料理がおいしいんです。あと、中央駅の近くまで出ないといけませんけど、老舗のレストランがあって」

 ちゃんとした紅茶が出て、あまり騒がしすぎない店はこの二軒だろう。それにどちらも、照明が薄暗い。

「中央駅の方にしよう。車を呼んでくれ」

 正直どこかに行きたい気持ちじゃなかった。でも、先生を飢えさせる訳にもいかない。

 店に着いて料理を前にした僕は、無理して口の中に詰めこんだ。

「まあまあな味だったな」

 帰りの車の中で、先生が無表情に呟いた。先生のまあまあは誉め言葉と同じだ。車はゆっくりとスピードを緩め、門の前に止まった。

「家の前に誰かいるぞ」

 暗がりにたたずむ影に気がついて、先生は不審げに目を凝らした。影の高さからいって、パスカルではなさそうだ。

 料金を払って車から降りると、人影は僕たちに気がつき暗がりからこちらの方に歩き寄ってきた。

「ミッシェル」

 聞き覚えのある声に、僕は足を止めた。体の芯が、冷たく凍りついた。

「どうしてここに?」

 エリックの思いがけない登場に、僕の頭は混乱した。

「教えてもらっただろう。住所」

 そういえばそうだった。

「何、しに来たんですか・・・」

 したいようにしたのだからもう十分だろう?

「一言謝りたくて。俺、どうかしてた」

 エリックは見るからにしおれてで目線を落としている。

「すまなかった、ミッシェル。あんなつもりじゃなかったんだ」

 そう謝りながら、僕の方へ一歩踏み出してくる。

 僕は距離を保とうとあとずさった。

「帰ってください」

必死に声を引き出す。

「お願いだ。俺の話を聞いてくれ」

 そのまま背中を向けた僕を引きとめようと、僕の腕に手をのばした。

「話すことなんてないです」

 僕はその手を避けて、さらに彼から遠ざかる。

「怒ってなんかいませんから、今日のことは忘れてください。僕たちの間には何もなかった。それでいいじゃないですか。あなたが謝る必要なんかない。ここに来る必要もない。だから、帰ってください」

 僕はそう言って逃げるように門の中へ飛びこみ戸を閉めた。

「ミッシェル」

 エリックがもどかしげに戸を叩く。しばらくその音は続いていたが、外に出て行く気が僕にないことを悟って立ち去っていった。

 両手で耳を塞いでたたずんでいた僕は、ようやくほっと息をついて振り返った。

「今のは誰だ?」

 数歩離れた真近い場所に、先生が腕を組んで立っていた。

 鋭く冷えきった声が、僕をとらえる。

「誰だときいている」

 特別声を荒げたわけではなかったが、びくりと僕をすくませた。

「エリック。アパートの僕の部屋を使ってる人……」

 僕を見おろす先生の顔は無表情で大理石の彫像のようだった。でも、黒縁眼鏡の奥の深い藍色の瞳だけはめらめらと冷たい炎をたちのぼらせ、異様な光を帯びていた。

「そんな奴が何でうちに来る?」

「それは・・・」

 無理矢理僕を抱いたから謝りに来たとも言えず、僕は口ごもった。

「中に入れ」

 短く、抗いようのない声で先生は命じた。僕は小走りになって玄関のドアに飛びつき中へ入る。

 広い玄関ホールはしんと静かで、足元を確保するためにたった一つつけて出かけたランプの明かりだけが、寒々と僕らを出迎えた。影が長く、床の上にのびている、僕の背後で玄関のドアが大きな音をたててしまった。心臓がどきんと跳ねる。

 先生はドアに鍵をかけ、僕の方に歩き寄ってきた。

「これはどうした?」

 おもむろに僕の腕をつかんで目の高さにあげると、シャツの袖口をぐいっと引きあげた。

 手首を一周する赤黒い跡。

「こっちのは?」

 乱暴に僕の手を放し、両手で僕のシャツの襟元をつかんで左右に押し広げる。ボタンがはじけ飛び、床の上を転がっていった。

「あの男がつけたのか?」

 豪華な縁飾りがついた壁掛けの鏡に、僕の姿が映っていた。剥き出しになった襟元に、エリックがつけたキスマークが、くっきりと浮き出ていた。先生はさらにシャツの襟を引っ張って、ボタンを引きちぎる。

「他の跡もそうなのか?」

 上半身に点々と残る赤い跡を、先生はすわった目で見据えた。その視線に耐えられなくなった僕は、顔をそむけた。

「あいつと寝たのか?」

 どう言い訳しようがその事実は変わらない。

先生は冷たく目を光らせた。力任せに僕の腕をつかんでくるみ材のテーブルの前まで引きずっていった。

「両手をついて立て」

 背後に立つ先生の気配が恐ろしくて、僕はおとなしく言われたとおりにした。先生は僕の後頭部をつかんでテーブルの上に押しつけると、僕のベルトをはずしてズボンと下着を一気に膝のあたりまで引きずりおろした。

「!」

 慌てて起きあがろうとしたが、背中の上にのしかかられて顔もあげられない。

背後で身動きする気配のあと、腰をつかみあげられた。始めて入れられた時の痛みと恐怖がよみがえってきて、僕は言葉も出ず、体を強張らせた。

 怖い・・・

 手足が氷のように冷たい。重く、身動きできない。悲鳴は喉にからみついて声にさえならない。まだ無防備なままの入り口に、硬く熱いものが押しあてられた。

 いや・・・ああっっ!

 恐怖で気が狂いそうだった。みしみしっと押し広げられる音が、つっぱった首筋を伝って直接脳に響いた。引き裂く痛みに何度も悲鳴をあげたが、呼吸音がもれるだけで声にならない。足腰に力が入らずその場に立っていることもできない僕の腰をつかんで、先生は一気に奥までつきこんだ。

「あっ・・・ふっ」

 テーブルに片頬を押しつけられて突っ伏したまま、僕は息も絶え絶えに肩を上下させながらすすり泣いていた。しかし先生は、それだけでは許してくれず、さらに腰を大きく使いながら抜いて突き上げる動きを何度も繰り返した。

「もう・・・やめ・・・」

 先生は懇願する僕の声が聞こえなかったかのように、きっとひどく傷ついているだろう場所を情け容赦なく行き来した。

「ああーっ」 

意識が遠ざかっていく。

 目の前が暗くなり、何もわからなくなる。


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