パスカルの心配
「熱を出して寝てる?」
昼過ぎにやって来た画商のパスカルは応対に出た僕の説明を聞くと、ふっと顔をくもらせた。
「医者には診せたの?」
「いいえ。本人が嫌がって。でも、ぶり返すようなら無視することにします」
自然と語尾に気合がこもる。
「なかなかたのもしいじゃないか。先生にはこれからも大傑作を描いてもらわなければならないからね。今、会えるかな?」
「様子を見てきます」
さっき見たときは、気持ちよさそうに寝息をたてていた。
僕はドアに歩き寄ってノブに手をのばした。しかし、僕が開ける前に、勝手にドアが開いた。
「なんでお前がいるんだ」
パジャマの上にガウンを羽織った先生が、パスカルの声を聞きつけて部屋にやってきたにもかかわらず、わざわざ尋ねた。
「こんにちは先生。鬼の霍乱ですか?」
「誰が鬼だ」
先生が怒鳴る。
「たまたま来てみたら病気だと聞いたので心配していたところですよ」
「どうだかな。ミッシェル、お茶を入れてくれないか?」
顔色はまだ青白いが気分はよさそうだ。
高級茶葉のホワイトチップをブレンドしたアールグレイを準備する。お菓子はレモンの風味をきかせたフロマージュブランのタルト。
「君がここに来てからすっかりお茶好きになってしまったよ」
パスカルはそう言いながら、大量のミルクと砂糖をカップに入れスプーンでかきまわした。
先生は実に嫌そうにその作業をみつめ、カップを取りあげた。
「それで、絵の制作は進んでますか?」
先生の眉間にはしわが寄りっぱなし。
「まあ描いてる」
一口飲んで、ようやく表情がかすかに和らいだ。
「そうですか。最近は新作がなかったですから、買い手はすぐにみつかります。作風ずいぶん変わりましたね」
「そうか?」
先生はそっけなく返事をする。
「タッチや色使いが柔らかくなった気がします。前はもっと鋭くて暗い感じの、どっちかって言えばマニア受けする絵だったでしょう? 一言で言えば、理数系から文系になった感じです」
「何が言いたいのかさっぱりわからん」
「若手画家のカリスマも、年を重ねて少しはまるくなったってことですか?」
しみじみとパスカルは呟く。
「お前も俺を爺扱いか」
先生はすねた口調でむすっとした。
「それが悪いとは言ってませんよ。この前見せてもらったミモザの絵は、今までになかったロマンチックさがあって素晴らしい出来です。僕の店にしばらく置いて客寄せに使いたいですね」
パスカルはよほど気に入ったのか、熱意のこもった様子で身を乗り出した。
「あれを売るつもりはない。そう言っただろう」
先生は気難しげに断った。
「そろそろ気が変わった頃かと思ったんですけどね。しかし珍しいですね。自分の描いた絵に執着しない先生が」
パスカルはちらりと僕に視線を向けた。
「いい絵が描けたのは僕が探してきたモデルがよかったからですかね」
大量の砂糖入りの甘いお茶を平然と飲み干して、彼はカップをソーサーの上に置いた。
「その点は感謝している」
先生は素直にパスカルの言葉を認める。
「へえー。先生でも感謝することがあるんですね。今すぐ雪でも降るんじゃないですか?そういう気持ちが少しでもあるのなら、たまには僕の言うことも聞いてくださいよ」
「またその話か」
先生はうんざりした様子で腕を組んだ。
「僕は先生のことを心配しているだけですよ」
「心配って。どうせ金の卵を産むがちょうだとでも思っているのだろう」
「そうですよ。決まってるじゃないですか。先生は次々絵を描いて、僕はそれを売る。世の中そうやってうまくまわっていくものでしょう。一緒に出かけてくれますよね」
「いやだ」
先生は子供のようにむきになってそっぽを向く。
「何でそんなに頑固なんですか。病院を出て静かに暮らしたいというあなたの気持ちにうたれてここを世話しましたけど、約束を守れないようならあなたの居場所を明かすしかないですね。例えば、執念深いいとこ君とかに」
パスカルはすまし顔でぽつりと呟いた。
心の中の天秤を傾けている先生の様子を、ちらりちらりと盗み見る。
「いいだろう。一緒に行こう」
先生は見るからに渋々という感じで答えた。
「そうですか。それじゃあとっとと着替えてきてください。大先生にそんな格好でうろつかれたら、権威も何もあったもんじゃないですからね」
「いっそのこと燕尾服でも着ていくか?」
「僕はかまいませんよ。閉鎖病棟からお迎えがくるかもしれませんが」
先生はいまいましそうに立ち上がって部屋を出て行った。
「あの、パスカルさん」
「このタルトすごくおいしいね。ん? なに?」
口をもぐもぐさせながらパスカルは顔をあげた。
「あの。先生どこか悪いところでもあるんですか?」
「悪いところ?」
「先生のこと心配してるって」
それに以前、定期的にドクターに会うように言っていたような気がする。
「何も聞いてないの?」
尋ねられて僕はうなずいた。
「そうなんだ」
パスカルは二杯目に突入した甘いお茶をゆっくりすすった。
「一口で言えば営業だよ。営業。画家は人気が全てだからね。たまにはサービスしないと飽きられちゃうだろ。先生の一番の支援者はドクターだから、ついでに栄養剤でもうってもらってくるよ」
それはうれしいが、営業なんて先生が一番不得意そうな分野じゃないか。そんなことに気を使ったら、余計熱が上がりそう。
「あなたに任せて大丈夫なんでしょうね?まだ無理は・・・」
「悪いようにはしないよ。責任持ってお預かりするからそんな怖い目で見るのはやめてくれないか」
パスカルは首をすくめながら苦笑する。
「君はなかなかの拾い物だったな。よくやってくれているみたいだし。先生も気に入ってる。感じがクラウスに似ているせいかな」
「先生の弟さんに?」
「ああ。正しくは義弟だよ。先生の親が再婚してね。血のつながりはないから、先生とは似ても似つかないかわいい子でね。亜麻色の髪に水色の瞳をしてた」
だからか。先生が僕なんかに心を開いてくれたのは。
大事な弟と似ていたから、弱い部分を見せてくれた。ざんげのように告白された言葉は僕に聞かせたかったわけではなく、クラウスに向けられていて。僕を通していつもクラウスを見ていた。きっとそうなのだ。がっかりする反面、納得もしていた。先生みたいな人が僕を近くにおいてくれるなんてね。僕はそれでもいいんだ。むしろ、クラウスが僕に似ていたことを感謝したい。そうじゃなければ先生と出会うこともなかった。
「ミッシェル。先生のことを頼むよ。せいぜいおいしいものを食べさせて、機嫌よく絵を描いてもらってくれ」
「おい、何か余計なことを言っているんじゃないだろうな」
やって来た先生は剣呑な表情でパスカルを見た。
「何です? ペット厳禁の学生寮でこっそり捨て猫を飼っていたこととか?」
え?捨て猫?
意外に思って先生を見あげると、ため息交じりに額を押さえた。
「そういう話はいいから」
「他にもありますよ。美術学校の教授に・・・」
「さっさと行くぞ」
「待ってくださいよ」
足速に歩き出した先生をパスカルは慌てて追いかけた。




