三章 ENTER
学校から自宅に戻った俺は、すぐさま愉衣を連れて病院に向かった。
「えっ、病院? ちょっこのニュース終わるまで待って! 村おこしでアフロ祭り――」
そんな事を言っていたがアフロ祭りは心底どうでもいいので、無視して愉衣の手を引っ張って行った。
向かう途中でも、愉衣はしきりにニュースについて話していた。
「お兄ちゃん、アフロ……」
「まだ言ってるのかよ。どうでもいいだろ、つかアフロにする事なんて一生無いだろ」
「でも……」
どうやら、よっぽどアフロのニュースが気になっていたらしく、中断して病院に行くことがひどく不満げな様子だ。頭の導火線も心なしかしぼんで見える。
「しょぼむよぉ……」
「しょぼんでんじゃねぇよ!」
「でも……そうだ! お兄ちゃんがアフロにしてくれたら膨らむよ!」
「何でだよ、大体アフロに出来る程、髪の毛長くないぞ」
「私のしょぼんだ気持ちを、アフロで膨らませてよぉ……」
「いや、せめて自分の髪の毛でやれ」
「やだよ髪荒れるし、人にさせるから楽しいのに」
時折、本音を隠さない毒舌を発揮してくれる。
正直で無邪気だからといって油断してはいけないのだった。
「アフロに出来ないとか、お兄ちゃんの存在価値が八割引だよ……スーパーなら売れ残って放置されて廃棄される寸前だよ……」
八割引なんて見たこと無いんだが。
「その言葉、しょぼんだぞ……廃棄される前に買えよ」
「私だって、しょぼむよぉ……自炊するからいいよ」
そんな感じで、二人共しょぼみながら歩いていると病院が見えてきた。
「お、あそこだ」
「結構大きいねー」
無事病院に到着。愉衣の言う通り大きな市立病院だった。扉を通って早速受付に向かう。
しかし、どう説明したものか。ちゃんと受付でのやり取りも考えておけば良かった。
「あの、えーと、爆弾じゃなくて……」
俺の様子を見て、受付をしている年配のナースさんは眉間にしわを寄せていたが、
「ええと、石井さんにこれを渡して貰えますか? それでわかると思うんですけど」
と言って紹介状を渡すだけで、特に説明らしい説明無しでも納得してくれたようで、
「あぁ、石井先生の。受け付けましたので、椅子に座ってお待ち下さい」
と受け付けてくれたのだった。
良かった、どうやら取り次いで貰えそうだ。
それにしても、説明をしないでも受け付けてくれるという事は、石井先生とやらはこうやって紹介される事が多いのだろうか。途理先輩の紹介というのもあり、得体の知れなさを感じてしまう。
椅子に座っていると、愉衣が突然こんな事を言い出した。
「うー、もし私の体の中に爆弾が埋め込まれてたらどうしよう? 私まだ初潮も来てないのに帝王切開なんて、ヘヴィ過ぎるよ!」
いろんな意味でヘヴィだなオイ。ていうか、来てなかったのか……。
なんともいえない微妙な雰囲気に包まれながら少しの間、無言が続いた。
『日出さーん、日出愉衣さーん』
――やっとお呼びのようだ。
「ほら、いくぞ」
「お医者さんに聞いても、どうにもならないと思うよ?」
「どうにもならないかどうかを、検査するんだって」
椅子から立ち上がる。愉衣が俺に向けて手を出してきたので、引っ張って立たせてやる。
検査自体が不安なのだろうか、立ち上がっても手を離そうとしない。仕方ないので手を繋ぎながら診察室へ向かう事にする。
周りからはさぞ仲の良い兄妹に見えているのだろう。いや悪くはないけど。
診察室まで少しの距離、普段は愉衣に触れることなんて殆ど無いせいか、握った手の柔らかさと温もりが気になって仕方がなかった。
「照れてるの丸分かりだよ」
と、愉衣にからかわれる程度には。
「――なるほど、爆弾になってしまった、ね」
診察室で俺を待ち受けていたのは、石井と名乗るどこか加虐的な雰囲気を纏った、赤いメガネの似合う女医さんだった。
普通ではそんな事あり得る訳がない『人間が爆弾になった』という俺の言葉のせいなのか、冷ややかな視線を飛ばしてくれている。
しかも、視線は患者である愉衣にではなく、俺へ向かっていた。
そのまま見定められるようにして、無言の時が過ぎていく。
これは気まずい……。
――途理先輩、信頼できるお医者さんじゃなかったんですか、と後悔し始めた矢先に、
「全く、途理ちゃんはいつも変な患者を押し付けるんだから……」
そう言って、女医さんはやっと俺から視線を外してくれたのだった。
しかも途理先輩のことをちゃん付けなんて、やけにフレンドリーな呼び方だ。
「あはは……、驚かせちゃってごめんなさいね」
女医さんは取り繕うように苦笑する。
そこでようやく、女医さんの短髪に微妙なカールがかかっているなぁとか、髪型を気に出来るくらいの余裕が出てきた。
くいくい。
愉衣が俺の服の裾を引っ張っている。
何か言えという事なのだろう、急かされて俺は口を開く。
「ええと、検査して貰えるんですよね?」
「そうね、ならレントゲンでも撮っちゃいましょうか」
言われるままにレントゲンを撮る事になる。流石にこれで爆発はしないよな。
「愉衣ちゃんはこっちのレントゲン室に来てね」
柔らかな口調だった。愉衣の不安をほぐそうとしているのだろう。
「はーい」
二人が行ってしまったので一人で待つことになる。
手持ち無沙汰になってしまった。
なにやらレントゲン室からは、楽しげな声が聞こえてくる。内容までは聞き取れないが、どうやら打ち解けているみたいだ。
それから少し経って二人が戻って来た。
すると愉衣は俺の顔をみるなり、口の端を上げて言った。
「一人でさみしかった? 私が戻ってきて凄く嬉しそうだよ?」
「いや、別に……、ていうか寂しくなるほど時間かかってないだろ」
「まぁまぁ」
ぽんぽん、と肩を叩かれる。愉衣の表情は何処か満足げだった。何なんだ。
「えー、仲良くしているところ邪魔するようで申し訳ないんだけど、これを見てくれる?」
女医さんが見せてくれたのは、今しがた撮ったであろうレントゲン写真だった。
「最初は撮影の失敗を疑ったのよ、それで一度、撮り直してみたのだけどね、全部一緒だったのよ」
「全部一緒だった?」
何か問題があるかのように女医さんは言っているけど、爆弾らしい形の物が埋め込まれている訳でもなく、なんの変哲も無いレントゲン写真だった。
「あぁ、ごめんなさい。説明不足ね。私もこんなレントゲンを撮ったのは初めてで少し混乱してて、えーと」
女医さんは愉衣のとは別のレントゲン写真を取りだして、ボードに貼り付けた。
「これが普通の人のレントゲンね。一見同じに見えるけど、根本的に違うのよ」
その声は少し震えている。愉衣はそんなにおかしい状態なんだろうか。
「並べてみればわかると思うけど、全体の白さが全然違うのよ。信じられないけど、まるで体中が金属になってしまっているとしか、思えないくらいに――」
――体中が金属、だって? ちょっと待ってくれよ。
確かに俺は病院に来るときに、病院じゃ分からないって事を確認する為だと言った。
それでも心のどこかでは病院でなんとか出来るかもしれないと、期待していた。
だって、途理先輩の知り合いの医者だっていうんだから、それも仕方ないじゃないか。
「現代医学では、こんな事あり得ない事態で――」
女医さんが何かを言っているけど、俺の耳はそれを聞くことが出来ない。
現実的な証拠まで揃ってしまった――確かめてしまった。
俺のほうではなく、愉衣を見据えて女医さんは言う。
「――日出愉衣さん、機材の故障で無いのならあなたは今、全身が金属化しています」
現実の確認によって、わずかに残った楽観が切り捨てられる。
全身が金属って、どうしたら良いんだよ……。
思考が真っ黒に染まっていき、どうするどころか、何も考えられなくなる。
「へー、そうなんですか! ロボみたいで格好良いですね、私っ」
愉衣は、色付きのベルみたいに無邪気な声で。
「もしかしたら、進化論を覆す新しい人類のプロトタイプが私なのかも!」
女医さんは、愉衣のことを気が狂ってしまったとでも思ったのか、絶句している。
だけど、俺は愉衣が自分の感情に嘘をつけない事を知っている。
「そっか、それじゃ全身金属になるのも仕方ないな」
いつもの顔で笑い返してやる。
まったく、愉衣を助けようとしている俺の方が気後れするなんて情けない。
暗くなりかけていた気分も何処吹く風だ。
「診察、ありがとうございました」
俺はそう言って、愉衣の手を引いて帰ろうとする。
「あのっ、まだ他にも検査方法は――」
「いえ、十分ですよ。もう『わかりました』から。この事は他言無用でお願いしますね。その辺りは途理先輩の知り合いみたいなので信用してますが」
「勿論他言は絶対にしません。私も途理ちゃんにはお世話になっているし……」
「そういうことで、じゃ!」
このままでは長々と話し込んでしまいそうなので、会話を切って俺たちは診察室を出る。
病院に用はもう無いので、さっさと帰って別の対策を練らなければならない。
結局、状況は全く変わらなかったな。
――途理先輩なら愉衣が爆弾になってしまった、と言っても直ぐに信じてくれるだろう。最初に相談した時でさえ、現実だと見抜いて俺の事だと思っていたようだし。もしかしたら、直接的な解決策を知っている可能性だってある。
『夢想無双の自分語り』の異名は伊達じゃない。
その信憑性は、今の高校に入ってから二年間ずっと自分語りを聞き続けてきた俺が一番知っている。
だけど、直接そのまま話す事は避けたい。『裏向き』の理由もあるけど『表向き』の理由だって確かなものだから。いつ爆発するかも分からない爆弾になってしまった愉衣の傍にいるだけで、常に危険に晒される事になってしまう。
俺ならそんな事は全く構わない。家族だ。元に戻すと決めたから。
しかし、そうではない途理先輩を近づけて、最悪の結果を生む事だけは避けたい。
――あくまで相談止まり。
こう言うと語弊があるかもしれないが、先輩自身は至って普通の人間だ。
いくつもの武勇伝を持っているからといって、超人的な身体能力を発揮する訳でもなく、かといって魔法や超能力を使える訳でもない。
俺が先輩に自分語られてきた物語の中では、共通している事がある。
それは、先輩は人間の能力の範疇内で、機転を利かせたり発想や運によって武勇伝を積み上げてきた、という事だ。
行く先々で出会った仲間達が、普通の人間の範疇を超える能力を持っていたとしても、先輩自身にそういった力が身に付いていた事は一度としてなかった。
そんな途理先輩がいるからこそ、相談をすれば必ず道が見つかると信じている。
途理先輩が非日常を駈け抜けてきたように、俺だって駈け抜けてやる。
決意を新たにしながら、愉衣の手を引いて病院を出た。
愉衣の手は、診察前と同じように暖かく柔らかかった。
とてもじゃないが、全身が金属になってしまっているとは思えなかった。
「お兄ちゃん」
「何だよ?」
「これからは私のこと、キカイダーって呼んでもいいよ」
「縁起でも無い!」
「うん、強がりの演技でも無いよ! だからそんなに心配しないでいいよ」
逆に気遣われてしまった。それでも、俺は強がって返事をする。
「ああ、心配するだけじゃなくて、何とかしてやるからな」
もう日も暮れ始めた帰り道、俺たちは繋いだ手を離さなかった。
こんな風に、一緒に家に帰るのはいつぶりだろうか。本当に久しぶりだ。
病院以外には別段用事もないので真っ直ぐ家路を進んだ。
そうしていると、ふと急に暗くなった気がして、空を見上げた。
そこにはオレンジ色の夕日くらいしか無いだろうし、それを確認する為の徒労になるはずだった、だけど。
「なんか降ってきそうだな」
そんな言葉と共にため息を吐いてしまう。雨雲が出始めていたのだ。
「急いだ方がいいかも?」
「濡れたら濡れたで不発弾になったりしてな」
「ええっ! 風邪ひいちゃったら、くしゃみで爆発しちゃうかもしれないのにー」
「なら急いで帰るぞ!」
「うんっ」
早歩きになりながらも、手は離さない。
転んで爆発したりしないかなんて心配もあったのだけど、でもそれとは別に、何となくその手を離す気は起きなかった。
ともかく、まずは明日、部室で先輩に会う事からだ。