衝突
暗い竹やぶの中を、一人の少年は進んでいた。
人の姿はどこにも見受けられない。少年が地を踏みしめる音だけが耳に聞こえる。
少年は立ち止まろうとせず、ただ前へと進み続けた。辺り一面が竹やぶという変わり映えしない景色の中を一歩一歩進んでいく。
そんな時が風景の中を、一体どれぐらい進んだか。遠目にとある建物が見えてくる。
それは、立派な屋敷だった。かやぶきで作られてた屋根に入り母屋造りの建築という、趣のある屋敷である。
入り口の左右には火が灯されており、一部の空間を明るく照らしている。
入り口には一人の女性が立っていた。少年はその女性の元へ駆け寄り、ひしっと体に抱きついた。
髪を三つ編みにした女性は少年の頭を撫でながら、優しく声を掛ける。
「おかえりなさい。鏡矢」
◇ ◇ ◇
「ご主人様。そろそろお時間です。起きてください」
セーラの声で鏡矢は目を覚ました。鏡矢はベッドから体を起こして欠伸を一つ零す。
枕元の時計へ視線を向けると、時間は七時十五分を指していた。
「起こしてくれなかったのか?」
三十分後に起こしてくれと頼んでいたが、鏡矢が眠りについて既に一時間経過している。
不満や怒りと感情などなしに、ただの疑問として鏡矢はパートナーのセーラへと尋ねる。
「はい。気持ちよさそうに寝ていらしたので。夕食終了時間である八時まで四十五分あります。ご主人様が食事を完食なさる時間は平均で二十分なので問題ありません」
セーラが睡眠時間を延ばしたのは鏡矢を気遣ってくれたがゆえだ。今日の任務で多少ながら疲労していた鏡矢だが、一時間睡眠を取ったら疲労感が消えていた。
思いやりのあるパートナーに鏡矢は微笑みかける。
「……そうか、気遣ってくれてありがとう」
ベッドから下りて洗面所へ向かい、手早く顔を洗う。
服のしわを整えて、鏡矢は食堂へ向かうために部屋を後にした。
食堂は五階建ての男子寮の三階にある。どの階からも行きやすいようにと配慮されて作られた食堂は大勢の生徒を導引しても大丈夫なように広く作られている。
食堂へと足を踏み入れると、食事を済ませたのであろう男子生徒達とすれ違う。楽しそうに談笑する彼らを横目に、鏡矢は券売機の前に歩みを進める。
醤油ラーメンとかかれたボタンを押し、小さい画面に表示された金額の小銭を入れる。出てきた食券を手に取り、カウンターにいる女性へとそれを渡す。
一分後には醤油ラーメンが運ばれてきた。受付の女性に一礼して、鏡矢は端の席に腰を下ろす。
鏡矢はパチンと割り箸を割って両手を重ねた。
「いただきます」
食への感謝を忘れず、鏡矢は醤油ラーメンにありつき始めた。
麺を啜りながら、周りに視線を移してみる。終了時間三十分前だからか生徒の姿はまばらだった。
「おい、お前。そこは俺の席だ。さっさと別の席に移れ」
声の方向はこちらへと向けられている。そして、自分の周りには一人も生徒はいない。
以上の事から自分が呼ばれているのだと理解し、鏡矢は声の方向へと目を向ける。
筋肉質な体つきの男性が少し離れた位置に立っていた。上履きを見ると、二年生を意味する黄色のラインが入っている。その男はずんずんとその場から移動して鏡矢の傍らに立った。
箸を動かすのを止め、租借していた物を飲み込んで鏡矢は答える。
「席はたくさん空いてますよ。他の席に座ったらどうですか?」
「ああ? そこは俺の特等席なんだよ。つうかてめえ一年生だろうが。上級生に生意気言ってんじゃねえよ。どけって言ったらどけ!」
面倒なのに絡まれたと内心で思いながら、気にせず箸を動かして麺を啜る。
上級生だからといってどいてやる必要はない。先に座ったのは鏡矢なのだから、後に来た男が別の席に座れば済む話だ。
そんな鏡矢の態度に憤りを覚えた上級生は、座っている鏡矢の胸倉を掴み、無理やり立ち上がらせる。
「喧嘩売ってんのか? ガキが調子こいてんじゃねえぞ!」
「…………」
臆する事なく、静かに鏡矢は上級生の男を見据える。
青筋を立った上級生は、胸倉を掴んでいないもう片方の手で鏡矢に殴りかかった。
しかし、その拳が鏡矢を捉える事はない。
足払いで体勢を崩され、拳の軌道がずらされる。鏡矢は空振ったその腕を右手で掴み、右側に強く捻りを加えた。
「いてててててて!」
情けない声を上げる上級生。鏡矢はどんどん加える力を強めていく。
「わ、悪かった! 俺が悪かったからその腕を放してくれ! ひ、引き千切れるううう!」
言われた通り手を離すと、上級生は地面に尻餅をついた。慌てて体勢を立て直し、
「お、覚えてろよ一年坊主!」
そんな捨て台詞を吐いて食堂を去っていく。
(……食事していかなくて良かったのか?)
何の為に食堂に来たのかよく分からない上級生を見送って、鏡矢は椅子に座り直す。
「いや~、中々の手捌きだった。上級生相手に良い度胸してるな」
振り向くと、うどんの乗っているトレイを持った男が立っていた。ツンツン頭に勝気な瞳、それでいて人懐っこい笑みを浮かべるその男は、鏡矢に許可を取らず正面の席に座る。
「俺の名前は村雨樹。お前とおんなじ一年生だ。よろしくな!」
「……高天原鏡矢だ。よろしく」
差し出された手に応じるように、鏡矢は村雨と握手を交わした。