終幕
グリーンパーク爆破事件の真相は事件が起きて五日経過した今も分かっていない。
メディアなどではテロ組織による攻撃という事で一応収まっているが、事件の深部に関わっている鏡矢にはもやもやとした何かが残っていた。
黒幕の存在は分からず、自分は入院。鏡矢を狙ってきた殺し屋達を撃退する事には成功したが、事実としては何の解決にもなっていない。
ベッドから窓の外を覗く。空は、鏡矢の心同様に曇っていた。
「朱い月を使った事を悔いているのですか?」
普段は身につけられているインテリジェント・デバイスのセーラは、現在枕元に置かれていた。画面を点滅させ、浮かない顔をしている主へと話しかける。
「……ああ」
仲間を助ける為とはいえ、自分が戒めていた力を使った事への不快感は拭えない。
毛布をぎゅっと握り、鏡矢は悔しげに下を向いた。
そんな時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。「失礼します」という聞き覚えのある声と共に、彼女は病室へと足を踏み入れる。
「……久しぶり、神崎さん」
表情を微笑へと変えて、鏡矢は神崎へと視線を向ける。
「一時間早く来ていれば良かったね。村雨や瓜生さんもここに来ていたんだよ」
「え? そうだったんですか?」
神崎が来る一時間前に、村雨と瓜生は鏡矢のお見舞いにやってきていた。お見舞いしにきた割には、持ってきた果物を自分達で食べ始めてしまったり、バシバシ怪我をした場所を叩いたりしていたが。
事件以降、村雨達と仲良くなったらしい神崎は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「みんな、鏡矢さんが大好きなんですね」
「うーん、どうなんだろうな」
そうだね、とは自分では言い難いので、鏡矢は曖昧に神崎へと返答した。
ベッドの傍にある椅子に腰掛け、神崎は鏡矢に体を向ける。
「体調はどうですか?」
「うん、傷の治りは順調だよ。もう少ししたら退院できる」
「そうですか。鏡矢さんが退院したら、今度は瓜生さんや村雨さんとも一緒にどこかへ出かけたいですね」
「そうだね。その時はみんなで相談して決めようか」
退院後の話をしてから、二人の間に会話は無くなった。しかし、それは決して気まずい沈黙などではなく、心地の良い静寂だった。
そんな静寂の中、神崎はグリーンパークで思った事を口にする。
「……鏡矢さんは、どうして追い詰められてからあの赤い目を使ったんですか? 最初から使っていれば、怪我を負ったりは……」
彼女の表情が、どこか申し分けなさそうなものになった。言った後に、言うべきではなかったと後悔しているのだろう。
鏡矢はそんな彼女に優しく笑みを浮かべ、自分の手元へと視線を落とした。
「……前の君と同じだよ。俺は、自分の能力が恐ろしいんだ」
布団をぎゅっと握りながら、鏡矢は無表情に言葉を紡ぐ。
「俺はあの時、仲間を守るために『朱い月』を使った。けど、村雨や瓜生さんは、俺の事を恐ろしいと思ったかもしれない。……俺はもう嫌なんだ。この力のせいで、誰かに恐れられることが。そして、誰かを傷つけてしまうことが」
少し前に、鏡矢は神崎に言った。自分の能力と向き合わなくてはならないと。
(能力と向き合っていないのは、俺も同じだったという事か)
能力を使わないために体を鍛え続けた。幼少からの長きに亘る鍛錬のおかげで、鏡矢は『朱い月』を使わずとも能力者と渡り合えるようになった。しかし、それはただ、自分が能力を使わないで済む方法を見出しただけで、根本的な解決には何一つなっていなかった。
それを知って、鏡矢は顔を俯かせた。
(神崎さんは、俺をどう思っているんだろうか?)
彼女も、心の中では恐れているのかもしれない。そう思うと、彼女の顔を見るのが途端に怖くなった。
わずかな静寂の後、鏡矢は自分の手を包み込む温かな感触に顔を上げる。
神崎が、鏡矢の手を優しく握っていた。
「私には、鏡矢さんの能力をどうする事も出来ません。……だけど、傍にいる事なら出来ます。私だけじゃないですよ。村雨さんも瓜生さんもです。鏡矢さんが能力を使いたくないのなら、私達が力になりますから」
「……神崎さん」
こみ上げてきていた不安が徐々に消えていく。鏡矢の胸に、ジンとくるような温かさが広がった。
(いつまでもこのままではいけない。向き合わなくては、自分の能力と)
そう心に決めた時、曇り空の間から日が差した。病室へと差し込んだ太陽の光が、鏡矢と神崎の二人を包み込みこんだ。
◇ ◇ ◇
ガラス張りの窓の外を準指令、来栖修二郎は眺めていた。
暗くなった街を、建物や車のライトが照らしている。それはとても幻想的で、美しい景色だった。
「来栖様。どうしてあのような無法者達に、高天原鏡矢を殺すよう指示なされたのですか?」
窓の外を眺めている彼の後ろに立っているのは、女性用のスーツに身を包んだ女性、天音凍花である。
天音は、自分の仕えている人物の行動の意味を問うた。
「殺すように指示はしましたが、その実、私は彼らが高天原鏡矢を殺せるとは全く思っていませんでした」
「では、どうしてそのような指示を?」
夜景から視線を外し、来栖は微笑を浮かべながら振り向く。
「彼の能力が知りたかったのですよ。レベルSの能力は、発現されたケースが指の数よりも少ない。高天原鏡矢の能力の全貌が明らかになれば、能力研究開発を更に発展させる事が出来るかもしれませんからね。おかげで、彼の能力がどのようなものか分かりました。まさか、彼の宿す能力が魔眼だったとは。ふふっ、やはり君は面白い。高天原鏡矢」
微笑を浮かべて語る彼の表情は、一見すればいつも通りに見える。しかし、天音は彼の目に宿る光が怪しく輝いているのを見逃さなかった。
彼の行動は、国を守る者に相応しくないものに違いない。SCGの総司令が聞けば、即刻来栖を処分するだろう。
だが、天音は来栖の返答を聞いて、ただ頷いただけだった。
天音にとっては、主の言葉こそが全てだ。それが例え許されざる事なのだとしても、天音の忠誠心が揺らぐ事はない。
窓ガラスに水滴が跳ねる。徐々に振り出した雨は、やがて窓ガラスに映る二人の姿を滲ませた。