罪として転生した少年は、自分が何者なのか知りたい
罰なんてものは、きっとこの世のどこにも存在しない。
罪だけが、ぐるぐるとこの世界を巡り、そしてどこかへ行き着く。
人間も、神も。
その行き着く場所を知っている者はいない。
◇
「聞いてください。私は罪を犯してしまいました」
男は、神父の前で俯いていた。
「あのお方は、それはもう傲慢で、横柄で……私のことを下に見て、ただ働きをさせていました」
男は自分が受けた仕打ちを、一つずつ語っていく。
どれも酷い話だった。 男がどれほど苦しんできたのかは、神父にも分かった。
そして最後に、男は言った。
「だから、私はあのお方を殺しました」
神父は黙って男を見つめる。
「私は間違っていないのです。あのお方は、死んで当然のお方でした」
「……それでも、あなたは罪を犯しました」
「はい」
「ならば、神に祈りなさい」
神父は男に告げた。
「あなたが心から悔い、神に許しを求め続けるのなら、きっと神はあなたをお救いくださるでしょう」
「では……私の罪は消えるのですか?」
「ええ」
神父は頷いた。
「神に許しを求め続ければ、罪は消えます」
男は泣きながら何度も頷いた。
「ありがとうございます」
男は教会を出ていった。
自分は救われた。そう信じて。
◇
(一年後)
俺は森の中にいた。両親はいない。元からいなかった。人間は、男と女から生まれる動物だ。なのに、俺には両親がいなかった。
俺は、人間だ。
たぶん。
「お恵みをいただけませんか?」
森の中を歩いていた二人の男女に、俺は声をかけた。
二人とも立派な服を着ていて、馬に乗っている。
俺が話しかけると、二人は馬から降りた。
「こんなところに、君一人なのかい?」
「はい。一人でございます」
「家族は?」
「おりません」
「名前は?」
「ありません」
男は少し困ったような顔をした。
女は、じっと俺を見ている。
まるで、俺という存在そのものを観察しているようだった。
「言葉はどうやって覚えたんだ?」
「知っておりました」
「知っていた?」
「生まれたときから知っておりました」
「……そうか」
男は不思議そうに笑った。
「君は、これまでどうやって生きてきたんだ?」
「通りかかった方に、お恵みをいただいております」
「そうか」
男は少し考えた。
「実は、ちょうど手伝いが欲しかったんだ。うちに来ないか?」
女がすぐに口を挟んだ。
「お金を少し渡せばいいでしょう。こんな汚らしい子を家に置く必要なんて、」
「いいじゃないか」
男は穏やかに笑った。
「君は一人なんだろう? なら、うちに来ればいい。食事も服も用意しよう。その代わり、しっかり働いてくれればいい」
「よろしいのでしょうか?」
「ああ」
男は手を差し出した。
「私はトマスだ」
「俺は……」
俺は少し考えた。
「名前がありません」
「なら、これから考えればいい」
俺はその手を握った。
こうして俺は、初めて人間の家に住むことになった。
◇
トマス様の家に向かう途中、俺は馬に乗せてもらった。
「馬に乗るのは初めてかい?」
「はい」
「怖くないのか?」
「いいえ」
俺は不思議だった。
馬に乗るのは初めてなのに、どうすればいいのか分かる。
体をどう置けばいいのか。
どこを掴めばいいのか。
どうすれば落ちないのか。
全部、知っている。
「何かに乗るというのは、初めてです」
「そうか」
「ずっと、何かを乗せている側でしたので」
トマス様は、少しだけ笑った。
「変わったことを言う子だね」
俺は前を向いた。馬が歩く。景色が後ろへ流れていく。
木々が少しずつ減っていく。
やがて、街が見えてきた。
木でできた家。
石でできた家。
道を歩く人々。
荷物を運ぶ人。
走り回る子供。
俺はそれらを眺めていた。
「人がたくさんいますね」
「ああ。ここが君の暮らす街だ」
俺は街を見つめた。知らない場所だった。
なのに、なぜか懐かしい気がした。
◇
トマス様の家で暮らし始めてから、四か月が経った。
俺は掃除や洗濯、食事の準備などを覚えた。
トマス様は優しかった。
分からないことを聞けば教えてくれる。
文字も教えてくれた。
俺にとって、初めてできた家族のような人だった。
ただ一人。
マリー様だけは違った。
「マリー様、おはようございます」
「……」
俺が挨拶をすると、マリー様は舌打ちした。
「あなたは、ここで食べないで」
「ですが、まだ食事をいただいておりません」
「知らないわよ」
どうして俺は、こんなにも嫌われているのだろう。
理由は分からなかった。
けれど、最近のトマス様とマリー様の関係も、以前とは違っていた。
二人が話すことは少なくなった。
トマス様が教会にいる時間も増えた。
俺には、それがなぜなのか分からなかった。
ある日の朝。
トマス様が出かけたあと、マリー様に腕を掴まれた。
「あなたのせいよ」
「何がでしょうか?」
「あんたが来てから、夫がおかしくなった」
「俺が?」
「そうよ」
マリー様は俺を睨んだ。
「あんたは悪魔なのよ」
「俺は人間です」
「嘘!」
マリー様は叫んだ。
「あんたみたいなものが、普通の人間なわけないでしょう!」
俺は言い返せなかった。
自分でも分からないからだ。
俺は、本当に人間なのだろうか。
◇
その日、俺は部屋に閉じ込められた。
しばらくすると、下から騒がしい声が聞こえてきた。
そして扉が開く。
そこには、マリー様と一人の神父がいた。
「この子です」
マリー様が俺を指差した。
「この悪魔を祓ってください」
神父は俺を見た。
しばらく黙ってから、首を横に振った。
「奥様。あれは悪魔ではありません」
「では何なのです?」
「……私にも分かりません」
俺は神父に尋ねた。
「神父様」
「なんでしょう?」
「俺は何者なのでしょうか?」
神父は黙った。
「俺には両親がいませんでした。生まれたときから一人でした」
「……」
「俺は、人間なのでしょうか?」
神父は答えなかった。
「神父様は、神のお力を借りられるのですか?」
「ええ」
「トマス様から聞きました。罪を許してくださるのですよね?」
「……そうです」
「ならば、俺の罪が分かれば、俺が何者なのかも分かるのでしょうか?」
神父は俺を見つめた。
やがて、静かに言った。
「教会へ行きなさい」
「教会?」
「そこに、一人の男がいる」
「どんな人ですか?」
「以前、自分を雇っていた地主を殺した男だ」
俺は黙った。
「彼は神に許しを求めた」
神父は続けた。
「だが、君はここにいる」
「……」
「ならば、その男に会いなさい」
「会えば、俺が何者なのか分かるのですか?」
「きっと、何かが分かる」
俺はマリー様を見た。
「マリー様。俺を外へ出していただけますか?」
「……何を言っているの?」
「俺は、自分が誰なのか知りたいのです」
マリー様は何も答えなかった。
俺は神父を見る。
「行きなさい」
神父は言った。
「君が知りたいのなら」
◇
教会には、一人の男がいた。
痩せていて、服も古い。
男は祭壇の前で祈っていた。
「神様。どうか、私をお許しください」
俺は男を見つめた。
初めて見る男だった。
なのに。
なぜか、胸の奥がざわついた。
「すみません」
男は振り向かなかった。
「すみません」
もう一度声をかける。
男がこちらを見た。
「……なんだ?」
俺には、分からなかった。
この人は誰なのだろう。
けれど。
この人を知っている。
そんな気がした。
「君、どうしてここにいるんだ?」
トマス様が教会の奥から現れた。
「トマス様」
俺は言った。
「俺は自分が何者なのか知りたいのです」
「ああ」
「この人に会えば分かると聞きました」
トマス様は男を見た。
そして俺を見た。
「……そうか」
トマス様は男に言った。
「もう一度、祈ってもらえますか?」
「え?」
「お願いします」
男は困った顔をしたが、祭壇の前へ戻った。
俺は入口に立った。
男が祈り始める。
しばらくして。
「……トマス様?」
「なんだ?」
「俺、少し大きくなっていませんか?」
トマス様は目を見開いた。
「……やっぱり」
「何がですか?」
「君は、さっきより背が高くなっている」
俺は扉の取っ手の横に立った。
確かに。
拳一つ分ほど、身体が大きくなっている。
「どうして……?」
トマス様は答えなかった。
祈りを終えた男がこちらへ戻ってくる。
「もういいですか?」
「ああ。ありがとう」
トマス様は男を帰した。
そして。
俺の前に立った。
「君は、本当に自分が何者なのか知りたいのか?」
「はい」
「後悔するかもしれない」
「それでも知りたいです」
トマス様は、俺の目を見つめた。
「なら、教えよう」
長い沈黙のあと。
「君は――あの男の罪だ」
◇
「罪?」
「ああ」
俺には意味が分からなかった。
「罪は消えない」
トマス様は言った。
「人間は罪を犯す。そして神に許しを求める。だが、それで罪そのものがなくなるわけではない」
「では、俺は?」
「君は、罪が形を変えた存在なんだ」
その言葉を聞いた瞬間。
頭の中に、何かが浮かんだ。
知らないはずの記憶。
誰かの怒鳴り声。
苦しい生活。
自分を見下す男。
そして。
あの男。
「……ああ」
俺は頭を抱えた。
「俺は……」
思い出した。前世の記憶。俺は人間だった。あの地主に酷い扱いを受けていた。
そして。
俺は罪を犯した。
「俺は、人を殺しました」
トマス様が息を呑む。
「俺は……罪を犯した」
涙が出てきた。
「だから、俺はここにいるのですね」
トマス様は答えなかった。
「先ほどの男を連れてきてください」
「……分かった」
◇
男が戻ってきた。
「何なんだよ。何度も呼び出して」
俺は男の前に立った。
「俺は、あなたの罪です」
「は?」
「あなたが犯した罪が、俺なのです」
「馬鹿なことを言うな」
男は俺を睨んだ。
俺は、それでも男を見る。
「あなたが背負うべきものです」
男は何も言わない。
「あなたが神に許しを求めても、罪は消えません」
「……」
「俺が死ねば、きっとあなたのもとへ戻ります」
男の顔から、少しずつ表情が消えていった。
「俺は、あなたの罪です」
自分でも、なぜそんなことを言っているのか分からない。
ただ。
言わなければならない気がした。
「人間は、罪を背負って生きていくしかないのです」
俺は男を見つめた。
「だから、俺を見てください」
◇
そのときだった。
教会の扉が開いた。
「悪魔よ!」
マリー様だった。
「やっぱり、あなたは悪魔だったのね!」
「マリー様……」
「夫を騙して、私の人生までめちゃくちゃにして!」
後ろから神父も入ってくる。
「奥様、落ち着いてください!」
しかし、マリー様は俺を見つめていた。
その目には恐怖と怒りが混ざっていた。
「あなたさえいなくなれば!」
俺の身体から、力が抜けた。
そして。
足元から、少しずつ身体が崩れていった。
「……え?」
痛くはなかった。
砂のように。
俺の身体が、少しずつ消えていく。
「やっぱり悪魔だったのよ!」
マリー様が叫んでいる。
俺は、そんな彼女の声を聞きながら。
最後に、あの男を見た。
男は、床に座り込んでいた。
俺が背負っていたものが。
もう、戻り始めているのかもしれない。
俺には、確かめることができなかった。
俺の身体は、すべて砂になった。
◇
一年後。
「神様。私は、あの悪魔を倒しました」
マリーは教会で懺悔していた。
「私の夫を苦しめていた悪魔を、追い払ったのです」
神父は黙って聞いている。
「なのに、夫は元に戻りません」
「……」
「なぜですか?」
マリーは泣きながら尋ねた。
「あの子がいなくなれば、すべて元通りになると思っていたのに」
神父は静かに答えた。
「あの子は、悪魔ではありません」
「では、何だったのですか?」
「あれは――罪です」
マリーは黙った。
「罪は消えません」
「でも、神に祈れば……」
「人に許されることはあるでしょう」
神父は言った。
「しかし、罪そのものが消えるわけではありません」
「では、私はどうすれば……」
「悔やみなさい」
「何を?」
「自分の行いを」
マリーは俯いた。
「罪は、いつか戻ってきます」
神父はそう言った。
「どれほど遠くへ行っても、どれほど形を変えても」
「……」
「罪は、消えないのです」
◇
一年後。
道端で、一人の少年が寝ていた。
「君、こんなところで何をしているんだ?」
通りかかった男が声をかける。
少年は目を開けた。
「お恵みをくださいませんか?」
「親はいないのか?」
「分かりません」
「名前は?」
「分かりません」
「では、どうやって生きている?」
少年は少し考えた。
「それなら、知っています」
「何を?」
「人の罪をもらって生きるのです」
男は不思議そうな顔をした。
「人の罪を?」
「はい」
少女は笑った。
「優しい人の罪を、ほんの少しだけ背負って生きるのです」
「……そうか」
男は少女を教会へ連れていくことにした。
「教会へ行けば、君が何者なのか分かるかもしれない。俺は、教会で神父をやっているのだ」
「私が何者なのか?」
「ああ」
少女は少し考えた。
「知りたいです」
「どうして?」
「自分が何者なのか分からないまま死ぬのは、嫌ですから」
少女は男について歩き出した。
その先には、教会があった。
罪を告白する場所。
罪を許してもらう場所。
そして。
罪が、また新しい姿になる場所。
罰なんてものは、きっとこの世のどこにも存在しない。
罪だけが、ぐるぐるとこの世界を巡っている。
そして今日もまた。
どこかで、誰かの罪が生まれる。
他のも見てね。
これは、以前投稿した「人はなぜ罪を繰り返すのか」という作品の文学的な雰囲気を薄めたものです。
もしよかったら、そっちも見てほしいです。




