婚約者に卵をぶつけたら、腐った何かが溢れました
わたくしの人生は、どうしてこうも悲しいのでしょう。
王太子の婚約者として、幼い頃から厳しく育てられ、やっともうすぐ妃にと思いきや──
たった今、公衆の面前で、王太子殿下に婚約破棄を突きつけられてしまったのです。
殿下がお選びになったのは、わたくしとは真逆の、可愛らしい小動物のようなご令嬢でした。
ええ、とうにわかっておりましたわよ。
殿下がわたくしのことを好いていない……いえ、嫌っていることに。
わたくしたちは大変相性が悪く、お茶を飲み終えるタイミング一つ取っても合いませんでしたもの。距離を縮めたい一心でわたくしが笑いかけても、殿下は不機嫌なお顔をされるばかりでした。
一方、学園で例のご令嬢と接する時の殿下は、同じ人とは思えないほど柔らかな笑顔を浮かべていらっしゃいました。
彼女を側妃に迎え入れるおつもりならば、婚姻後は速やかに後宮の受け入れ体制を整えなければと、そんなことを考えていた矢先の婚約破棄宣言だったのです。
ね? 最悪でございましょう?
宰相の父と王家の血筋の母を両親に持ち、妃教育の成績も非常に優秀な侯爵令嬢を、正当な理由なく婚約破棄することなどできません。ですが王太子殿下は、その正当な理由を見事に作り上げてしまいました。
嫉妬に狂い、例のご令嬢を虐めた上殺めようとした。そんな嫉妬深い女では後宮を束ねられないし、こんな残酷な女では未来の王妃にはなれないと。
全く身に覚えのないことではございましたが、証人とやらがわらわらと出てきて、平然と嘘を語り始めます。知っている顔から知らない顔まで──
目の奥を見れば、明らかに彼らが嘘をついているとわかるのに、どなたも彼らの上辺だけしか見ようとしません。
それはそうですよね。わたくしのことも上辺しか見ようとはしないんですから。
『血の通わぬ冷たいビスクドール』
ええ。陰でそう呼ばれていることくらい知っています。幼少期から、感情を抑えろと厳しくしつけられたものですから。青白くツンとした容姿と相まって、悪役に仕立て上げるにはもってこいでしょう。
運悪く、宰相は海外に視察に行かれお留守です。王太子殿下はこの時を狙ったのでしょう。ここぞとばかりに、お父様と敵対している一派と共謀して、わたくしを婚約者の座から引きずり下ろそうとしています。
こんなこと、決して許されるべきではないのに、頼みの綱の国王陛下は、息子可愛さにおろおろと状況を見守るばかりです。
王太子殿下の腕には、我が物顔でしなだれかかる例のご令嬢。うるうると潤んだ、その瞳の奥の本性に気付いたわたくしは──
平民ふうに申し上げるなら、プツンとキレてしまいました。
婚約破棄されたのは、我が国のとある神聖なお祭りの真っ最中。場所は王宮の庭園でした。
わたくしは柔らかな芝生の上に視線を落とし、何か落ちていないかと探しますが、そこはさすが王宮。丁寧に手入れされている草の上には、石ころひとつ落ちていません。
視線を上げ、今度はテーブルの上を見ますが、どれもこれも怒りをぶつけるには適さないものばかりです。だって、食べ物を粗末にするのは許せないことですし、グラスやお皿にも職人の魂が込められているでしょう?
うーんと辺りを見回していると、ある煌びやかなものがわたくしの目に飛び込んできました。
これですわ!
わたくしは大股で祭壇に近付くと、黄金に輝く卵の山から一つを掴み、王太子殿下目掛けてぶん! と投げました。
グシャッ!!
卵は見事な放物線を描き、殿下のお顔に命中しました。
粉々に割れた殻からは、水っぽい中身がダラリと溢れ、辺りには強烈な腐敗臭が漂い始めます。
……え? 腐敗?
周りのみなさんも、わたくしと同じ疑問を抱いたのでしょう。
うえっと嘔吐く王太子殿下を、口で息をしながらぽかんと見つめていらっしゃいます。
情けないことに、護衛らもぽかんとしており動く様子がないので、わたくしは試しにもう一つ卵を投げてみることにしました。
グシャッ!!
あろうことか、殿下は逃げようとする例のご令嬢を捕まえて、ご自分の盾にされました。
卵はご令嬢のまな板のようなお胸に命中し、これでもかと盛られたピンクのフリルに、腐った中身が広がってしまいました。
「ぼぉえぇ~!!」
令嬢らしからぬ声で嘔吐いていらっしゃいますが、仕方がないと思います。だって、こんなに強烈な臭いなんですもの。
殿下ったら、ご自分も臭いくせに、なんとご令嬢を突き飛ばしました。ありもしない罪をでっち上げてまでわたくしを責めるくらい愛している方のはずなのに、ハンカチを差し出すこともしないなんて。
いつもいつもご自分のことばかりで、本当に呆れてしまいますわ。
それにしても……なぜ卵は腐っているのでしょう。
おまけにもう一つだけ手に取り投げてみれば、それは殿下の大切な場所に当たってしまいました。
あら、いけない。手元が狂ってしまったようです。
殿下はその場所を両手で押さえながら、卵に濡れた顔を上げ、わたくしをキッと睨みつけました。
「おえっ! ぼぉぅえっ……きっ、貴様、よくも……ぼぅえっ!!」
あらあら、 まだ婚約者であるわたくしに対し、貴様呼びはいけませんわね。
まあ、神聖なお祭りで尊い王太子殿下に聖なる卵をぶつけた犯罪者ですから。お前でも貴様でも別に構いませんけれど。
牢に入る前に、なぜ卵が腐っているのかだけは教えていただきたいですわ。
喋ったせいで、卵がお口に入ったのでしょう。
内股でしゃがみこみ、ペッぺと唾を吐く殿下の元に、わたくしは向かいました。
思わず笑ってしまいそうになる口元と、曲がりそうな鼻を絹のハンカチで優雅に覆い、情けないお姿を見下ろします。
そして、上品にお尋ねしました。
「王太子殿下、なぜ腐るはずのない卵が腐っているのでしょうか? 聖卵祭の祭司であられる殿下の口から、ぜひみなさんにご説明願います」
聖卵祭──
それは、五年ごとに執り行われる、我が国の重要な儀式であり、神聖なお祭りでございます。
我が国を治める君主──つまり国王陛下の世継ぎである王太子が祭司となり、聖なる卵を媒介に、国の繁栄と民の幸せを神へ祈るのでございます。
聖なる卵とは何か。それは、祭司が創る特別な卵のことです。
神に認められた方が、供物として神殿に捧げられていた卵に触れると、殻が黄金色に変化し、決して腐ることはありません。
言い替えれば、聖なる卵を創り出せない者は、世継ぎに相応しくないということになるわけで──
わたくしが先ほど投げた卵が、殻を黄金色に塗っただけの偽物だと仮定するならば、王太子殿下は神と民を欺いていたことになります。
殿下はいつもお祭りの最中ではなく、前もって聖なる卵を準備するので、卵の色を変えるところを実際に見たこともありませんし。
わたくしは仮にも、未来の王妃として教育を受けていた身。それだけはしっかり説明していただかないと、気持ちよく牢に入れませんわよね?
殿下はご令嬢のピンク色のスカートで、乱暴にお顔を拭うと、しどろもどろにこうお答えになりました。
「いや……それは……私にもなぜだかわからない……うん、なぜだろうな」
全く説明になっていないお言葉を我慢強く聴いておりますと、殿下は何かを思いついたのか、突然声を張り上げました。
「あっ、そう! そうだ! 聖なる卵を割るなど、そんな罪深いことをしたことがないから、中身の状態がどうかなど知らなかったのだ!」
殿下は内股で立ち上がると、一回嘔吐いた後で、さらに声を張り上げます。
「皆の者、この女の戯言に惑わされるな! この女は聖なる卵を祭司にぶつけ、儀式を中断した悪女だ! 護衛兵、何をしている! 早く悪女を捕らえよ!」
「はい、どうぞ捕らえてくださいませ。斬首刑でも火あぶりでもお好きに。ですがその前に、なぜ腐っているのかを説明していただきませんと、みなさん納得できないと思うのですが」
うんうんと頷くみなさんに、わたくしは安堵しながら殿下のお言葉を待ちます。
ところが、やっと自分の役目を思い出した護衛兵らに、わたくしは両側から拘束されてしまいました。彼らの厳ついその目の奥は、わたくしに対し『申し訳ございません。ご命令なので仕方なく』と謝ってくれているように感じ、危機的状況にもかかわらず少し心が和らぎました。
国王陛下も何も仰らないし、結局説明は聞けずじまいかしらとがっかりしていますと、王族席の中から、「待て!」という声が上がりました。
長い足で優雅にこちらへ近づいてくるのは、なんとなんと王弟殿下でございます。
わたくしは、心の中できゃああと叫んでおりました。
王弟殿下といえば国王陛下のお歳の離れた弟君で、眉目秀麗、文武両道、温厚篤実……とにかくとっても素晴らしい方なのです。
平民ふうに申し上げるなら、わたくしが密かに推しているイケオジでございます。
どうせ処刑されるなら、この方に首をはねられたい……
そう願いながらうっとりと見惚れるわたくしに、王弟殿下は優しく微笑みかけてくださいました。
──ムリ。処刑の前に死ぬ。
王弟殿下は、心臓が止まりそうなわたくしから王太子殿下へと視線を移すと、美しいお口を開かれました。
「王太子殿下、ご婚約者様を捕らえる前に、きちんとご説明願います。なぜ腐るはずのない聖なる卵が腐っていたのですか?」
王太子殿下は、突如ご登場された王弟殿下に動揺しているご様子ですが、すぐに先ほどと同じ言い訳をされます。
「でっ、ですから、聖なる卵を割るなど罪深いことをしたことがありませんので、中身の状態など知らなかったのです。もしかしたらこれは、神からの不吉なメッセージかも……」
内股でよろよろと天を仰ぐ王太子殿下に、王弟殿下は淡々と言い放ちます。
「そうかもしれませんね。では、実際に神のご意思を確認してみましょう」
王弟殿下が長い腕を上げると、殿下の侍従がこちらへやってまいりました。その手には、白い卵がいくつか入った籠を持っています。白と言っても、どれも殻の表面には黒ずみがあり、見るからに傷んでいる卵のようです。
王弟殿下は、籠の中から卵を一つ手に取り、それにもう片方の手をかざしました。すると、白かった殻は、まばゆい黄金色へとみるみる変化していったのです。
それは、さっきわたくしが投げた卵とは比べ物にならない、清らかで神々しい輝きでございました。
おお! とざわめくみなさんへ向かい、王弟殿下は黄金色の卵を掲げます。
侍従に差し出されたお皿に、王弟殿下がその卵をパカッと割られると、おおっ!! とさらに大きなざわめきが起こりました。
傷んでいたとは思えぬほど、お皿の上にぷりっと盛り上がる、艶やかな黄身と白身。
わたくしはごくりと唾を飲み、思わず呟いてしまいました。
「美味しそう……」
そんなはしたないわたくしを見て、王弟殿下はふふっと楽しげに笑います。
──ムリ。尊い。さようなら。
しばらく天国へ旅立っていたわたくしですが、ふと我に返り王太子殿下を見れば、案の定真っ青になっていらっしゃいました。
王弟殿下が創られた、本物の聖なる卵を見て、苦し紛れにこんなことを言い出します。
「叔父上! 聖なる卵を割るとは、なんと罪深いことを!」
あらあら、聖なる卵と認めてしまわれていますよ?
神がお選びになるお世継ぎは、この国に一人きり。つまり聖なる卵をお創りになった王弟殿下こそが本物のお世継ぎで、ご自分は偽物だと認めてしまっていることに気付いていないのでしょうか。
王弟殿下はわたくしに向けてくださった笑顔とは打って変わった厳しいお顔で、王太子殿下を見据えます。
そしてこう述べられました。
「王太子殿下。実は私は、幼い頃から聖なる卵を創ることができました。国王陛下……兄上の創った卵が偽物だと知りながらも、自分が真の世継ぎであることを隠し、今日まで来てしまいました。私が神の意思を受け取らず、欺いてしまった理由はただ一つ。兄上のことを愛していたからでございます」
新たなどよめきの中、国王陛下は、怯えた目で王弟殿下を見つめていらっしゃいます。
王太子殿下だけではなく、国王陛下までもが偽物のお世継ぎだったなんて……しかも真のお世継ぎである王弟殿下がそれを黙認いらっしゃったなんて……
この国は一体どうなってしまうのでしょう。
「私を可愛がってくれた優しい兄上を傷つけたくないし、兄上ならば立派にこの国を治めてくださるはず。そんな愚かな考えで、大罪を犯してしまいました。ずっと罪悪感を抱いておりましたが、実際に兄上は賢王となられましたし、自分が兄上を傍でお支えすれば、神も赦してくださるのではないかと思っていました。ですが……」
王弟殿下は、わたくしにチラリと視線を送ってから話を続けます。
「王室と王太子殿下のために尽くされたご優秀なご婚約者様を、証人をでっち上げてまで害そうと準備されていた王太子殿下。さらにはそんな殿下の企みを知りつつ、息子可愛さに放置されてきた国王陛下のお姿を見て、私は覚悟を決めたのです。この聖卵祭で、皆に真実を伝えようと」
先ほどまでとは一転、事の大きさに、みなさんはしんと静まり返ってしまいました。
そんな中、証人たちは王太子殿下にも負けぬ青い顔で俯いています。彼らがわたくしを陥れたことは、一目瞭然でしょう。
わたくしを拘束していた護衛兵も、いつの間にか離れておりました。
「私たちの処分は、民に委ねたいと思っている。但し、身勝手な理由でお心を傷つけられたご婚約者様には、国王陛下と王太子殿下の私的財産から、相応の慰謝料をお支払いの上、婚約解消されることを望みます」
王弟殿下はそう仰り、なんと臣下である大臣らに頭を下げられました。
そして祭壇の卵の山へ向かい、淀んだ黄金色を全て本物に変えると、新しいお皿の上に一つを割ってみせます。もちろんそれは、腐ってなどいない艶々ぷりぷりの中身でした。
「聖なる卵を割ってはいけないという掟は、皆も知っての通り、現国王陛下が神託を受けて決めたものだ。だが本来は、神が認めた世継ぎだけが割ることを許されており、福を積極的に民に分け与えよとされている。では、なぜ陛下がそのような嘘をついたのか……もうおわかりだろう。偽物を割られてしまっては不都合だったからだ。本物の聖なる卵は、簡単に割ることも腐ることもできないからな」
みなさんに向かい再度深く頭を下げられる王弟殿下のお姿には、聖なる卵よりも眩しい後光が差しているように見えました。
◇◇◇
その後、大臣らは審議を重ね、信仰心の厚い民が暴動を起こす前に、国王陛下を廃位、王太子殿下を廃太子にいたしました。
王太子殿下の命でわたくしを陥れようとしたあのご令嬢や証人たちは、それぞれ退学処分や謹慎処分を受けたそうです。
お父様と敵対していた一派も一掃され、スッキリした玉座に就いたのは、あの王弟殿下でございます。王弟殿下にも、私情で神と民を欺いていた責めはございますが、それよりも国王としての資質と器量を買われた上での即位でした。
何より、聖なる卵が王弟殿下をお世継ぎと認めていましたから。神も殿下をお赦しになっているということなのでしょう。
卵が白から黄金色に変わるあの神々しい瞬間は、お祭りにいた人々の目に焼きつき、生涯消えることはなかったそうです。
また、神が新しいお世継ぎを任命するまでの中継ぎの王太子には、陛下が最も信頼されている従弟様が選ばれました。
さてさて、わたくしがどうなったかと申しますと──
「ん~! 聖なる卵のリゾット、最高に美味しいです!」
「しっかり栄養を摂って、母子ともにお産に備えるんだよ」
お腹の大きなわたくしを笑顔で見守るのは、王弟殿下改め新国王陛下であり、わたくしの夫でございます。
そう、かつての王太子殿下と無事に婚約解消したわたくしは、陛下の強い希望と大臣らの推薦により王妃となったのです。
結果的に偽物を偽者にぶつけたとはいえ、プツンとキレてしまったわたくしに王妃になる資格などないとお断りいたしましたが……
我慢強い侯爵令嬢が、あのような暴挙に出るなどよほどのこと。きっと神託に違いないと言われてしまえば、もうお引き受けするしかありませんでした。
気持ちよく卵を投げた後に待っていたのは、牢屋暮らしでも極刑でもなく、こんなに幸せな生活だったなんて。あの時のわたくしが知ったら、きっと驚くでしょう。
「それにしても、そなたは本当に表情が豊かだな。そなたのどこが『血の通わぬ冷たいビスクドール』なのか。初めて会った時から、ずっと疑問に思っていたよ」
「そうなのですか? 卵を投げたあの時まで、わたくしは感情を表に出したことはないはずですが」
「そうだね。確かに顔は感情をうまく隠せていたけれど、目の奥の感情は、楽しいくらいにころころと変わっていたよ。そんなそなたを見るたびに、いつしか、心からの笑みを見てみたいと思うようになっていったんだ」
お腹ごと包み込むように、優しく抱き寄せる陛下に、私はそっとスプーンを置きました。
「……陛下、もしお腹の子を神様に認めていただけなかったらどうしましょう。もし兄弟の間で争いが起きたら?」
「大丈夫。どの子が世継ぎでも、どの子も世継ぎでなくても、私はそなたらを全力で愛し、幸せにすると誓うよ」
陛下の誠実な眼差しに、わたくしは涙が溢れそうになります。
頬を撫でる温かな手に、すりすりと心を寄せておりますと、給仕が新しい皿を運んでまいりました。
「あら!」
クローシュの下から現れたのは、艶々の小さな黄身が二つ寄り添っている目玉焼きでした。
「双子だったんだ。珍しいだろう?」
「本当。福が二倍ですね」
可愛い双子の目玉焼きに、わたくしたちは顔を合わせ、にこりと笑いました。
ありがとうございました。
国王に即位した後も、新しい世継ぎが誕生するまでは聖なる卵を創り続けることができます(*^^*)




