第7章 レジスタンスの計画
地下の集会所は、紫煙と機械油の匂いが充満していた。
蛍光灯の頼りない明かりの下、レジスタンスのメンバーたちが地図を囲んでいる。
ノアはテーブルの上に、盗み出した「箱庭」の構造図をホログラムで展開した。
【作戦立案:中枢コア破壊および人質救出】
【決行時刻:聖誕祭当日 02:00】
【成功確率:12.8%(初期値)】
【死亡予測:参加者の38% / 重傷率:67%】
低い成功確率。
だが、ノアの声は淡々としていた。
「警備に周期的な隙がある。午前二時、祭壇へのエネルギー搬送ルートが開く。そこが唯一の侵入ポイント」
ノアが地図上の一点を指差す。
リーダーの男が唸った。
「だが、そこは警備の要所だ。突破に時間がかかる。その間、ノアが狙われたら……」
「私が囮になる」
ノアは即答した。
「解析眼と言霊で、数分は敵の注意を引ける。その間に本隊が突入、リリィたちを確保」
それは、最も合理的で、最もノアの生存率が低いプランだった。
ノアは自分の死亡確率を計算する。
78%。
でも、リリィを救える確率は54%に上がる。
――交換可能だ。
リーダーが口を開きかけた時、ドンッ、とテーブルが叩かれた。
カイルだった。
「却下」
カイルはノアを睨みつけた。その瞳は怒っているようで、泣き出しそうにも見えた。
「お前を囮になんかさせない。俺たちが道を開く。お前は俺の後ろで、リリィを助けることだけ考えろ」
「……非合理的。私の防御力の方が……」
カイルがノアの肩を掴む。
その手が、震えている。
「うるせえ! 合理とか知るか! 俺は、お前を失いたくねえんだ!」
カイルはノアの肩を掴む手が痛いほど強くなる。
「お前が死んで助かる世界なんて、俺はいらねえ。……そんな計算式、俺がぶっ壊してやる」
カイルの怒号が、地下室に響く。
周囲のメンバーが、静かに頷いた。
年配の男が煙草をくわえたまま言う。
「そうだぜ。汚れ仕事は俺たちの役目だ」
若い女性が、ノアに笑いかける。
「あんたは、妹を助けてやんな」
彼らの目には、覚悟がある。
明日を見ることができないかもしれない。
でも、誰かが未来を見るために、今日を捧げる。
ノアは口をつぐんだ。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
これは計算ではない。
データベースにない、温かいもの。
「信頼」という名の、不確定だが強力なバフ。
【作戦変更:カイル案を採用】
【成功確率:再計算中 …… 変数「士気」により上昇】
【成功確率:12.8% → 23.7%】
数値が上がる。
まだ低い。でも、ゼロじゃない。
ノアは、小さく頷いた。
作戦会議が終わり、メンバーたちはそれぞれの準備に散っていった。
ノアは、拠点内を歩きながら、彼らの「生活」を観察していた。
整備区画では、白髪混じりの老人――通称「親父」が、古びた魔導銃を分解していた。
「よぉ、聖女さん。こいつ、診てくれや」
親父が差し出したのは、ノアが使っている解析端末だった。
画面に細かいヒビが入り、処理速度が落ちている。
「電源系統がイカれてる。このままじゃ、肝心な時に落ちるぜ」
親父は器用に配線を繋ぎ直し、内部の魔力回路を調整していく。
その手つきは、長年の経験に裏打ちされた、職人の技だった。
「……すごい。こんな旧型、触れる人は少ない」
「へっ、昔はな、上層の工場で働いてたんだ。魔導具の設計技師としてな」
親父の目が、遠くを見る。
「でも、俺の孫娘が『箱庭』に連れて行かれた。それで、俺は反逆者になった」
親父は修理を終えた端末をノアに返す。
画面が、驚くほど鮮明に映る。
「……この端末でな、孫娘の顔、もう一度見てえんだ。生きた顔を」
親父の手は、油にまみれて震えていた。
「頼む。あの子を、救ってやってくれ」
ノアは、修理された端末を握りしめた。
重い。
この小さな機械の中に、一人の祖父の想いが詰まっている。
「……約束する。必ず」
食堂では、若い女性――サラが、粗末なスープを配っていた。
彼女はノアを見ると、少し恥ずかしそうに笑った。
「あ、ノアちゃん。はい、これ」
差し出されたスープには、他の人より多めに野菜が入っている。
「カイルが心配してたの。あんた、ちゃんと食べてないって」
ノアはスープを受け取り、一口啜った。
薄味だが、温かい。
「サラさんは……なぜ、ここに?」
「私? 私はね……」
サラは自分の椀を見つめた。
「昔、上層で教師をしてたの。子供たちに、本当の歴史を教えようとしたら……」
彼女の声が、少し震える。
「『思想矯正』って言われて、連れて行かれそうになった。生徒たちが、私を密告したの」
サラは笑った。でも、その笑顔は悲しかった。
「洗脳されてたから、仕方ないんだけどね。……だから、あの子たちを救いたいの。本当の自分で、笑えるように」
サラは、ノアの手をギュッと握った。
「あんたなら、できる。信じてる」
弾薬庫では、無口な青年――ジンが、爆薬を慎重に扱っていた。
ノアが近づくと、彼は一瞬だけ目を上げ、小さく頷いた。
「……囮、任せろ」
ジンは言葉少なだが、その瞳には強い意志が宿っていた。
「俺の妹も、箱庭にいる。……必ず、取り戻す」
彼は爆薬のタイマーをセットしながら、ポケットから一枚の写真を取り出した。
小さな女の子が、笑顔でピースサインをしている古びた写真。
「最後に会ったの、五年前だ。……今、どんな顔してるか、わかんねえ」
ジンの手が、わずかに震える。
「でも、笑っててほしい。本当の笑顔で」
ノアは、その写真を見つめた。
この小さな笑顔のために。
親父の孫のために。
サラが守りたかった生徒たちのために。
みんな、奪われたものを取り戻そうとしている。
ノアは一人じゃない。
【新規データ登録:仲間】
【親父 / サラ / ジン / カイル / リリィ】
【守るべきもの:増加】
ノアは、強く拳を握った。
この戦いは、もう自分だけのものじゃない。
出発までの待機時間。
ノアは一人、装備の点検をしていた。
言霊のリストアップ。魔力ポーションの補充。
そこに、カイルがやってきた。彼は無言でノアの隣に座り、彼女の手から震える指先をそっと包み込んだ。
「……怖いか?」
「……恐怖は、生存本能の警告信号。正常な反応」
ノアが強がると、カイルは苦笑して、ノアの頭をポンと撫でた。
その手の温かさに、ノアの心臓が跳ねる。
「俺は怖い。お前を失うのが」
カイルは、ノアの目をまっすぐに見つめた。
「なぁ、ノア。これが終わったら……海、見に行こうぜ」
「海?」
「ああ。上層の偽物じゃなくて、本物の海だ」
カイルの瞳が、遠くを見る。
「青くて、広くて、どこまでも続いてる。波の音が聞こえて、砂が足に絡みついて。……俺も、見たことないんだ。でも、絶対にある」
ノアは、その言葉を反芻する。
本物の海。
上層の管理された水槽ではなく、下層の汚染された水溜りでもなく。
自由な、広い、青い海。
それは、未来の約束だった。
明日死ぬかもしれない状況で交わす、希望の契約。
【新規タスク:カイルと海へ行く】
【優先度:最上位(Sランク)】
ノアは、カイルの手を握り返した。
その体温を、数値データとしてではなく、魂の記憶として刻み込む。
生きて帰る。
この人と、海を見る。
それが、今の私の「目的」だ。
「……分かった。約束」
ノアが小さく微笑むと、カイルは顔を赤くして、照れ隠しのように鼻をこすった。
そして、少し迷ってから――ノアの額に、そっと唇を寄せた。
一瞬の接触。
ノアの思考回路が、真っ白になる。
【エラー:感情値測定不能】
【心拍数:急上昇 / 体温:上昇 / 思考:停止】
「お守りだ。……絶対、生きて帰ろうな」
カイルは恥ずかしそうに目を逸らし、立ち上がった。
ノアは、額に手を当てたまま、しばらく動けなかった。
熱い。温かい。
これが、「好き」という感情なのだろうか。
時刻は深夜。
地下の出口に、レジスタンスたちが集結していた。
誰もが緊張で顔を強張らせているが、その瞳には決意の光が宿っている。
「行くぞ。未来を取り戻しに」
リーダーの合図で、扉が開かれる。
見上げた空には、上層の煌びやかな人工照明とは違う、頼りなくも美しい、本物の月が輝いていた。
カイルが、ノアの肩に手を置いた。
「離れるな。絶対に、戻ってくる」
「……了解」
ノアは短く答え、前を向いた。
解析眼が、夜の闇を切り裂く。
【ミッション開始:聖誕祭】
【目標:ユードラのシステム停止】
【生還確率:23.7%】
【それでも――行く】
少女と少年は、最後の戦場へと駆け出した。




