第14章 溺愛の代償
聖母神の黄金の瞳が、ノアだけを捉えた。
『――排除対象:個体名ノア。』
『――理由:幸福ヲ阻害スル「毒」ト認定。』
聖母神の背中から、無数の金色の蔓が槍のように逆立った。
回避不能の飽和攻撃。
ノアの解析眼が、視界を真っ赤に染め上げる。
【緊急警告:致死攻撃】
【攻撃数:247本】
【回避成功率:0.00%】
【死亡確定まで:0.5秒】
時間が、引き延ばされたように感じた。
ノアの解析眼が、すべてを捉える。
聖母神の蔓が、247本の軌道を描いて迫ってくる。
回避不能。
死の確定。
【残り時間:0.3秒】
その瞬間、視界の端に影が映った。
カイルだ。
彼の顔が、スローモーションでこちらを向く。
その表情には、恐怖も迷いもなかった。
ただ、穏やかな――優しい笑顔があった。
(……カイル?)
「させるかよぉぉぉッ!!」
カイルが剣を捨て、身一つで飛び込んだ。
ドンッ!
強い衝撃。ノアの体が突き飛ばされ、宙を舞う。
そして――カイルが、ノアのいた場所に立った。
ドスッ、という鈍く、生々しい音が響いた。
蔓が、カイルの体を貫く。
一本。二本。三本――。
【検出:致命傷×6】
【対象:カイル】
「……カ、イル……?」
ノアは地面に転がりながら、信じられないものを見た。
カイルの胸を、腹を、太腿を。
金色の蔓が、無慈悲に貫いていた。
「が、はっ……」
カイルが血を吐く。
蔓が引き抜かれると同時に、彼の体は糸が切れたように崩れ落ちた。
「カイルッ!!」
ノアは悲鳴を上げ、駆け寄った。
血の海の中で、カイルを抱き起こす。
温かい。熱い。
ノアの手が、血に濡れる。
赤い。こんなに赤い。
カイルの血が、指の隙間から溢れ出して止まらない。
【出血速度:毎秒82ml】
【血圧:急激に低下】
【推定:失血死まで 2分18秒】
数字が、容赦なく現実を突きつける。
でも、ノアはその数字を受け入れられなかった。
(……いやだ)
カイルの顔が、血の気を失って青白くなっていく。
いつも笑っていた顔。
いつも自分を励ましてくれた顔。
その顔が、死の色に染まっていく。
「『修復』! 『修復』!!」
光を注ぐ。
でも、傷は塞がらない。
魔法が弾かれる。
ノアの手から、光が滑り落ちる。
【回復魔法:無効】
【原因:呪詛干渉】
【対応策:なし】
「なんで! なんで効かないの!?」
ノアの声が裏返る。
初めて、自分の無力さを思い知る。
解析できても。理解できても。
救えない。
この人を、救えない。
【対象:カイル / 状態:危険域(CRITICAL)】
【生存確率:0.3% …… 0.1% ……】
「いや……いやだ、死なないで……!」
ノアの瞳から、大粒の涙が溢れ出し、カイルの頬に落ちた。
カイルが、薄く目を開ける。
焦点が合っていない瞳が、ノアを探して彷徨い――そして、ノアの顔を見つけて、ふにゃりと笑った。
「……泣くなよ。せっかくの顔が、台無しだ」
血に濡れた手が、震えながら持ち上がり、ノアの涙を拭おうとする。
だが、その手はノアの頬に届く前に、力なく落ちた。
「カイル……!」
ノアはその手を掴み、自分の頬に押し当てた。
冷たい。
いつも温かかったカイルの手が、こんなに冷たい。
【体温:34.2度 → 32.8度】
【心拍:27 → 19】
「へへっ……やっと、名前で呼んでくれたな……」
カイルが笑う。
こんな時でも、彼は笑っている。
その笑顔が、ノアの心を引き裂く。
「俺は……お前の盾になれたか……?」
ノアは頷いた。
涙が止まらない。
視界が滲んで、カイルの顔が見えなくなる。
「守れた! 守れたよ! だから……だから……!」
言葉が続かない。
喉が詰まる。
何を言えばいいのか、わからない。
(私は、この人に何も返せなかった)
カイルは、いつも自分を守ってくれた。
笑顔をくれた。
温もりをくれた。
生きる意味をくれた。
でも、自分は何も返せていない。
【心拍数:19 → 11】
「お願い、行かないで……。私、あなたがいないと……」
ノアはカイルの手を両手で包み込み、頬に押し当てた。
「あなたを……愛してる。ずっと、愛してた!」
その言葉が、どれほど重いものか、ノアは初めて理解した。
愛は、データじゃない。
計算で導き出せるものじゃない。
ただ、この人がいなくなることが耐えられないという、単純で、しかし圧倒的な感情。
カイルの瞳が、わずかに見開かれた。
その瞳に、ノアの顔が映っている。
泣きじゃくる、自分の顔。
「……ああ。よかった……」
カイルの声が、かすれる。
「……お前の、その顔……見れて……」
その唇が、何かを言おうとして――動かなくなった。
【心拍:2 → 1 → 0】
ガクン、とカイルの首が傾いた。
握っていた手から、力が抜ける。
【対象:カイル / 状態:死亡(LOST)】
世界から、音が消えた。
色が失せた。
意味が失われた。
ノアの中で、何かが決定的に壊れる音がした。
――プツン。
解析眼のUIが、ガラスのように砕け散る。
【ERROR ERROR ERROR】
【感情値:測定限界超過】
【理性:機能停止】
ノアは、動かなくなったカイルをそっと地面に寝かせた。
その髪を撫で、血に濡れた額に唇を寄せる。
最後の別れ。
「……ごめんね」
ノアは囁いた。
「私、あなたがいなくても……生きなきゃいけないんだよね」
その言葉が、ノアの心を引き裂く。
でも、それがカイルの願いだと知っている。
だから――。
「だから、終わらせる。この世界を。……あなたを奪った、すべてを」
ノアはゆらりと立ち上がった。
その全身から、青白い光が――いや、空間そのものを歪めるほどの、凄まじい魔力の奔流が噴き上がった。
瓦礫が浮き上がり、地面に亀裂が走る。
【警告:未知のエネルギー反応】
【出力:測定不能(限界値突破)】
「……許さない」
ノアが顔を上げる。
その瞳は、もはや解析者の冷静な色ではなかった。
愛する者を奪われた、哀しくも美しい、破壊の女神の瞳だった。
「私の愛を奪ったお前を……この世界の理ごと、否定してやる」
【覚醒:完了】
【モード:絶対破壊(ANNIHILATION)】
覚醒の時が来た。




