予想外すぎました。
(あれ、もしかして部屋間違えた??)
オレ――ゼノ・アルエットはぴたりと動きを止めた。
目の前の部屋からは、先ほど結婚したばかりの妻――エレモア・ラクスミーの声が聞こえてくる。
『――あの方……わたくしのことを……あ、愛してくれる、って……ほ、本当かしら? そんなこと言われたの初めて……。ど、どうしましょう……!』
扉越しにも分かるほど弾んだ声。
喜びのにじむ言葉。
何も知らない人が聞けば、新婚で浮かれている可愛らしい奥さんだと思うだろう。
だが、オレは混乱の渦の中にあった。
(――いや、誰だよ!?)
彼女は辺境の地へと送られてきた罪人だった。
常に人を見下したような態度をとる彼女は、陰で「極悪令嬢」などと呼ばれている。
そんな女性が、こんなピュアな反応をするだろうか?
「……いやいやいや。まさかな?」
あまりにも衝撃的で、思わず声を出してしまった。
途端に中からバタバタと音が聞こえてくる。
勢いよく開かれたドアの前で、息を乱したエレモアと対面した。
「――あ」
「……!! ゼ、ゼノ様……? ま、まさか、聞いて……!?」
「あーー、いや……ははは」
「あ、ああ……っ!」
誤魔化せずに笑うと、エレモアは見る見るうちに顔を赤く染め上げた。
「いやぁーーーーーー!! ゼノ様のバカーーーーー!!!」
「ご、ごめん!!」
投げつけられた扇を慌てて避けると、ドアが勢いよく閉められる。
後に残されたオレは、ただ茫然と部屋のドアを見守るしかできない。
「……これは……予想外だったな」
どうやらオレの結婚相手はウワサのような極悪令嬢とは全くの逆――ピュアで可愛らしい女性なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
突然だが、オレはこの国――イデット王国が嫌いだ。
というより、今の王家が大嫌いだと言った方がいいだろう。
理由は簡単。
オレの養父、先代アルエット辺境伯を死に追いやったからだ。
ここアルエット辺境伯領は、隣国スティア王国との国境に位置している。
スティア王国とは十数年前までは友好的な関係を築いていた。
けれど現国王が即位した際、イデット王家の持つ魔法の力を狙っているとして敵対を宣言してしまった。
イデット王国は”妖精”が建国に深くかかわっており、王族の血筋には一代に一人、妖精に認められた者に魔法が現れる言われている。
その魔法は、国を滅ぼさんとするとする”悪しき者”から国を守るための力とされているが、具体的にどんな力なのかは分かっていない。
そんな曖昧な力だった。
普通に考えて、そんなものを狙って友好国を襲うなどありえないだろう。
スティア王国もそう否定したが、聞く耳は持たれなかった。
当然だが、国は荒れた。
養父はそんな中でも領地をまとめあげ、防衛機構を作り上げたすごい人だ。
そんなあの人を、オレは心底尊敬していた。
けれど……心労が重なったのだろう。数年前に亡くなってしまった。
王家があんな選択をしなければ……。
そう考えるとどうしても許すことができない。
そんな思いを持ちながら過ごしていたある日。
突然オレの元に、王家の一員である王太子――レイド・イデットから手紙が届いた。
なんでも「重罪人である極悪令嬢をアルエット辺境伯領に追放する」ことにしたらしい。
思わず「あぁ??」というドスの効いた声を出してしまった。
だって追放先に選ばれたということは、我が領地が“罰”になるほどひどい場所だと思われているということだ。
そんな扱いを受けて怒らないわけがないではないか。
それに極悪令嬢などと呼ばれている人を送られては、民に危険が及ぶかもしれない。
すぐにでも対策をとりたかったが、手紙が来た数日後には到着する予定だと書かれていては断ることもできない。
本当にいい加減にしてくれ。
オレは思わず手紙を暖炉に放り投げてしまった。
とはいえ、そんなことをしても現実は変わらない。
だから対策を建てるため、追放されてくる人物についてできる限り調べてみた。
送られてくる罪人の名はエレモア・ラクスミー。
ラクスミー侯爵家の長女で、レイド王太子の婚約者だった女性。
姫と公爵家のないイデット王国では最高位の令嬢だ。
そんな彼女がどうしてここに送られるのかと思えば、どうやらレイド王太子に手を上げたかららしい。
悪いけれど、手を叩いて喜んでしまった。
胸がスカッとしたし、そんな面白……ゴホン。前代未聞なことをしでかした女性に興味がわいた。
だからエレモアを「罪人」としてではなく「妻」として迎え入れることにした。
近くにいれば問題を起こさないように見張れるし、エレモアも衣食住が保証される。
お互いに利点の大きい話だったから、彼女もすんなりと了承してくれた。
いわゆる契約的な結婚というやつだ。
けれどせっかく夫婦になるのだ。このまま愛のない関係でいていいとは思わない。
夫にならば、妻に愛を注いで尊重する責務があるだろう。
そう思っているからこそ、その場で宣言した。
『娶るからにはちゃんと愛したい。だから君のことを教えてほしい』と。
エレモアは少し驚いた様子だったけれど、すぐに鼻で笑い言い返してきた。
『愛せるものなら、愛してみろ』と。
王太子に手を上げるような女性だ。
思っていた通り、気が強そうだ。
けどオレは、気の強い女性は嫌いではない。
その気の強さに筋が通っているのならむしろ好きな部類に入る。
だから時間をかけてエレモアの本性を見定めよう。
◇ ◇ ◇
(……そう、思っていたんだけどなぁ)
オレは目の前に座り、顔を覆うエレモアをジッと見つめた。
どんな顔をしているかは定かではないが、ウェーブのかかった長い赤髪と同じくらいに赤く染まった耳を見るに、羞恥に悶えているのだろう。
「……えっと。それで、君の本来の姿はそちらということかな?」
「……うぅ、不覚でしたわ。初めが肝心と気を張っていましたのに、あなたがあんなこと言うから」
やがて顔を上げたエレモアは、やはり赤くゆだっていた。
「あんなことって、『愛したい』ってやつ?」
「! め、面と向かって言わないでくださいませ! だ、だって仕方がないじゃないですか! わたくし、そんなこと言われたの初めてなんですもの!」
「でも本心だし……」
「本心って……! や、止めてください! どう反応したらいいのか……!」
エレモアは両手で頬を押えて、新緑を溶かした瞳に涙を浮かべた。
(は? 可愛いんだけど)
あまりにもウブな反応で、思わずきゅんとしてしまったではないか。
いけない。
このままでは彼女のペースに飲まれてしまう。
もしかしたらこれも油断させるための演技かも知れないのだから。
オレは緩みそうになる頬を噛んで、意識を引き戻した。
「ていうか初めて言われたって? 元とはいえ王太子の婚約者だったんだから、愛の言葉の一つや二つ、受けたことあるんじゃないの?」
「いえ? レイド様はラクスミー侯爵家とのつながりが欲しいだけでしたし、わたくし家族から疎まれておりましたから」
「疎む? どうして……」
「……」
エレモアは迷うように目線を彷徨わせた。
「……もう見られた手前言いますけれど、わたくし、気を抜くとすぐに本音がぽろぽろと出てしまう癖がありますの。心の声がうるさいというか……、脳直というか……」
「ああ、うん」
だろうね、という言葉はなんとか飲み込んだ。
だって会って数時間でこれだけぼろが出ているのだ。
素のエレモアはとても素直な性格なのだろう。
普通の人であれば、それは美徳と言われている。
けれど――
(「貴族令嬢」にとっては致命的な欠点だなぁ)
貴族は本音を表に出すことを良しとしない。
どんな情報が家の弱点になるか分からないからだ。
「だから自分の言葉で話すことは禁じられ、代わりにマナー本通りの会話術を叩きこまれました。でもわたくし、それさえも間違えてしまったみたいで……」
エレモアは目に見えてしょんぼりと肩を落とした。
「どうにも見下しているとみられることが多いのです。そんなつもりは全くないんですが……」
「えぇ……? いったいどんな会話を?」
「どんな、と言われると……困りますが」
「うーん。じゃあ試しにオレの服を褒めてみてよ」
「わ、分かりました。そうですね……」
エレモアは少しだけ考えるそぶりを見せ、やがて口を開いた。
「あら、素敵なお召し物だこと。一体どちらで仕立てたのかしら?」
「あーーーーと?」
エレモアの紡いだ言葉は、マナー本に載っている例文そのものだった。
まず相手を褒め、そして自分の知りたい質問をする。
確かに会話としては間違いない。……ないのだが。
「……一応聞くんだけど、どうしてその顔を?」
エレモアが浮かべたのは、なぜか冷笑だった。
しかも顎をつき上げているので余計にきつい表情になっている。
とてもじゃないが、褒められている気はしない。
「え? わたくし変な顔していました?」
「おっと、まさか無自覚? その顔でそのセリフだと『どこで仕立てたか知らないけれど、みっともない服だこと』みたいな意味に聞こえるんだけど」
「え、ええ!? な、なぜ!?」
「いや、なぜはこちらのセリフだよ」
エレモアは心の底から驚いたという反応だった。
そう受け取られるとは思っていなかったのだろう。
(もしかしてこの子、結構ポンコツなんじゃ……)
そんな気がしてきて、なんだか遠い目になってしまった。
「おかしいですね……。マナー本には高位貴族令嬢たるもの侮られることがないよう気を張れと書かれていたのに」
「それはそうだけど、威嚇しろって意味じゃないからね?」
「あれ? 威嚇……していましたか?」
エレモアはキョトンとしていた。
どうやら本当に何がいけないのか理解していないらしい。
「…………なるほどね。君が極悪令嬢だなんて呼ばれていた理由が分かった気がするよ」
エレモアの身分と、会話の制限、そして違和感満載の表情管理。
それらが複雑に絡み合い、大事故を起こした結果、エレモアは極悪令嬢だという評価になったのだろう。
つまりは盛大な勘違い。しかも悪い方に。
意味が分からなさすぎてため息が漏れた。
「言っちゃなんだけど、暴力事件のことも勘違いがだいぶ絡んでるんじゃない?」
「それはない、と言いたいところですが、勘違いはされている部分はある……と思います」
「ん? 心当たりがあるの?」
「はい、まあ……。あの時はわたくし、だいぶ焦っていて……。思わず素が出ていたので」
「どういうこと?」
エレモアは目線を泳がせた。
言っていいのかどうか迷っているような反応だ。
「……その。はめられたというか……はめられているところをみたというか……。えっとですね。わたくしにはセレシアという義妹がいるのですが……」
「ああ、そうみたいだね」
セレシア・ラクスミー侯爵令嬢。
エレモアのことを調べる際、義妹の存在も知った。
ラクスミー侯爵の後妻である元男爵令嬢の娘で、エレモアとは対照に話しやすく柔らかい雰囲気の女性と評判だ。
ただしエレモアの母が生きているうちに、不倫でできた子だという噂もある。
不義や婚前交渉はご法度とされているこの国では、いささか生れに不安がある女性であった。
「それで? 殿下への暴力事件の話だったはずだけど、どうして義妹さんのことを?」
「……その、ですね。…………わたくし、殿下とセレシアが」
「殿下と義妹が?」
「…………ま、まぐ合っているところを見てしまって」
「えっ」
短い悲鳴のような声が出てしまった。
まぐ合うって、つまり……。
「はめられているって、そっち!!? 女の子がなんてことを言っているの!?」
「それはごめんなさい。……でも伝わりやすいかなって」
「こらっ!」
頬に手を添えて恥ずかしがるエレモアだったが、正直それどころではない。
「ちょっと待って、王太子が禁忌を破ったってこと!? しかも相手は婚約者の義妹!?」
「そうなんです……。わたくしも自分の目が信じられなくて、それでいつもの毅然とした態度でのぞめなくて……」
「だ、だろうね」
正直、オレもそんな場面に遭遇したら冷静でいられる自信はない。
「だからわたくし……『この泥棒猫!』と二人に往復ビンタをしてしまって……」
「なにて??」
「往復ビンタです」
「いや、そこじゃない」
エレモアは手をぶんぶんと振り回してみせたけれど、違う、そうじゃない。
というか情報量が多すぎる。
オレは思わず天を仰いだ。
(とりあえず大事な要点をおさえよう……)
まずエレモアはレイド王太子の婚約者だった。
けれど義妹と婚約者の不義の現場を見てしまった。
その動揺から王太子に手をあげて……。
あれ、これって……
「王太子たちの自業自得では???」
先ほども言った通り、婚前交渉はこの国ではご法度。
なぜなら何代か前の王子が遊び歩いた結果、王子の子だと主張する者が押し寄せて大変な事件へとつながった過去があるからだ。
そのため平民よりも貴族や王族が厳守するべき法律である。
エレモアの話を信用するのなら、王太子という身分ながら法律を破ったということになる。
(それじゃあ王家からの手紙じゃなくて、レイド王太子からの手紙だったことの意味って……)
一気にきな臭くなってきた。
評判の悪いエレモアを暴行罪の罰という形で追放したこと。
当事者への知らせがかなり急だったこと。
王太子個人からの手紙だったこと。
それら事実が導き出す答えは――
「口封じ、か。……とんでもないくそ野郎じゃないか!」
深いため息が出た。
そんなのが王太子でいて大丈夫だろうか。
いや、ダメだろう。
オレは背もたれに体を預け、目を閉じた。
(……やっぱり、そろそろ腹をくくるときなのかもしれないな。それに――)
なんの罪もない人が理不尽な目に遭っている。
それを見て見ぬふりはできない。
だって見逃してしまえば、養父のように潰れてしまうかもしれないのだから。
(そんなこと、もう二度と起こしてなるものか)
オレは目を開けると、まっすぐにエレモアを見つめた。
「今この件を知っているのはオレ達だけ?」
「ええ、恐らく。あの場を目撃してすぐに馬車に押し込まれてしまいましたし、国王陛下もお父様も知らないと思います」
「なんだそれ。理不尽にもほどがあるだろ。真実を告発した方が良くない?」
「……もういいんです。言ったところで勘違いをさせるだけですし、そもそもわたくしの話など誰も……」
エレモアは力なく眉を下げた。
先ほどのことを気にしているらしい。
「話を聞いてもらえないのなら、聞かざるを得ない場を用意すればいい。オレ、手伝うよ」
「え? ……手伝うって、ゼノ様はわたくしの話を信じてくれるのですか?」
そんなことを言われると思っていなかったのだろう。
エレモアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「まあ……作り話であってほしいと思うくらいの話だけど、正直今の王家ならやりかねないと思うんだよね。だからオレは君を信じるよ」
「どうして……」
「どうしてって……愛する妻のいうことを信じるのは当たり前だろう?」
「!」
そう言うと、エレモアは火が付いたように赤くなった。
やはり可愛らしい人だ。
「それに……この件はこのままにしておいてはダメだと思う。王家が禁忌を破ったのなら大問題だし、王家の責任は王家で負うべきだ。少なくともエレモア一人に押し付けるなんて間違っている。ここで間違いを指摘せず秘匿してしまったら、この先腐っていくのを止められなくなる。これはエレモアにだけ与えられたチャンスなんだ」
「チャンス……?」
「そう。王家を止めるためのチャンス。君だって今の王家には思うところもあるだろう?」
「……それはそうですが」
「もしも立ち上がるというのなら、オレは協力を惜しまないよ」
「どうしてそこまで……? 妻と言ってもつい先ほどであったばかりの女ですよ?」
エレモアは小首を傾げた。
オレは少しだけ笑い、エレモアの頭に手を置いた。
「オレさ、君みたいな人が理不尽な目に遭うのを見たくないんだ。だからこれ以上被害者を出さない為にも、今立ち上がるべきなんじゃないかと思った。それがオレの役目だと思うから」
「……役目」
エレモアはかみしめるように呟き、やがてうなづいた。
「……そうですわね。わたくしも侯爵令嬢として務めを果たさなければ! わたくし、やりますわ!」
「良かった。ありがとう」
「……とはいっても、どうしたら」
オレは言いかけたエレモアの口に指をあてた。
「ふふ。さっき言っただろう? 話を聞いてもらえないのなら、聞かざるを得ないようにすればいいって」
「え?」
イタズラっぽい笑みを浮かべると、エレモアは首を傾げた。
「ということでエレモア。君には――女優になってもらいます!!」
「――はい?」




