表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第二章 マリーハイツ公約編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/74

第三十三話 心強さ(2)

「冗談はそこまでだ」


 ゲルトの視線を真正面から受け止める。


「俺とシュアラとフィンが海に出る。そのあいだ、この砦と三つの村を見ていられるのは、お前しかいない」


「……そういう逃げ道塞ぐ言い方をする」


 ゲルトは頭をがりがりと掻いた。


「リオは?」


「砦だ」


 カイは即答した。


「子どもと零札の間に顔出せるのは、あいつが一番だ。零札の聞き取りも、村との橋渡しも、リオに任せたい」


「ふむ。それはまあ、向いてるな」


 ゲルトは小さく頷いた。


「フィンは連れてきゃいい。あいつは港町の裏通りの匂いを嗅ぎ分けるのが得意だ」


「そういう評価でいいのか、フィンは」


「よくねえが、当たってるだろ」


 短いやりとりののち、ゲルトは息を吐いて言った。


「……話を聞かせろ」


 カイは顎で合図し、バトンを渡す。


「軍師殿」


「はい」


 シュアラは、パンと魚と石の皿をゲルトのほうへずらした。


「帝都から、北方海路を零札で埋め尽くす計画が降りてきました」


「零札を?」


「はい。『補助人員』という名目で」


 ゲルトの表情から、軽口の色がすっと消える。


「……さっき兵舎の前で騒いでた連中か」


 低く呟く。


「『海に捨てられる』だの何だの、くだらねえこと言ってたが」


「そのくだらない話が、帝都の予算書の中では極めて真面目な計画として進んでいます」


 シュアラは皿の上の石をひとつ、指で弾いた。


「今年一年で、八十名。帝都はそれを『許容損耗』と呼んでいます」


「……クソが」


 ゲルトの拳が音もなく握られる。骨が軋む気配が、空気越しに伝わった。


「それをこちらから書き換えます」


 シュアラは青い帳面を開き、ゲルトに見せる。


「条件はひとつ。この砦から海に出す零札の損耗率はゼロ。一人も死なせないことを前提に、計画を根っこから作り変えます」


「また厄介な大博打を打ったな」


 ゲルトは額に手を当て、深い皺を刻む。


「帝都がそれを飲むように、数字と条件で論理武装します。そのあいだ、砦と村を守っていただきたい――団長と私からのお願いです」


 カイが補足する。


「冬のあいだ、お前がどれだけ兵と村に顔を出してたかは知ってる。書類は増えるが、死人文官が残した帳簿は、少なくともお前の首を絞めるようには書いちゃいねえ」


「妙な褒め方だな」


 ゲルトは天井を仰ぎ、肺の空気を全部吐き出すように長く息をした。


「……断れねえ仕事だ」


 しばしの沈黙ののち、観念したように言う。


「海に出るのがお前らで、ここに残るのが俺ってのが正しいかどうかは知らんが」


 パンの皿を指先で示した。


「このパンを三つの村に公平に分けて、兵にも食わせて、春まで持たせろ。そういう話だろ。そのあいだに、お前らが海と帝都をどうにかしてくる」


「端的にまとめると、そうなります」


 シュアラが頷いた。


「分かった」


 ゲルトは短く、しかし力強く頭を下げる。


「ヴァルム砦代行、引き受ける。ただし――」


 カイをじろりと睨んだ。


「帰ってきた時、兵でも零札でも、余計な穴が空いてたら一発じゃ済まさねえからな」


「殴られないように善処する」


 カイもにらみ返す。


「だが、このゼロはお前にもかかってる。砦で変な無茶して死ぬなよ」


「言うようになったじゃねえか」


 ゲルトは口の端をわずかに吊り上げた。


「じゃあ、お互い様ってことでいいな」


「ああ」


 短い言葉のやり取りの中に、長い時間をかけて積み上げた鉄のような信頼が滲んでいた。


*


 夜。砦のあちこちで篝火が揺れ、外気が一段と冷え込んできたころ。


 軍師室の机の上からは、パンも魚も石も消えている。

 代わりに、薄い青表紙の帳面だけが開かれていた。


 「ゲーム1:試験国家ヴァルム」の次のページ。

 シュアラは、そこに書いたばかりの文字を見直していた。


『ゲーム2:マリーハイツ公約/海路試験国家』

『条件:ヴァルム砦より出航する零札の損耗率=0名』


 数字の「0」は、さっきなぞったばかりで、わずかにインクが濃い。


(机の上だけのきれいごとで終わらせない)


 心の中でだけ、短く念を押す。


『補足:帝都帳簿とは別に、ヴァルム側基準を先に固定すること』


 誰かが死んだとき、それを「誤差」として処理しないための数字。

 ゼロからイチに変わる、その一歩を、安易に流してしまわないためのライン。


 ペン先を止めたところで、控えめなノックが聞こえた。


「どうぞ」


 扉が開き、カイが顔を覗かせる。

 片手には、湯気の立つマグ。


「起きてると思った」


「書き物をしていただけです」


「もう遅いが、顔くらいは見に来てもいいだろ」


 カイは部屋に入り、扉を閉める。今度は鍵はかけない。

 シュアラの勧めた椅子には座らず、立ったまま机の上の帳面を覗き込んだ。


「ゲーム2、ね」


「はい」


「ゼロも、ちゃんと書いてあるな」


「はい」


 短いやり取りのあと、しばし沈黙が落ちる。

 ランプの芯が小さくはぜる音と、マグの中で揺れる液体の気配だけが部屋を満たした。


「……怖くないわけじゃねえよな」


 先に口を開いたのはカイだった。


「怖いです」


 シュアラは隠さなかった。


「失敗したときに何が起こるか、ある程度具体的に想像できてしまうぶんだけ」


「それでもやるのか」


「はい」


 迷いのない答えだった。


「私は死人文官です。帳簿に誤魔化しを書きたくありません。団長はどうですか?」


「俺か」


 カイはマグを机の端に置き、肩を一本鳴らした。


「正直に言うとだな。海は嫌いだ。できることなら、雪山で吹雪に巻かれて馬を追いかけてるほうが、まだマシだと思ってる」


「存じ上げています」


「だろうな」


 カイは少し笑う。


「それでも行くのは、お前がゼロなんて無茶を言い出したからだ」


「すみません」


「謝るなら最初から言うな」


 言葉は荒いが、声の底には怒りはない。

 共犯として覚悟を決めた人間の、どうしようもない苦笑が混じっている。


「お前一人を海に出して、帝都の都合で使い潰されるのを黙って見てるくらいなら、一緒に船酔いで地獄を見てる方がまだ納得できる」


「……はい」


「だから、俺の条件もひとつだけだ」


 カイは帳面の空いた余白を、指でとん、と叩いた。


「『団長カイ:可能な限り生きて帰ること』」


「それはすでに、ゲーム1のときに書いてあります」


「そうだったな」


 カイは思わず噴き出した。


 試験国家ヴァルムを始めたとき、シュアラは確かに書いていた。

 ――「団長カイの存命は、砦の安定の前提条件」と。


「じゃあ今回は、それをもう一度確認するだけか」


「はい。ゲーム2も、前提は同じです」


 誰も死なせないこと。

 団長が生きて帰ってくること。

 自分も零札たちも、帝都の歯車として使い捨てにされないこと。


 それらを全部、冷たい数字と条件に変えて武器にする。それが自分の役割だ。


「……明日から、忙しくなるな」


 カイが窓の外に目をやる。

 闇の向こうには、まだ見えない海がある。零札たちが本来送られるはずだった死地が、黒く横たわっている。


「忙しくなります」


 シュアラも、同じ方向を見る。


「でも、ゲーム1よりは少しだけ条件がいいです」


「そうか?」


「はい。前回は、雪と飢えと、何もかもが敵でした。今回は、団長が最初から味方です」


「……そう言われると、逃げられねえな」


 カイは、ばつが悪そうに頭をかいた。


「最初から逃がすつもりはありませんでした」


 シュアラは淡々と言う。

 ただ、その瞳の奥には、ランプの火よりも熱いものが灯っていた。恐怖でも不安でもなく、静かな覚悟と、揺るぎない信頼に近い何か。


「じゃあ、船の上で俺が盛大に吐いても、文句は言うなよ」


「はい。その現象は、条件には含めません」


 くだらない軽口が、部屋の重さをほんの少しだけ軽くする。

 それでも、背負うものの重さが消えるわけではない。


 数字と命。

 机の上の帳簿と、泥だらけの現場。


 その両方を抱え込んだまま、まだ見ぬ海への「ゲーム2」が、静かに動き出そうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ