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死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第一章 ヴァルム試験国家編(1208 - 完結)

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第二十七話 ギルドの誘惑(2)

 父の書斎。

 帝都の議場。

 王太子の断罪の舞台。


 そこからさらに外側――という彼の言葉には、たしかに魅力があった。

 帝国という盤面の外から帝国を眺める、という父の遺言に、ある意味一番近い場所。


 ただ、その場所は「人の死」でしか数字を刻まない。


「お断りします」


 シュアラは、自分の声が驚くほどはっきりしているのを感じた。


「私は、“盤面に残す側”にいます」


「残した首も、いつかは死にますよ」


 ヴァレンは、淡々と言った。


「私のところに来れば、その“いつか”のタイミングを自在に弄れます」


「弄るために残しているわけではありません」


 シュアラは、膝の上で握っていた手をほどいた。


「私がやりたいのは、せいぜい一冬ぶん、“ゼロになるはずだった数字”を後ろにずらすことです」


「一冬ぶん、か」


 ヴァレンの口元が、愉快そうに緩む。


「ずいぶん慎ましい野心だ」


「慎ましく括っておかないと、全部欲しくなってしまいますから」


 父が、「帝国全部を救おうとした結果、帝国全部に首を絞められた男」だったことを思う。

 同じ失敗を繰り返すつもりはない。


「それに」


 シュアラは、机の上の紙束を自分の方へ引き寄せた。


「私には、まだ終わっていないゲームがあります」


「ゲーム?」


「ええ」


 ペン先を紙の端に走らせる。


「第一ゲームは、『自分が死んだことにする』でした。第二は、『砦の胃袋を一つにまとめる』。第三は、『矢を撃てない狙撃手に、引き金を選ばせる』。第四は、先日の『脳と牙を束ねた』戦」


 ペンの先が、紙の上で止まる。


「第五ゲームは――」


 シュアラは顔を上げた。


「『冬の試験国家』です」


 沈黙が、音を持ったように部屋の中に落ちた。


 ゲルトが、「はあ?」と喉の奥で言う。

 フィンは口を開きかけて閉じた。

 カイでさえ、一瞬だけ言葉を探している。


「国家、だと?」


 それでも最初に声を出したのは、カイだった。


「冗談なら、笑ってやるが」


「冗談ではありません」


 シュアラは、紙の上に円を三つ描いた。


「ヴァルム砦。東の燻製の村。川沿いの粉挽きの村。鉄を出す谷の村。この三つと一つで、一つの国家ユニットを作ります」


「国家ユニット?」


「国の最小単位のようなものです」


 ペン先が、円と円を線で結んでいく。


「粉、肉、鉄、兵、国境線。この五つが揃っているなら、本来は一つの“国”として成立する条件を満たしている。帝都がこのユニットを切り捨てるなら、こちらは『試験国家』として一冬ぶん運用してみる」


 ヴァレンの灰色の目が、明らかに色を変えた。


 焦点が、完全に紙に合う。

 爬虫類が獲物を見つけたときのような、冷たい光。


「……帝国内側の端切れを、帝国外側の試験台にする、と」


「言い方は好きにして構いません」


 シュアラは、さらりと言った。


「帝都の正式な保護から外れるなら、代わりに別の“守り手”を探さなければなりません」


 ペン先が、紙の端に名前を書き込む。


『相手方候補:ハーツ財務公庫』


「借金の肩代わりではなく、通商条約です」


 シュアラは、顔を上げた。


「あなた方は、このユニットの通商路と物資輸送を請け負う。その代わり、我々は一定割合の粉と肉と鉄を、優先的にあなた方に回す」


「……ふむ」


 ヴァレンは、金貨を指の間で転がしながら聞いていた。


「徴税権ではなく、通商路の権利だけをよこせと。帝国の法の外で」


「はい」


 シュアラははっきりと頷いた。


「兵の指揮権も、村の裁判権も渡しません。あなた方は“商人”としてだけ、このユニットに関与する」


 カイの肩から、わずかに力が抜けるのが見えた。

 ゲルトが、頭をかきむしりながら「そんな話、聞いたことねえぞ」とぼやく。


 ヴァレンは、静かに笑った。


「いいですね」


 笑ってはいるが、その目には一切の温度がない。


「帝都が捨てようとしている端切れが、自分で自分を『国家』と名乗り、ギルド相手に条約を結ぼうとしている。……オッズが、さらに歪みました」


「無謀ですか」


「ええ。破綻する可能性は高い」


 ヴァレンは、少しだけ顔を傾けた。


「だからこそ、賭ける価値がある」


 フィンが、溜息とも悪態ともつかない息を吐いた。


「やっぱり疫病神だ、こいつ」


「ただし」


 ヴァレンは、指を一本立てた。


「こちらにも条件があります」


「聞きましょう」


「この『試験国家』条約の有効期限は、この冬いっぱい」


 それは想定の範囲内だ。

 シュアラは頷く。


「そして、もう一つ」


 金貨が、彼の指から姿を消した。


 次の瞬間、ヴァレンの手のひらが、静かにテーブルの上に置かれる。


「担保です」


「担保?」


 シュアラは、無意識に懐の手帳を押さえた。

 担保という単語は、帝都の会議室で何度も聞いた。

 土地。税収。鉱山。船。人質。


「そう。条約を成り立たせるための、人質」


 ヴァレンは、手のひらを返した。


「『死人文官シュアラの存命』」


 口から空気が抜ける音が、自分にも聞こえた。


「……どういう意味ですか」


「簡単です」


 ヴァレンは、能面のような顔で言った。


「この冬のあいだ、この砦と三つの村が『試験国家』として扱われる条件。それは、『あなたが死なないこと』」


 カイが、椅子を軋ませて身を乗り出した。


「てめえ」


「あなた方の安全保障が、あなた一人の心臓の鼓動に紐づく」


 ヴァレンの声は、妙にやわらかかった。


「あなたが生きているあいだは、我々はこのユニットを『投資対象』として扱う。物資も人も、できるかぎり守る方向で動く」


 灰色の目が、じっとこちらを見ている。


「逆に、あなたの心臓が止まった瞬間――」


 指先が、軽くテーブルを叩いた。

 その音が、脈拍の終わりのように聞こえる。


「このユニットはただの『負債の塊』に戻る。帝都の帳簿に従って、切り捨て候補として処理される」


 フィンの顔から血の気が引いた。

 ゲルトが、思わず「ふざけんな」と低く唸る。


「ふざけてはおりません」


 ヴァレンは、彼らの怒りをさらりと受け流した。


「私たちは、“生かす方に賭ける”ギルドです。だからこそ、『生かす条件』をはっきりさせておきたい」


 その「生かす」という単語に、血の匂いがついている。


 シュアラは、喉を鳴らすのをこらえながら言った。


「私が死ねば、ここも一緒に死ぬと」


「ええ。あなたは、この冬のあいだ、この土地全体の“抵当権”です」


 抵当権。


 土地に設定するはずの言葉が、自分の胸に貼り付けられる感覚。

 妙な酔いのようなものが、頭の奥からじわりと湧いてくる。


「お前、そんな条件……!」


 カイが言いかけたとき、シュアラは自分の声で遮っていた。


「いいえ」


 自分でも驚くほど、すぐに言葉が出た。


「条件としては、合理的です」


 ヴァレンの目が、面白そうに細くなる。


「おや」


「この冬、私が死んでいたら、たしかにこのユニットの生存率は急落します」


 シュアラは、懐から手帳を取り出した。


 矢で裂かれたページを開く。

 『死者ゼロ(暫定→本番へ)』と書かれた行の下に、新しい余白。


「すでに、いくつかの判断が私に集中してしまっている。設計者を急に欠けば、砦も村も戸惑うでしょう」


 ペン先が、紙の上に触れる。


「でしたら、いっそ最初から“担保”として明示した方が、こちらも覚悟が決まります」


「覚悟ってレベルの話じゃねえだろ!」


 カイの声が、机を震わせた。


「お前、自分が何書いてるか分かってんのか」


「分かっているつもりです」


 シュアラは、目を上げずに答えた。


「第四ゲームの決算書にも、同じような行を書きましたから」


 父の声が、記憶のどこかで笑った気がした。

 ──感情も、数字にしてしまえば扱いやすいだろう?


「……本当にやる気か」


 カイの声が、さっきより低くなる。


 シュアラはようやく顔を上げた。


 カイの森色の目が、怒りと恐怖と心配をごちゃ混ぜにして、こちらを見ている。

 その視線に、胸が少しだけ痛くなった。


(私が死ねば、この人はまた“負け戦の将”になる)


 そう思うと、ペン先が迷わなくなる。


「団長」


 シュアラは、まっすぐカイを見た。


「第四ゲームの決算でも言いましたが――砦側死者ゼロ、村側死者ゼロは、すでに一度達成しました」


 矢で裂かれたページに、新しい行を書き込む。


『第五ゲーム:冬の試験国家

 担保:死人文官シュアラの存命』


 インクが、裂け目の縁にじわりと染みていく。


「今さら、“自分だけ盤面の外にいる”ふりはできません」


 手帳を閉じる。


 ヴァレンが、小さく手を叩いた。

 拍手にしては音が小さい。だが、その薄さがかえって耳に残る。


「すばらしい」


 能面の顔に、初めて感情らしきものが浮かんだ。

 それは喜びというより、「退屈の解消」に近い光だ。


「では、この冬――あなたの心臓の鼓動と、この土地の生存日数に、賭けさせてもらいましょう」


 外では、降り始めた雪が窓を白く曇らせていた。


 会議室の中で、自分の心拍だけが、やけに大きく聞こえる。

 一つ打つごとに、試験国家の期限が一日ずつ縮んでいくような気がした。


 ヴァレンの指先で、金貨が静かに回る。

 その金属の冷たい光が、この冬じゅう、どこかで盤面を見つめ続けているのだろうと、シュアラは思った。


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