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死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第一章 ヴァルム試験国家編(1208 - 完結)

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第二十二話 隠し事の荷車(1)

 夜というには薄く、朝というには早すぎる色が、砦の上にかかっていた。

 空の底が、うっすらと白んでいる。


 第三倉庫の前だけが、やけに騒がしい。


 荷車が二台。

 馬が二頭ずつ。

 車輪には麻縄が巻かれ、軸には凍らないよう油が塗り込まれている。


 ラルスが荷台に上がり、半分凍った指でロープを締めていた。結び目を噛んだ歯が、じん、と痛む。


「もう一回、そこ締め直してください」


 荷の端を押さえながら、シュアラが言う。


「坂の途中でほどけるのは困ります」


「はいよ……」


 ラルスは手袋越しにさらに力を込めた。

 ロープがきしむ。中で石袋が少しだけ沈む。


 石袋と、小麦袋と、干し肉の樽。

 見た目だけなら、ただの物資搬送だ。


 ラルスが、結び目を叩いて息を吐く。


「……これ、本当に、石ころでいいんですよね」


「ええ。敵から見えるのは、荷車の数と、傾きだけです」


 シュアラは、荷台の側面に手を置いた。

 木板は冷たく、指先にざらつきが残る。


「重さと高さだけが分かれば、『中身は食えるものだ』と判断してくれます」


「判断してくれます、って言い方やめてほしいなあ」


 ラルスが、苦笑とも溜息ともつかない声を漏らした。


「まるで、食ってもらうのを楽しみにしてるみてえだ」


「楽しみではありません」


 そう言ってから、少し考え直す。


「……正しく噛んでもらえるなら、ありがたいとは思います」


「ほら、やっぱり怖いことサラッと言う」


 ラルスは肩をすくめた。


「団長さん、ほんとによく許しましたね。こんな手」


「よく、というほど滑らかではありませんでした」


 インクと紙の匂いが、一瞬、鼻の奥で蘇る。


 昨夜の団長室の、こもった空気。


 *


「囮に文官を出す? 馬鹿言え」


 地図の上に置かれた団長の手が、どん、と音を立てた。

 蝋燭の火が揺れ、影が壁に跳ねる。


 執務棟二階の団長室。

 窓の外は、すでに色を失っている。紙と革と、人間の体温だけが部屋を暖めていた。


「囮に出すのは荷と馬だ。人間はおまけでいい」


「御者と護衛だけでは、現場での判断が足りません」


 シュアラは、机の端に立ったまま言った。

 背筋を伸ばしていても、肩に力が入っているのが自分で分かる。


「どこで荷を捨て、どこで止まり、どこで走り切るか。数字を見ながら決める人間が、一人必要です」


 地図の上には、砦と三つの村と、谷と坂道。

 黒いインクで描いた線の上に、小さな石と木片が置かれている。


 カイはその盤面を睨みつけたまま、低く唸った。


「必要だからって、そこにお前を置く理由にはならねえ」


 乱暴な言い方だが、間違ってはいない。


「帳簿を見慣れていて、村の状況も把握していて、物資の優先順位もその場で切り替えられる人間は?」


「他に候補は」


「います」


 即答してから、自分でその言い方に違和感を覚えた。

 実際には「いたらいいのですが」の方が正しい。


 カイの視線が、ようやくシュアラに向く。


「誰だ」


 短い問い。


 名前を出せば、たちまち嘘になる。

 出さなければ、嘘ではないが、真実からはずれる。


「……輜重兵の中に、帳簿の読み書きができる者が何人かいます」


 言葉を選びながら答える。


「彼らに必要な数字だけを教え込めば、最低限の判断はできます」


「『最低限』で回るように作るのが作戦の仕事だろうが」


 カイは舌打ちした。


「お前は砦に残れ。囮に出すために拾ったんじゃねえ」


 その言葉に、喉の奥が一度詰まる。


 砦に残れ。

 それは、正しい判断だ。砦全体の効率だけを考えるなら。


 けれど、囮隊の中に「もう一個上の判断」を持ち込めば、助かる首の本数が増える計算になる。


(ここで、全部言う必要はない)


 手帳の余白に書き込んだ「許容損耗率」の行が、頭の中でじわりとにじんだ。


「作戦そのものは、必要です」


 別の角度から切り返す。


「数で勝る敵に対して、主力を一ヶ所に固定するための『噛ませどころ』がなければ、砦と村を同時に守ることはできません」


 盤面の上で、石を一つ動かす。


 坂道。橋の手前。

 重い荷車。


「囮になるのは、物資搬送を装った輜重隊です。御者と護衛数名、それに記録係が一人」


「記録係、ねえ」


 カイは鼻を鳴らした。


「その記録係とやらは、誰だ」


 さっきと同じ問い方だった。


 蝋燭の火が、芯のあたりでじ、と小さく音を立てる。


「選定はこちらに任せていただけますか」


 答えの形だけ先に出す。


「帳簿の理解度と、撤退時の判断の速さを見て、今日中に決めます」


 カイの目が細まった。

 「名前」から逃げたことは、きっと気付かれている。


「……お前、自分でその枠に滑り込むつもりじゃねえだろうな」


「囮隊の構成は、私が責任を持って決めます」


 問いには、直接答えない。


「ただし、誰をどこに立たせるかは、全体の生存率を見て判断したい」


 沈黙が、机の上で横に伸びた。


 窓ガラスに映った自分の顔は、思ったより平静に見える。

 その裏側で、心臓の打ち方だけが少し速くなっていた。


「目標は、死者ゼロだな」


 カイがぽつりと言った。


「はい」


「だったら、お前の死も入ってる」


 淡々とした口調だった。


「この砦から一人も出さねえって決めたなら、そこにお前も含める」


 喉に引っかかっていたものが、少しだけ動く。


 返事がすぐには出てこない。


 代わりに、指先が勝手に動いた。

 机の端を押さえていた手に、力が入る。


「……作戦の許可をいただけますか」


 自分でも分かるくらい、話題をずらした。


「囮隊の規模、坂道と橋の噛ませどころ、リオさんの配置。細部はまだ詰めますが、大枠として」


 カイは深く息を吐いた。


「条件付きだ」


 指を一本立てる。


「囮隊の撤退ラインは、現場じゃなく、砦から見てる俺が決める」


「どういう……」


「伝令を一人つける。そいつからの報告で、俺が『もう駄目だ』と思ったところが終わりだ」


 彼の声が低くなる。


「お前の頭の中の『まだいける』は、現場の『もう限界』より、だいたい一歩先にある」


 図星を刺された感じがした。

 否定する言葉が、うまく見つからない。


「俺が引けと言ったら、その時点で全部捨てて帰ってこい。荷でも、計画でも、数字でもだ」


「……分かりました」


 喉の引っかかりを押し下げるようにして答える。


「約束します」


「よし」


 カイは、椅子の背にもたれ直した。


「作戦そのものは許可する。囮隊も出せ。坂も橋も好きに使え」


 そこで一度言葉を切り、口の端をわずかに上げる。


「ただし、お前は本来なら砦に残ってろ。そこが一番、頭を使える場所だ」


 それは、命令というより「当然そうだろう」という前提の確認だった。


 その前提を、今ここで壊しておくべきかどうか。

 少しだけ迷って、結局、黙る。


(団長が守ろうとしているのは、私の命というより、この砦全体の『頭脳』としての機能だ)


(それを一時的に前線に持ち出すことで助かる首の数が増えるなら――)


 数字の方が、まだ重かった。


「……分かりました」


 違う問いに対する返事のような形で、もう一度そう言う。


 カイは、それ以上は追及しなかった。


「じゃあ、囮隊も含めて全部まとめてこい」


 短く言って、机の上の別の書類に目を落とす。


「勝手に『第五ゲーム』だけは始めんなよ」


「第五ゲーム?」


「『自分の命をどこまで削ったら砦が得するか』ってやつだ」


 言われて、胸の奥で何かがきしむ。


 それは、すでに頭の片隅で始まりかけていたゲームだったからだ。


 黙って頭を下げる。

 それが、肯定にも否定にも見えないことを祈りながら。


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