表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第一章 ヴァルム試験国家編(1208 - 完結)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/74

第二十話 引き金の重さ(2)

 昼過ぎ。団長室。


 窓際の机には地図と帳簿が広がり、インクと乾いた紙の匂いに、鉄と革と汗の匂いがうっすら混ざっていた。


 カイは椅子に腰かけ、報告書に目を通している。右手に持ったペンの先が、紙の上でかすかに震えていた。酔いではなく、眠気でもない震えだと、シュアラは知っている。


「……そうか」


 リオの件を最後まで聞き終え、カイが短く息を吐いた。


「リオは、自分でそう言ったんだな」


 彼は報告書から視線を外さずに問う。


 シュアラは一呼吸置いてからうなずいた。


「はい。自分の言葉でした」


「お前は、それをよしとした」


「今の彼にできる選択としては、最良だと判断しました」


 どこか聞き慣れた言い回しになってしまい、自分で少し眉をひそめる。父が会議で好んで使った語だ。


 カイはペン先を紙から離し、ようやく顔を上げた。


「なら、それでいい」


 それ以上は何も言わない。ただ、机の上の地図の一点をしばらく見つめていた。右手は、まだペンを握ったまま微かに震えている。


 その震えに触れずに部屋を出ることが、この場の礼儀のように思えた。


 シュアラは黙って一礼し、団長室を辞した。扉を閉めた瞬間、廊下の冷たい空気が頬を撫でる。ようやく、自分の肩もふっと落ちた。


 ***


 夕刻。砦の門前。


 細い笛の音が二度、短く鳴った。斥候隊帰還の合図だ。


 門番が毛布を肩にかけ直し、掛け金を引き上げる。鉄が擦れ合う音が、手袋越しの指先まで響いた。


 冷気と一緒に、泥と汗と馬の匂いが流れ込んでくる。


「ただいま戻りましたっと」


 軽い声とともに、茶色い髪を雑に束ねた男――フィンが門をくぐった。頬には泥が飛び、息は荒いが、目はちゃんと笑っている。


 数人の斥候たちが後に続く。足取りは重いが、「もう戻らない者」の歩き方ではない。今日のところは、とりあえず死者ゼロだ。


 ちょうど門の近くを通りかかったシュアラに、フィンが片手を振った。


「お、軍師殿。ちょうどいいとこに」


「お帰りなさい。怪我人は?」


 問いかけながら、彼らの歩幅に合わせて歩く。門番が差し出した水袋を、フィンが乱暴に受け取った。


「軽い捻挫が一人。あとは腹が減って死にそうってくらいだな」


 冷たい水を喉に流し込みながら、フィンが肩を回す。ごくり、という音が聞こえてきそうだった。


 門番が「おかわりは戻ってからだ」と水袋を取り上げる。その短い言葉で、門の内側にいつもの空気が少し戻る。


「で、だ」


 フィンは声を少しだけ落とした。


「悪い知らせと、もっと悪い知らせがあるんだが、どっちから聞きたい?」


「順番にお願いします。悪いほうから」


「真面目だねえ」


 肩をすくめながら、フィンは門のわきの雪の上にしゃがみ込む。指でざっくりと地図を描き始めた。


「ここがヴァルムで、ここが東の村」


 雪の上に丸を二つ。


「あんたが襲われた山道がこの辺で……」


 その向こう側。フィンはそこに、小さな点をいくつか打った。


「前に見たときは、旗が二つとか三つだったんだよ。小領主様の家紋らしきやつが」


 指先で点を二度、三度叩く。


「それがな、さっき見たら五つに増えてた」


「五つ」


 雪の上の点が、やけに黒く見える。


「見慣れたのが三つ。残り二つは初見。どう見ても“うちの偉いさんたちだけで遊びに来ました”って数じゃねえな」


 唇には笑いを乗せているが、声の底は硬い。


「それが“悪いほう”ですか」


「いや、そっちはまだマシなほう」


 フィンは指先をしゃくった。


「もっと悪いのは、連中がどこを狙ってるかだ」


「……燻製小屋、ですか」


 自分で口に出した瞬間、胸の奥がざわっとした。煙と肉の匂いが、記憶の中で一度だけ濃くなる。


 フィンは、ぱちりと片目をつぶった。


「話が早くて助かる」


 雪の上の「東の村」の丸をぐりぐりと広げる。


「向こうの谷の飲み屋でな、“東のほうからいい匂いが流れてくる”って噂になってんだよ」


 言葉の調子は軽いが、指先の力は緩まない。


「“冬だってのに、あの村は旨そうな煙を上げてやがる”ってな」


 雪の上の村の印が、急に無防備に見えた。


(煙は、「ここにまだ食べ物があります」という旗)


 あの村で、自分が村人たちに説明した言葉が、そのまま刃になって戻ってきた気がした。


「小領主様方がそれを聞きつけないわけがない。雪が完全に道を塞ぐ前に一発かまして、人と食い物をまとめてかっさらうつもりだろうさ」


「時期の目安は」


「道の雪次第だが……早けりゃ、一月も待たねえだろうな」


 フィンは立ち上がり、手についた雪を払った。指先が赤くなっているのを見て、シュアラは昼のリオの指を思い出した。


「ま、そういうわけで。あんたの盤面の端っこが、また一つうるさくなってきたってこった」


「助かりました」


 シュアラは、きちんと頭を下げた。


「あなたの命も、その盤面の端に乗っていますので。大事に使います」


 一瞬だけ、フィンの眼が見開かれる。


 次の瞬間には、いつもの調子で笑った。


「やっぱり怖えな、あんた」


 笑いながら言う。


「でも、そう言われると、ちょっとだけ得した気もする」


 彼は仲間たちと一緒に兵舎の方へ歩いて行った。泥と汗と皮革の匂いが、ゆっくりと遠ざかっていく。


 門の外に目を向けると、遠くの山並みが薄く霞んでいた。山肌の白と灰色のあいだに、見えないはずの旗が五つ、脳裏に並ぶ。


 誰かが、向こう側でも引き金に指をかけている。こちらが弦を引く理由を探しているあいだに、向こうは別の計算で「撃つ理由」を揃えているのだろう。


 シュアラは外套の内ポケットから手帳を取り出した。


 昼間のページには、「リオ――仲間と村人を守るために撃つ」と、自分の字で書き足してある。昨夜破って捨てた「矯正案」のページは、炉の隅で灰になりかけているはずだ。


 その下の余白に、新しい見出しを書き込む。


『初戦準備(仮)』


 中身はまだ空っぽだ。敵の兵数も、こちらの布陣も、避難経路も、何一つ決まっていない。


 ただ一つだけ確かなのは――少なくとも、「引き金の重さ」を知った狙撃手が一人、盤面に乗ったということだ。


 恐怖と責任を抱えたまま、それでも矢を番えると決めた少年。

 そして、復興しつつある村を切り取りに来る、小領主たちの旗。


 どちらの指が、どれだけの命を動かすのか。


 冬の風が、砦の門の前を抜けていった。冷たいはずなのに、さっきよりは少しだけ穏やかに感じる。


 シュアラは手帳を閉じ、懐に戻した。紙の束が、指先にいつもの重みで返ってくる。


 門の上では、門番の男がいつものように壁にもたれかかっていた。目を閉じているようで、耳だけは外の音を拾っている。


(少なくとも、あの人の番のあいだは、まだ大丈夫だと思いたいですね)


 そう心の中でつぶやき、シュアラは砦の中庭へ歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ