第十六話 死んだ鉄に熱を灯す(2)
ギルド支部の建物は、他の家より少しだけ立派だった。
石壁にはよく磨かれた紋章。扉の金具にも無駄な装飾が多い。
応接室のテーブルを挟んで、向かって右にカイとシュアラ、フィン。
左に鉱山側の親方と、ギルド支部の代理人が座っている。
代理人は、上等な布の上着をきっちり着込み、細い指で杯を弄んでいた。
「砦の皆様が、こんな辺鄙なところへ」
柔らかい声で笑う。
「何かご入用で? 鉄でしたら、正式な手続きで――」
「鉄を買いに来たわけじゃねえ」
カイが言葉を切る。
「砦の武器の修繕を頼みに来た」
「修繕……?」
代理人の眉がわずかに動いた。
「ええ」
シュアラは、一歩前のめりになる。
「砦には、廃棄予定の武具が多くあります。
本来なら帝都の工房に送るべきですが、冬の山道は危険です」
「それはまた、ごもっとも」
代理人は笑みを崩さない。
「そこで、アイアンストリームの鍛冶場にお願いしたいのです」
シュアラは、持参した羊皮紙を広げた。
「折れた剣、刃の欠けた槍、割れた盾。
これらをまとめて鉄として溶かし、棒鉄と釘、簡単な部品に加工していただく」
「ふむ……」
代理人の視線が、羊皮紙からシュアラへと滑る。
「ギルドを通さずに、という意味ですか?」
「いえ。鉱山の鉄の話はしていません」
シュアラは、別の羊皮紙を取り出した。
「これは、鉱山とギルドの契約書写しです。
『鉱山から産出される鉱石および精錬鉄は、ギルドを通してのみ売買すること』――」
その一文に指を置く。
「砦所有の武具の処理については、一言も書かれていません」
「しかし、実務上はですね」
「実務上の慣例は、別の紙で示されているのでしょうか」
代理人が一瞬、言葉を飲み込んだ。
鉱山の親方が、その隙を逃さず口を挟む。
「砦のもんが鉄持ってきて、うちの炉で溶かす。それのどこがいけねえ」
「親方。慣例というのはですね――」
「慣例慣例って、お前らの飯の種だろうが!」
親方の怒鳴り声に、応接室の空気が一気に熱を帯びた。
シュアラは、机の下でこっそり足を組み替える。
場の温度は上がった。ここから、どこに落とすか。
「ギルドの皆さんは、帝都や他の土地でも多くの取引を抱えているはずです」
シュアラは、代理人に向き直った。
「その中で、この谷の小さな修繕仕事一つに、どれほど目を配れるでしょうか」
「……それは」
「砦と村の間で、小さな器を一つ増やすだけです。
大きな壺――ギルド様の器だけでは、こぼれる水もありますから」
ミルストーンの村で言った比喩を、ここでも使う。
「砦から見れば、この村は『鉄の口』です。
南は粉の口、東は魚と燻製の口。
三つの口が塞がれば、砦も一緒に窒息します」
「……難しい話だな」
親方が頭を掻いた。
「要するに、うちが鉄を出して、粉をもらう。そういうこったろ」
「そうです」
フィンが笑って引き取る。
「難しいところは全部軍師殿の頭の中でやってもらって、俺らは“鉄出して粉もらう”だけだ」
「最初からそう言え! そっちのが分かりやすい!」
親方が肩を揺らして笑う。
代理人も、わずかに口角を上げた。
「なるほど。
砦と村の間で、修繕と食料の物々交換を行うわけですね」
「はい。ギルド商会からの穀物を買わなくなるわけではありません」
シュアラは、そこをはっきりさせる。
「ただ、『ギルドだけに頼らない口』を一つ増やす。
そうしないと、この村は冬ごとに痩せていく一方です」
代理人は、しばらく黙って彼女を見つめていた。
「帝都の方ですか?」
「いいえ。私はもう、帝都の帳簿からは消えていますので」
さらりと返すと、彼の目が一瞬だけ鋭く光った。
「……興味深い」
低く呟いてから、代理人は肩をすくめる。
「契約上、明確な違反点は見当たりません。
ただし――」
「ただし?」
「こうした動きが“慣例”になるかどうかは、これから次第です」
それは、「ギルドとして様子を見る」という意味だ。
「構いません」
シュアラは頷いた。
「慣例は、数字と結果で積み上げていきますので」
カイが、そこで口を挟んだ。
「要するに、こうだ」
彼は、テーブルに置かれた木箱の蓋を軽く叩く。
「この鉄くずは、『砦の問題』ってことにしといてくれ」
「砦の……?」
「砦が勝手にガラクタ抱えてきて、ここで溶かしてるだけだ。
何かあれば、『あの負け戦の将がまた余計なことしてる』って言っときゃいい」
自分で自分を揶揄する言い方に、親方が吹き出した。
「そりゃ、言い訳に便利だ」
「便利すぎるくらいだな」
フィンも肩を揺らす。
「帝都から見りゃ、どうせこの谷の数字なんざ端っこだ。
なら、その端っこでちょっと遊んでも、すぐにはバレねえよ」
「遊んではいません」
シュアラは、小さく訂正した。
「試験運用です」
*
鍛冶場の中は、熱かった。
外の冷気を忘れそうになるほどの熱が、炉から溢れている。
鉄を打つ音が、間近でさらに大きく響いた。
カン、カン、カン――。
砦から持ち込んだ折れた剣三本が、炉の傍らに積まれている。
「ほらよ、貸せ」
鍛冶師が、一本をひったくるように掴み、炉の中へ滑り込ませた。
赤く、やがて白く。
錆びていた刃が、熱で柔らかくなっていく。
「近寄りすぎるなよ、軍師殿」
フィンが、炉の縁に近づこうとしたシュアラの肩を引いた。
「スカート、燃えるぞ」
「スカートではありません。これは――」
「そこじゃねえ」
鍛冶師が短く怒鳴る。
「目だ。
慣れてねえ奴が近くで見てると、熱にやられる」
「あ……」
熱気で頬が火照っていることに、ようやく気づいた。
ほんの少し、足がふらついた瞬間、背中に固い感触があった。
「ほら」
カイが、無造作に腕を伸ばし、彼女の肩を支えていた。
「数字が溶ける前に、文官が溶けるぞ」
「……申し訳ありません」
シュアラは一歩下がり、体勢を整えた。
カイの手はすぐに離れたが、熱とは別の熱が首筋に残る。
「興味あるなら、ここから見てろ」
カイが、炉から少し離れた位置を顎で示す。
「全部見なくていい。
鉄が赤くなって、叩かれて、形が変わるとこだけで十分だ」
「はい」
シュアラは、示された場所に立った。
鍛冶師が、炉から剣を引き出す。
真っ赤になった金属を、床の台に乗せる。
「いくぞ!」
重いハンマーが振り下ろされる。
ガン、と空気ごと叩きつけるような音。
折れ目が押しつぶされ、一本の棒になっていく。
何度も何度も。
火花が弾け、そのたびに鉄の形が変わった。
「ほらよ」
鍛冶師が、まだ熱の残る棒鉄をボルグに渡す。
ボルグは、掌の上でその重さとしなりを確かめた。
「……悪くねえ」
短い評価に、鍛冶師が鼻を鳴らす。
「当たり前だ。
うちをどこの田舎鍛冶だと思ってやがる」
「田舎鍛冶だろうが」
フィンが茶々を入れる。
「帝都の工房より手が早えなら、それで十分だ」
シュアラは、棒鉄の長さと太さを目測で測り、手帳に書き込んだ。
『試験一号:砦廃棄剣3本→棒鉄1本(推定○斤)』
(炉の温度と鉄の質でロスは変わる。けれど――)
完璧な数字ではなくてもいい。
今は、「動き出した」という事実の方が重要だ。
鍛冶場の外から、子どもの声が聞こえた。
「お父!」
振り向くと、小柄な少年が、鍛冶師に駆け寄っていた。
「なんだ」
「砦のおじさんたち、泊まってくんだろ?
母ちゃんが、鍋を大きいのに替えろって」
「……そうか」
鍛冶師の顔が、わずかに緩む。
「じゃあ今日は、鉄だけじゃなくて飯も叩けるな」
「鉄は叩くもんで、飯は叩くもんじゃねえよ」
少年のあっけらかんとした返しに、周りから笑いが漏れた。
シュアラは、その親子を見つめながら、胸の中で数字を一つだけ書き換える。
(アイアンストリーム――子どもの人数、思っていたより少ない)
それでも、この村にも「守るべきもの」がある。
ならば、盤面に組み込む価値は十分だ。
*
その夜。
砦一行は、川沿いの小さな宿を借りて泊まることになった。
屋根裏部屋を改造したような狭い部屋。
低い天井には、煤が薄く張りついている。
粗末な机の上に、シュアラの手帳と羊皮紙が広がっていた。
『砦・西の村 修繕記録』
『入:砦廃棄武具(重量/品目)』
『出:棒鉄・釘・部品(重量/用途)』
『対価:粉袋(枚数/送り先)』
東と南の線も、同じ紙の上に引き直していく。
(東――燻製と魚。
南――粉と村の帳簿。
西――鉄と修繕。)
中央の砦から伸びた線が、少しずつ太くなっていく。
扉が、こん、と軽く叩かれた。
「入ってます」
「知ってる」
カイが、片手に皿を持って入ってきた。
皿の上には、宿の女将が用意したらしい煮込みが乗っている。
「飯、残してただろ」
机の上に皿を置く。
「数字と喧嘩してるときは、口が止まるタイプだな、お前」
「喧嘩ではありません。交渉です」
「どっちでもいい」
カイは、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
珍しく、すぐには出て行こうとしない。
「……何か、ご用でしょうか」
「用がなきゃ来ちゃいけねえのか」
「いえ、そんなことは」
シュアラは慌てて首を振った。
カイの視線が、机の上の紙に落ちる。
「また増えたな」
そこには、三つの村と砦を結ぶ図が描かれていた。
東、南、西。それぞれに小さな矢印が並んでいる。
「帝都の帳簿の奴らが見たら、卒倒するぞ」
「帝都の帳簿からは、私はもう――」
「消えてる、か」
カイが言葉を継いだ。
「さっき、ギルドのやつにも言ってただろ」
シュアラは、手を止める。
「聞いていたのですか」
「耳はついてる」
カイは、机の隅に肘をついた。
「お前、本当に“消えてる”のか。帝都から」
「……少なくとも、帝都の公式な書類上では」
死亡届の封筒の重さが、懐で少し増した気がした。
「辺境送りの文官なんて、いくらでもいる」
カイは続ける。
「でも、お前の書き方は、そういう連中のそれとは違う」
「書き方、ですか」
「ああ。数字の並べ方と、線の引き方だ」
彼の視線が、紙の上をなぞる。
「帝都の会計官の書類と似てる。
俺が負けたとき、山ほど見せられたあの紙束と同じ匂いがする」
赤い谷の敗戦。
その後に押し付けられた報告書と査問の山。
「帝都の奴らはな」
カイは低く笑った。
「俺たちを数字で裁くとき、こういう線を引いてた。
『ここを切り捨てれば、全体が保たれる』って線だ」
シュアラの指先に力が入る。
「お前は、似た線を引いてるようで、何かが違う」
カイが、紙の上に指を置いた。
砦とアイアンストリームの間に引かれた線の上だ。
「帝都の連中は、ここに『切り捨て線』を引いた。
お前は、『つなぎ直す線』を引いてる」
彼の指が、東と南の線も軽く叩く。
「だから、気になる」
あっさりとした言い方だった。
「帝都の会計官みてえな顔してるのに、やってることは全然違う」
「顔は関係ありません」
「うるせえ。顔も関係ある」
カイは、まっすぐ彼女を見た。
「“数字女”だの“軍師殿”だの、好きな名前で呼ばせてるがな。
お前が何を怖がって、何をまだ捨ててねえのかくらいは、知っときてえ」
胸の奥が、一瞬だけきしんだ。
(……まだ、捨てていないもの)
父の声。
燃え落ちる馬車。
帝都の舞踏会の光。
王太子の「愛のない数字女」という断罪。
それらを一つにまとめる言葉を、シュアラはまだ持っていない。
「今は、冬を越すことだけを考えています」
それが、絞り出せる精一杯の答えだった。
「冬が終わったら、考えます。
何を捨てて、何を――持ち出すか」
カイは、それ以上追及しなかった。
「そうか」
彼は椅子から立ち上がり、皿を指差した。
「冷める前に食えよ」
「はい」
扉に手をかけたところで、ふと振り返る。
「それと、一つだけ」
「はい?」
「帝都じゃ何て呼ばれてたかは知らねえが」
カイは、わずかに口元を緩めた。
「俺は、今のところ“軍師殿”の方が気に入ってる」
そう言って、部屋を出て行った。
扉が閉まる音がしたあと、シュアラはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
(……軍師殿)
胸の奥で、その言葉が静かに重なる。
帝都で与えられたどの肩書きとも違う。
辺境の砦で、勝手に生まれた名前。
手帳の余白に、小さく書き込みたくなる衝動を、ぎりぎりで抑えた。
(東に煙。南に粉。西に鉄)
三つの村から立ち上る気配が、紙の上の線と重なって見える。
炉の煙。灰色の空。
遠くで、鉄を打つ音がまだ続いていた。
(天秤は、まだ沈んだままです)
けれど。
(手を伸ばせる場所が、少しずつ増えている)
皿から立ち上る湯気が、屋根裏の低い天井でゆらゆらと揺れた。
その向こうに、冬の空の影が薄く見えていた。




