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死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第一章 ヴァルム試験国家編(1208 - 完結)

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第十三話 雪の日の作戦会議(1)

 ヴァルム砦に戻った翌日の朝。

 空は、雪になりきれない灰色の雲で塞がっていた。


 砦の一番奥、文官用に宛がわれた小部屋。

 元は物置だったらしいその部屋の床一面に、紙と石とパンくずが散らばっている。


 その真ん中で、シュアラは膝をついていた。


 机の上には広げた羊皮紙。

 その上に、小さな黒い石と、硬くなったパンの切れ端。


(……そろそろ怒られそうですね)


 自覚はある。

 文官室というより、子どもの遊び場に近い光景だ。


 だが、数字だけでは足りない。

 目で見て、指で動かして、「ここに生きているもの」として並べておきたかった。


 ヴァルム砦を中心に、三本の線が伸びている。

 南へ、北西へ、そして東へ。


 それぞれの先に、小さな円。

 ペンで雑に名前が書き込まれていた。


『ミルストーン(南の村)』

『アイアンストリーム(西の鉱山村)』

『シルバークリーク(東の村)』


(帝都の台帳では、どれもただの「辺境農村」ですが)


 羊皮紙の端には、昨夜までにまとめた数字がびっしりと並んでいる。


『人口/大人/子ども/今年の収穫量/家畜の頭数/借金/貸し出し/冬までの必要量』


 ミルストーンの欄には、小麦と粉の数字が多い。

 アイアンストリームには、鉱石と鉄くず、ギルドへの支払いの欄。

 シルバークリークのところだけ、ところどころに赤い丸印が付いていた。


(今回襲われた「東の村」は、正式にはシルバークリーク)

(川沿いで土地が痩せていて、何かあれば真っ先に沈む村)


 紙の上の円に、パンの欠片を一つ置く。


「これが村の口です」


 自分に聞かせるように呟き、今度は黒い石を一つ乗せる。


「これが、今残っている食糧」


 三つの村に、それぞれパンと石を置く。

 ミルストーンの石は多く、パンも多い。

 アイアンストリームはパンが足りない代わりに、金属を表す小さな鉄片が並んでいる。

 シルバークリークは、パンも石も少ない。


(ここに、砦の倉庫から回せる分を足して)


 砦を表す中央の円から、石をいくつか動かす。

 東の村には、すでに「十日分」の印を付けた。

 ミルストーンとアイアンストリームには、まだ「仮」の印しかない。


 シュアラは、別の紙を引き寄せた。


 そこには、簡単な天秤の絵。

 左右の皿の片方に「帝都への税と報告」、もう片方に「ヴァルム砦+三村の冬越し」と書いてある。


 左右の皿の上に、小さな点が並んでいる。


 点の一つひとつに、小さく数字が振られていた。


『シルバークリーク 生存ライン:ぎりぎり』

『ミルストーン 余剰あり/ただし村長の私腹肥やし疑い』

『アイアンストリーム 現金収入多/冬に落盤リスク』


 天秤の真ん中には、太い矢印。


『どこに傾けるか選択中』


(今のまま帝都の天秤に合わせれば、この皿は沈みます)


 帝都の皿には、「既定税率」「補給削減」「辺境防衛費削減」と、細かい字で書き込まれている。

 そこに、父が計算した「七割死亡」の数字が、薄墨で重ねられていた。


(だから――)


 シュアラは、砦側の皿の下に、もう一本細い線を描き足した。


『ヴァルム単独の天秤』


(ここだけ、別の天秤にかける)


 帝都と切り離す、という意味ではない。

 ただ、同じ基準で測らない。


(帝国全体の「効率」から見れば、この砦と三村は切り捨て候補です)

(でも、「ヴァルムという一単位」から見れば、まだ組み替える余地がある)


 帝都の帳簿では、死んでも構わない七割。

 ヴァルムの盤面では、「まだ動かせる七割」。


(どちらの数字を採用するかを決める権利を、手元に置いておきたい)


 ペン先が、紙の上で止まる。


 そのとき、扉がノックもなく開いた。


「おい、文官」


 聞き慣れた低い声。


 振り向くと、カイ・フォン・ヴォルフが立っていた。

 鎧は着ていないが、厚手の上着の下からでも分かる肩幅。

 片手には、いつもの古びたマグカップ。


 彼の視線が、床のパンと石と紙の海を一望し、ぴたりと止まる。


「……何の戦場だ、ここは」


「ヴァルム砦周辺の縮図です」


 シュアラは、きっぱり答えた。


「入る前に、足元をよくご確認ください。踏まれると痛い駒が混ざっています」


「駒?」


 カイは眉を上げ、慎重に一歩踏み入れた。

 石を蹴らないように歩き、部屋の中央まで来る。


「遊んでるわけじゃねえよな」


「遊びなら、もう少し華やかな駒を使います」


 シュアラは、中央の天秤の紙を指で押さえた。


「これは、第2ゲームの盤面です、団長」


「……またその言い方か」


 カイはため息をつき、床に胡坐をかいた。

 マグカップを指先でくるりと回す。


「で。今度のゲームは何だ」


「三つの村の冬越しゲームです」


 シュアラは、羊皮紙を一枚めくり、三つの村の収支表を見せる。


「ミルストーン、アイアンストリーム、シルバークリーク。

 この三つを、一つの天秤に乗せて、誰も落とさずに冬を越させるゲーム」


「誰も落とさず、ねえ」


 カイは、図の端に書かれた小さな注釈に目を留めた。


『現時点予測:このままではシルバークリーク優先で沈没』


「……沈む前提で書いてんじゃねえか」


「だから『沈んだ天秤』です」


 シュアラは、淡々と答える。


「今のままの配分だと、どの線を取っても、どこかが沈みます。

 帝都への税を守れば、村が削れる。

 村を優先すれば、帝都からの補給がさらに減る」


「知ってる。今さら数字にされなくても分かる」


 カイはマグカップを一口あおり、苦い顔をした。


「それを、どうにかしろって顔してんだろ、お前」


「はい」


 即答だった。


「ただし、条件があります」


「また条件かよ」


「今回は、帝都の天秤とヴァルムの天秤を、一度分けて考えます」


 シュアラは、天秤の絵を指で叩く。


「帝都全体から見た『最適解』と、ヴァルム一帯から見た『最適解』は、必ずしも一致しません。

 ですから、まずはこの砦と三村を、一つの小さな国家ユニットとして扱う」


 カイの目が細くなる。


「国家ユニット、ねえ」


「はい。試験運用ですが」


「待て」


 低い声で、その言葉を切った。


 いつもの投げやりな調子ではない。

 戦場で敵影を見つけたときの、固く締めた声。


「それはつまり、帝国の外に、もう一つ“国”を作るって話か」


 シュアラは一瞬だけ考え、それから首を横に振った。


「違います」


「じゃあ、どう違う」


「帝国の中に、小さく折りたたんだ“もう一枚の帳簿”を差し込むだけです」


 彼女の指が、天秤の下の「ヴァルム単独の天秤」の線をなぞる。


「帝国の帳簿に従うか、それともヴァルムの帳簿に従うか。

 選ぶ権利を、どこに置いておくかの話です」


「……帝国を見捨てる気か」


 カイは、真正面から問うてきた。


 部屋の冷えた空気が、さらに一段冷える。


 シュアラは、彼の視線を受け止めた。


 深い森のような緑色の瞳。

 そこには、軽蔑でも敵意でもなく、「確認」があった。


(この人は、自分の足で裏切るつもりがない)


 帝都に失望しても、己の手で背を向けることはしない。

 そういう種類の真面目さだ。


 だからこそ、ここで嘘を混ぜるわけにはいかない。


「今のところ、そのつもりはありません」


 シュアラは、はっきりと言った。


「ただ――帝国に見捨てられたとき、こちらからも背を向けられる選択肢くらいは、持っていたいと思います」


 カイの眉がぴくりと動く。


「選択肢、ねえ」


「はい」


 シュアラは、ペンを置き、膝の上で手を組んだ。


「帝都の帳簿では、ヴァルム一帯は『冬に七割死んでもおかしくない辺境』です」


「お前が言い出した数字だろ、それ」


「父と帝都の役人たちが計算した数字です」


 そこで初めて、少しだけ声に棘が混じった。


「私は、その数字どおりに死ぬつもりはありません。

 この砦にいる人間も、周りの村も、可能な限り『帳簿の外側』に退避させたい」


「帳簿の外側?」


「帝都から見て、『ちょっと計算が合わないけれど、辺境だし誤差の範囲だろう』と思わせる位置です」


 カイは、しばらく黙っていた。


 マグカップを傾け、残っていた湯を飲み干す。


 そして、からん、と底を床に置いた。


「つまり、お前は」


 彼はゆっくりと言葉を選ぶ。


「帝国をどうこうしたいんじゃなくて、自分とこの盤面を握ったまま、いつでも逃げられるようにしときてえってわけだ」


「だいたい、そんなところです」


 シュアラは素直に頷いた。


「帝国を救うか、切るかを決めるのは、もっと先の話です。

 今はただ、そのときに『選べる状態』を残しておきたい」


「……救うか切るか、ね」


 笑っているのか呆れているのか分からない声音だった。


「普通はそこに、自分の名前を並べねえんだよ、文官」


「そうでしょうか」


「そうだ」


 カイは頭をかいた。


「帝国に仕える騎士は、『帝国を守る』って言う。帝国を憎んでる連中は、『ぶっ壊してやる』って言う。『どっちでもいいから、選ぶ権利を寄こせ』って言い出す奴は……」


「珍しいですか」


「お前が初めてだな」


 その言葉には、わずかな愉快さが混ざっていた。

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