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死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第一章 ヴァルム試験国家編(1208 - 完結)

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第十話 情け感情は罰のために(2)

 団長室に戻ると同時に、その問いがもう一度飛んできた。


 机の上には、昼間の在庫表と第三班の勤務表、それに第三倉庫と門を結んだ簡単な地図が広げられている。ランプの炎が揺れ、紙の影が伸びたり縮んだりしていた。鼻をかすめるのは、紙とインクと、冷めかけの酒の匂いだ。


 シュアラは椅子に腰を下ろし、帳簿の束を胸元に引き寄せた。背もたれがぎしりと鳴り、木が抗議するように軋む。


「まず、横流しされた分の総量を出します」


 彼女はペンを取ると、昼間の在庫調査の結果と倉庫の記録を重ね合わせ、過去数十日の減りをざっと見積もっていく。干し肉の袋、押し麦の袋。日付の隅に赤い点を付け、同じあたりに印が集中している列を拾い上げる。


 数字を追ううちに、指先の感覚が少しだけ鈍くなってきた。紙の端で、人差し指の腹を軽く切っていた。じわりとにじむ赤を舌で一度拭い、鉄の味を飲み込む。


「……兵五人分の冬の配給、一ヶ月ぶんです」


 ペン先が止まり、インクが一箇所で少しだけ滲んだ。


 数値を追いかけていた視線を、そのまま別の帳簿へ滑らせる。


(兵五人分一ヶ月。兵一人ぶんに換算すれば百五十日分。西の村への配給量と兵一人ぶんの給金を合わせても、妻と子ども一人の三人家族なら、この冬の終わりまでにおよそ三十日ぶん足りなくなる。ラルスの家も、おそらくその〈足りない側〉にいる)


「……は?」


 カイが椅子から身を乗り出した。


「そんなに削れてたのか」


 マグカップを持つ手が、僅かに力を込める。その指の白さが、彼の驚きの度合いを代弁している。


「正確な値は、もう少し検算が必要ですが、大きくは変わりません」


 シュアラは数字の横に、『暫定値』と書き添えた。


「一、この分を、彼個人の『負債』として計上します」


 本来こうした「冬の穴埋め」を考えるのは、この一帯を治める領主の仕事だ。税を取り立てる帳簿は持っていても、配る側の帳簿を最初から作っていない領主の顔は、彼女の記憶にはひとつも残っていない。


 紙の端に新しい欄を描き、文字を書く。


『ラルス負債:糧秣(兵一人基準で百五十日分/暫定)』


「二、彼を、倉庫補修班と荷運び班、配給列の整理係に回します」


「盗人を、倉庫と配給に近づけるのかよ」


 カイが露骨に眉をひそめる。


 シュアラはペンを指先でくるりと回し、そのまま頷いた。


「監視付きで、です。彼は『抜け道』を知っています。その知識を利用して、今度は“抜けられない道”に作り替えさせます」


「作り替えさせる?」


 カイの目が、少しだけ興味の色を帯びる。


「はい。どこが見張りの死角だったか。どの時間が薄かったか。それを全部吐かせて、逆にそこに人を立てる。壁に穴があれば、彼自身に塞がせます」


 紙の上で、第三倉庫と西門を線で結びながら説明する。


「倉庫の壁の補修は、今やっておかないと、雪が本格的に降ってからでは遅いです。重い石や木材を運ぶための腕としても、彼は使えます」


「……罰と、仕事が一緒になってやがるな」


「罰だけの仕事は、長続きしません」


 シュアラはきっぱりと言った。


「三、配給のときの“列整理”と“記録係”を、彼に担当させます」


「またかよ」


 カイが頭をがしがし掻く。


「盗人に配給を仕切らせるのか?」


「だからこそです」


 シュアラは視線を紙から上げ、団長の目を見た。


「誰がどれだけ食べているか。自分が抜いたぶんで、誰の皿が軽くなったか。それを、彼に毎日見せる必要があります」


 ラルスが数字を書くたびに、誰かの顔を見る。兵士、炊事係、村人。彼らが冬を越せるかどうかは、今後の彼の働きぶんにも関わる。


(それを教育と呼ぶか、罰と呼ぶかは、立場の違いです)


 カイが、無造作にマグカップを机へ置いた。底が木の板を叩き、鈍い音がする。


「……飯はどうする」


「飯?」


「負債が五人分一ヶ月あるってんなら、そいつの配給減らせばいいじゃねえか。半分とか三分の一とか」


 カイの言葉の裏には、単純な怒りと、わずかな逡巡が混じっていた。


「減らします」


 シュアラは頷いた。


「ただし、“動けるだけの量”は維持します。動けなくなったら、返済できません」


「やっぱり甘いな」


「甘くありません」


 即答してから、彼女は自分の声の硬さに少しだけ気付く。


「死なせると、完全な赤字です」


 カイが、呆れたように笑い声を漏らした。


「お前なあ……。人が死ぬのを『赤字』って言う女、初めて見たぞ」


「正確な表現だと思いますが」


 シュアラは自分の言葉を内側で一度転がす。感情的な意味ではなく、ただ収支の話として。


 それでも、胸の内側が少しだけざわついた。


 彼女は懐に手を入れ、封筒の縁を指先でなぞる。


 帝都に提出されたはずの、自分の死亡届。ろうを割り、封を切ったあと、再び封じた紙。まだ新しい羊皮紙の感触が、布越しに伝わってくる。


「帝都の帳簿では、私はすでに“死人”です」


 独り言のように口に出すと、カイが眉をひそめた。


「ここでまで死にたがってるようには見えねえがな」


「ここでは、逆です」


 シュアラは静かに言った。


「帝都の帳簿の中では、私は『使用済みの死者』に分類されています。だからこそ、ヴァルム砦では、できる限り“死なせない側”に回りたい」


 カイはしばらく黙り、天井の煤の跡をじっと見ていた。やがて、短く息を吐く。


「……理解はできる」


 ぼそりと呟くように言う。


「納得できるかどうかは、正直まだ怪しいがな」


「納得していただく必要はありません」


 シュアラは首を振る。


「ただ、“冬までに何人死なせずに済むか”という数字だけは、共有していただきたい」


「お前、本当に変な女だな」


 カイは頭を掻きながら笑った。


「ラルスの件は、お前の案でいく。ただし、ひとつだけ条件だ」


「条件?」


「同じことをもう一度やったら、そのときは俺が殴る」


 椅子の背にもたれ、目を細める。


「どれだけお前が計算しても、二度目は止めるな」


 シュアラは少しだけ考え、それから頷いた。


「再利用の余地がなくなったら、そのときは処罰に切り替えます」


「最初からそう言え」


 ぶっきらぼうな言葉。だが、さっき倉庫で見たときよりも、カイの目の濁りは薄くなっているように見えた。主観でしかない変化だが、彼女はそれを観察として胸の中に留める。


 紙束をまとめ、手帳を開く。新しいページの上部に、ペン先で文字を刻んだ。


『第1ゲーム:砦の胃袋を縫う』


 少し間を空けて、その下にもう一行。


『サブゲーム:処罰より再利用』


「……物騒なタイトルだな」


 向かいから、カイの声が落ちてくる。


 彼は椅子の背にもたれ、片肘を机に乗せたまま、眠気と疲労の混ざった目でこちらを眺めている。その奥に、薄く笑いが浮かんでいた。


「ゲームの名前は、分かりやすくあるべきです」


 シュアラは顔を上げずに答えた。


「中身はもっと物騒ですよ。人を殴るより酷いことをします」


「おい」


 カイが眉をひそめる。


「殴るより酷ぇって、本人の前で平然と言うな」


「事実ですから」


 淡々と返すと、カイは短く息を吐いた。


「……まあいい。お前の『酷ぇやり方』で、この冬の死人が減るなら、文句はあとでまとめて言う」


「まとめて、ですか」


「ああ。三ヶ月後にな」


 そう言って、カイは椅子から立ち上がった。外套を掴み、肩にひっかける。


「ゲルトにも伝えとけ。『殴りかけた兵を止めた分、仕事が増える』ってな」


「それは団長が自分で伝えるべき内容では?」


「やだね」


 ぶっきらぼうに言い捨てて、カイは扉へ向かう。取っ手に手をかけたところで、ふと振り返った。


「……ラルスの件」


「はい」


「あいつが本当に“使える”かどうかは、お前のゲーム次第だ」


 カイの声は低いが、その中にわずかな期待の色が混じっていた。


「外したら、今度こそ遠慮なく殴る。覚えとけ」


「外さないようにします」


 シュアラは手帳を閉じた。


「団長の拳は、砦の資源ですから」


「お前なあ……」


 カイは呆れたように笑い、それきり何も言わずに部屋を出ていった。


 扉が閉まる音が、静かに響く。


 シュアラは一度だけ深く息を吐き、机の上の帳簿に手を伸ばした。まだ乾ききらないインクの匂いと、窓の隙間から入り込む冷たい空気。その境目に、自分のゲーム盤が広がっていると、彼女は理解していた。

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