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死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第一章 ヴァルム試験国家編(1208 - 完結)

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第九話 飴と鞭と在庫調査(2)

 兵舎は、別の意味で冷えていた。


 狭い寝台がぎゅうぎゅうに並び、鎧や武器がそこかしこに転がっている。縄に吊るされた湿った衣服から、水滴がぽたぽた落ち、床に小さな染みを作っていた。


 匂いは汗と湿りと、古い鉄。それに、薄いカビ。


「整列!」


 班長の声で、兵たちが縦に並ぶ。まだ寝癖の残っている者もいれば、既に体操を終えて息を弾ませている者もいる。


 シュアラは名簿を手に、一人一人の顔を見ていく。


「ゲルハルト」


「いる!」


「ヨナス」


「ここだ」


「リオ」


 少し細い声。


 背の高い細身の青年が、列の中ほどで手を上げる。明るい茶髪を後ろで結び、大きな瞳はどこか落ち着きなく揺れている。


 足元の革靴は、他の兵のものより新しい。歩き込まれた皺が少ない。


 名簿の横に、小さく印を付ける。


『リオ:弓兵/要観察』


 今日の目的は、能力評価ではない。が、目についたものをメモしておくのは、悪い癖ではない。


「武器の数も見ろ」


 ゲルトが帳簿を片手に言う。


「剣、槍、弓、矢筒、盾。ここに書いてある数と合ってるか、班ごとに確認しろ」


 兵たちが壁際の武器立てに向かう。木の柄がぶつかり合い、鉄の小さな音が連続する。


 シュアラは、槍の柄の削れ具合や、盾の裏の革紐の擦り切れ具合を眺めた。使い込まれたものと、そうでないもの。その差。


(前に出され続けている班と、そうでない班)


 頭の中で、さっきの倉庫の数字と照らし合わせる。


「嬢ちゃん」


 ゲルトが帳簿を叩きながら近づいてきた。


「ここ、槍が二本足りねえ。帳簿だと十本。実物は八本」


「折れたか、失くしたか、売ったか、ですね」


「物騒な三択だな」


「どの班ですか」


「第一班。去年、北の蛮族相手に一番走らされた連中だ」


 シュアラは第一班の前に立ち、槍立てを一緒に見る。


「槍二本は、どこに行きました」


 班長が顎を掻いた。


「一本は、あの時折れた。蛮族の盾に叩きつけたら、根元からぽっきりな」


「もう一本」


 班長の視線が一瞬天井へ逃げ、それから戻ってくる。


「……あいつが、村に帰るときに持ってった」


「あいつ?」


「足、やられたやつだよ。歩けねえから村に返した。槍を一本、杖代わりに持たせた」


 列の中で、何人かが目を伏せる。嘘をついている顔ではない。


 名簿に、さらさらと書き足す。


『槍二本:一本=戦闘損耗/一本=負傷兵の杖』


「槍二本分の差は、帳簿の別の欄に移します」


 シュアラは言う。


「折れた一本は損耗。杖になった一本は、『医療・補助器具』とします」


「そんな書き換え、帝都の役人が理解すんのかよ」


 ゲルトが苦笑する。


「理解されなくて構いません」


 自分で言ってから、少しだけ言い過ぎたかと内心で眉をひそめる。


「ここで、誰が、何のために、それを使ったか分かっていれば、それで十分です」


 ゲルトは一瞬ぽかんとし、それからニヤリと笑った。


「おいお前ら」


 兵たちに向き直って声を張る。


「今の話をまとめるとだな。槍を勝手に売ったら怒られる。でも、仲間を支えるために使った分は怒られねえ。そういうことだ」


「分かりやすいです」


 シュアラは淡々と評価した。


 あちこちで笑いが漏れ、緊張が少し緩む。


---


 日が高くなる頃には、倉庫二つと兵舎二棟の棚卸しが終わっていた。


 紙束の端は、インクと指の油で黒ずんでいる。紙と紙が擦れるたびに、小さな音がした。今日はずっと、その音を聞いている気がする。


 数字の列のあちこちに、黒い丸と三角と赤い点。


 赤い点はまだ少ない。どうしても説明のつかない差分――「誰かがこっそり持ち出した」可能性が高いものだけに付けた印だ。


 一袋、二袋。樽半分。矢束ひとつ。


(こういうのが、何年も積もり続けた結果が……七割)


 昨夜の帳簿を思い出し、喉の奥が少し苦くなる。


 紙束を抱え直し、団長室へ向かった。階段を上がるたびに、足が重くなる。数字には出ない疲労が、ふくらはぎに溜まっていく。


 扉をノックすると、すぐに「入れ」と声が返ってきた。


「で?」


 カイは、紙束をざっとめくりながら、短く問う。


「砦の胃袋は、どうだった」


「予想より少し軽くて、予想より少し穴だらけでした」


 椅子を引いて座ると、腰のあたりが悲鳴を上げる。


「中央倉庫の麦は、帳簿より二十七袋少ないです」


「二十七?」


「豆七袋。干し肉は樽ひとつ分。塩は、逆に帳簿より多い」


「肉が少ねえから、塩が余ってんのか」


「その可能性は高いです」


 シュアラは紙束の一枚を開く。


「兵舎では、槍が二本分足りませんでしたが、一本は戦闘損耗、一本は負傷兵の杖として使われています。これは『計画にない損耗』ですが、『許容すべき損耗』です」


「許容すべき、ね」


「問題は」


 赤い点の多い紙を机の中央に出す。


「このあたりです。毎月少しずつ減っている干し肉。帳簿上は『端数調整』で片付けられています」


「誰だ」


 カイの声が低くなる。


「今のところ、『一人ではない』ところまでしか分かりません」


 シュアラは首を振る。


「倉庫番、炊事係、兵……多くの人が少しずつ、つまんでいる形跡があります」


「全員殴ればいいって話じゃねえな」


「殴っても、減るのは今後の働きだけです」


 シュアラは紙束を閉じた。


「今日の目的は、砦の胃袋の形を知ることでした。どこが痩せていて、どこに余計な脂肪が付いているか」


「余計な脂肪なんて、あったか?」


「塩と、実際には使われていない修繕費の枠が少し」


 カイが鼻を鳴らす。


「修繕費は別枠だ。俺のところには回ってこねえ」


「だからこそ、別の胃袋につながっている可能性が高いです」


 昨夜の帳簿が頭に浮かぶ。毎月きっちり同じ額が出ていく修繕費。傷だらけの武器。


「そこは、別の機会に見ます。今日分かったのは――」


 手帳を開き、左上の小さな「1」に視線を落とす。


『砦の胃袋』


 その下に、今日書き足したメモがある。


『総カロリー=帳簿値の八五%程度』


「帳簿と実際の在庫を比較し、自然損耗や村への貸出分を整理した結果、この砦の『総カロリー』は帳簿通りの八割五分程度です」


「八五……」


 カイの口元が歪む。


「つまり、帝都の帳簿が言ってる『この砦はあと百日持つ』って話は、実際には八十五日分ってことか」


「ざっくり言えば、そうです」


「ざっくりのレベルじゃねえ」


 カイは椅子にもたれ、天井を仰いだ。


「十五日分の飯が、ねえ」


「消えたわけではありません」


 反射的に言い返す。


「一部は村の胃袋に。一部は負傷兵の杖に。一部は兵の夜食に。一部は鼠の腹に移動しています」


「……言い方を変えても、ここにないことに変わりはねえ」


「はい」


 それは否定できない。


「だからこそ、残りの八十五日を、どうやって百日に近づけるかを考える必要があります」


 手帳の別のページへ指を移す。


『一、損耗率の低下(倉庫補修+ボルグ活用)』

『二、貸出の帳簿化(村との返済計画)』

『三、つまみ食いの「合法化」=配給制度の再設計』


 カイが目を細めた。


「三つ目。『つまみ食いの合法化』ってのが一番物騒に聞こえるんだが」


「今、兵たちが夜にこっそり干し肉をかじっている分を、最初から『決まった数』として配る案です」


「盗みを認めるってことか」


「盗みではなく、制度です」


 言いながら、自分でもその言葉の冷たさに少しだけ眉をひそめる。


「夜番の班には、通常配給とは別に『夜食』として干し肉を一切れ支給します。その代わり、倉庫からの不明な持ち出しには、今より厳しく印を付ける」


「それで止まるか?」


「一部は止まります」


 手帳を閉じかけて、また開き直す。


「今のつまみ食いは、『冬の途中で死ぬかもしれない』というぼんやりした恐怖に対する、小さな慰めです。そのうちのいくらかを、『決まった形で配られる安心』に置き換えれば」


「全員が盗む必要はなくなる」


 カイが言葉を継いだ。


「そうです」


「それでも盗むやつは?」


「それは、それこそ『処罰より再利用』の領分です」


 紙の端に、小さく別の見出しを書く。


『穴の大きい部分=要手術』


 自分で書いておいて、医療用語に少し苦笑する。


「今日開いた胃袋のうち、特に穴の大きい部分には、別途手を入れる必要があります」


「物騒な医者だな」


「患者を生かす医者です」


 カイはしばらく黙り込んだ。


 窓の外では、兵たちがまた訓練を始めている。さっきまで倉庫で袋を数えていた男たちが、今度は木剣を振っている。


「面倒な文官だ」


 ぽつりと落ちた声は、昨夜までより少しだけ柔らかい。


「だが――」


 カイは紙束をもう一度見下ろし、乱暴に一枚めくる。


「ここまで腹の中を見せちまった以上、途中で放り出すって選択肢はねえな」


「ありがとうございます」


 シュアラは軽く頭を下げる。


 手帳を閉じる前に、ページの隅に小さく印を付けた。


 数字の「1」の横に、ほんの少しだけ力を込めて。


『進行中』


 とだけ書く。


 点も線も、まだ足りない。

 けれど、ゲームは動き始めた。

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