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死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します  作者: マグロサメ
第一章 ヴァルム試験国家編(1208 - 完結)

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第九話 飴と鞭と在庫調査(1)

 中庭がやけにうるさい朝だった。


 剣の柄が打ち合う音、木箱を引きずる音、それから眠そうな呻き声。どれもヴァルム砦では見慣れた光景――のはずなのに、今日は少し違う。


 兵の列が妙にがたついている。訓練の整列ではなく、「よく分からないけど呼び出された」時の、あの落ち着かなさだ。


 井戸の縁に、ゲルトがひょいと乗った。片手に、どこにでもついてくるあの古びたマグカップ。


「おーい、静かにしろ!」


 いつもより一段高い声が、石壁にぶつかって跳ね返る。


 ざわめきがしぼんでいく音の中、シュアラは手帳の端を親指で押さえた。紙の角が、爪の下に食い込む。


 左のページの隅には、小さな数字の「1」。その横に、少し走り書き気味の文字がある。


『砦の胃袋』


 昨夜、「第0ゲーム開始」と書いたページを折り返したまま、上に重ねた新しい紙だ。

 ゲーム。父が好きだった言い回し。

 そんな単語を使っている自分自身に、まだ少し居心地の悪さを覚える。


 ゲルトが、こちらを一度だけ横目で確認してから、兵たちに向き直った。


「今朝は訓練の前に、ちょいと面倒ごとだ」


 列のあちこちから、分かりやすい呻き声が漏れる。


「帝都から来た軍師殿がな、『在庫調査』ってやつをやらせてくれってさ」


 ゲルトは紙片をひらひらと振った。シュアラが書いた、箇条書きだらけの指示書。


「平たく言うと――」


 指を三本立てる。


「一つ。倉庫の中身を全部数え直す」


 呻き、ざわめき。


「二つ。兵舎の連中の人数と、武器や防具の数も数え直す」


 さらに呻き。誰かが小さく「最悪だ」と言った。


「三つ。ちゃんと数えた班には、飴が出る」


 そこだけ、空気が一瞬とまる。


「飴?」

「どんなのだよ」


 隊列から声が飛ぶ。


「詳しいところは軍師殿が決めたんでな」


 わざとらしく肩をすくめてから、ゲルトは指を折っていく。


「冬の夜番を一回パスできたり、温けえ飯がちょっと増えたり、班で一つだけ願いを通せたり。そんな感じだ」


 沈黙が、今度は別の色で落ちた。夜番、という単語が喉の奥で重く転がったのが分かる。


 シュアラは、手帳の端を一度手放す。紙がぱたんと閉じかけ、あわてて押さえた。


(説明は、ここからが本番ですね)


 ゲルトが顎をしゃくる。


「細けえ話は、この仮面なし軍師殿から聞け」


 いくつかの視線が、彼女の頬に巻かれた布に引っかかり、それからすべるように離れていった。見慣れないものから目を逸らす、あの動き。


「文官のシュアラです」


 思ったより、声はちゃんと出た。


「今日皆さまにお願いするのは、罰ではありません。冬までに死ぬ人間の数を、少しでも減らすための作業です」


 「死ぬ」という単語を口にすると、何人かの喉仏が分かりやすく動いた。


「この砦にいる兵、周りの村の人々、商人。ここに縛られている人間の数は、だいたい計算できます」


 昨夜、数字を並べていった手帳のページが頭に浮かぶ。兵の数。村の戸数。通る荷車。


「ただ、その人たちの胃袋に入るはずの糧が、どれだけここに残っているかは――帳簿だけでは分かりません」


 一番前で腕を組んでいた年配の男が、鼻を鳴らした。腹の前に油染みだらけのエプロン。倉庫番だ。


「帳簿なら、あんたが読み込んだんじゃねえのかい」


「読みました」


 シュアラは、短く頷く。


「でも、そこに書かれていない数字もたくさんありました」


「ほう」


「村に貸し出した穀物。戻ってきていない分。修繕費として計上されているのに、実際には使われていないお金。焼かれた帳簿の残りかす」


 最後の単語を出した瞬間、沈黙の温度が一段下がった。


 倉庫番の眉が、わずかに上がる。炊事係の女も、口元だけ固くした。


「それらは、誰か一人の責任ではないはずです」


 シュアラは、抱えていた紙束の一部をほどき、皆に見えるように広げる。


『倉庫番号/品目/帳簿上の数量/実際の数量/差分』


 簡単な表だ。紙の片隅に、黒い丸と三角と赤い点をいくつか描いておいた。


「帝都からの補給が減る中で、現場で帳簿をいじった方もいるでしょう。村を見捨てないために、数字を動かしたこともあるはずです」


 倉庫番の視線が、彼女から石畳へ落ちる。


「ですから今日は、誰かを吊るすための調査ではありません。どこで、どうやって数字がずれているのかを、洗い出す日です」


 言いながら、紙に描いた黒丸を一つ指で叩く。


「差分の理由が『鼠と湿気』なら、この印」


 黒丸。


「『村に貸した』なら、三角」


 小さな三角。


「どうしても説明のつかない数字には、赤い点を付けます」


 赤い点を示したときだけ、ざわりと空気が動いた。


「赤がどれぐらい増えるか」


 シュアラは、そこで一度言葉を切った。


 冷たい風が首元を撫でる。誰かの鎧がきしむ音がした。


「それを、今日一日で見ます」


 炊事係の女が、苦笑混じりの声を漏らした。


「怒鳴られたりしないのかい、その赤いところのやつは」


「少なくとも今日、団長に怒鳴らせる予定はありません」


 自分で言ってから、「予定」という言い方の曖昧さに気付く。


 笑いが、いくつかこぼれた。


「差分が少なかったり、帳簿にない支出を率直に教えてくださった班には、副団長から話があった通り、夜番免除や温かい食事の増量を用意します」


「肉は増えるのか」


 どこかの若い兵が小声で聞いた。


「倉庫を一緒に見てから、考えましょう」


 即答すると、列の真ん中あたりで小さな笑いがはじけた。


 ゲルトがそのタイミングを逃さず、声を張る。


「いいか。嬢ちゃんの言ってることを一行でまとめるとだな」


 視線が再び副団長に集まる。


「今ちゃんと数えときゃ、冬に死ぬ確率がちょっと下がる。そのついでに、夜番が楽になったり、腹に入るもんが増えたりする。以上だ」


「最初からそう言えよ!」


 誰かが叫び、中庭が笑いで揺れた。


 笑い声の上から、石壁の隙間を通って冷たい風が吹く。口の中が少し乾く。


 シュアラは、人の気配が波のように動くのを見ながら、手帳の片隅に小さく書き込んだ。


『ゲルト:翻訳係』


 そこまで書いて、ペン先を止める。


(……いや、『翻訳機能あり』の方が近いでしょうか)


 「機能」という単語を追加で書き足すか迷い、結局やめた。


---


 少し前。まだ中庭がこんなに騒がしくなる前。


 朝の冷えが、部屋の床からじわじわと上がってきた頃。


 シュアラは、紙のざらついた感触で目を覚ました。


 指先が、羊皮紙の端を握り込んでいる。顔を上げようとすると、頬に貼り付いた紙がぺり、と剥がれる音がした。


 首の後ろが痛い。机に突っ伏したまま眠っていたことに、今さら気付く。


 椅子を引き、背筋を伸ばす。骨が数本、順番に音を立てて抗議した。


 机の上には、昨夜のまま積み上げられた帳簿と、自分の小さな手帳。蝋燭はほぼ溶け落ち、皿の上に白い固まりだけが残っている。インク壺の口には薄い膜が張り、縁に黒い塊がこびりついていた。


 開きっぱなしの手帳。最後の行に、見慣れない言葉がある。


『第0ゲーム開始』


 乾いたインクの上に、自分の指の跡が斜めに走っていた。


(ゲーム、ですか)


 自分で書いたはずなのに、少しだけ他人事のように感じる。


 父が帳簿の前でよく言っていた。「これはゲームだ」と。勝ち負けではなく、手筋と読み合いの話として。


 今、その言葉を拝借している。死人になった娘が、勝手に。


 ため息を一度吐いてから、余白の多いページへ指を滑らせる。


 新しいページの左上に、小さく「1」と数字を書いた。


 その横に、ためらいがちに、文字を重ねる。


『砦の胃袋』


 見直すと、少し乱暴な字だった。慣れない単語のせいかもしれない。


 窓の外はまだ薄暗い。中庭からは、早番の足音と、桶を引きずる音がときどき聞こえるだけだ。


「……顔を洗いましょう」


 声に出して言うと、ようやく身体が命令を聞いた。


 冷水で頬をこすると、昨夜の眠気と一緒に、火傷の痕の感覚が少しだけ鮮明になる。布で軽く押さえ、灰色のマントを羽織った。仮面には手を伸ばさない。砦の中を歩き回るなら、視界は広い方がいい。


 帳簿を数冊選び、手帳と一緒に抱えて部屋を出る。紙の重さが腕に食い込んだ。


 団長室の扉を叩くと、中から紙の擦れる音がした。陶器が卓に当たる、鈍い音もかすかに聞こえる。


「入れ」


 短い声に従い、扉を押し開けた。


 カイ・フォン・ヴォルフは窓際の椅子に座り、片手に古びたマグカップを持っていた。厚手のシャツの袖を肘までまくり、髪は寝癖がついたまま後ろへ掻き上げられている。


 机の上。空き瓶が昨夜より一つ手前に出ていて、その代わりに帳簿が広げられていた。インク壺の蓋も開いている。


「おはようございます、団長」


「……もう朝か」


 カイはマグを一口あおってから、ようやくこちらをまともに見た。


 彼の視線が、一瞬だけシュアラの手元の帳簿の山へと滑る。


「珍しいですね」


 言ってから、「何がだ」と言われるのが分かっていたので、先に続けた。


「酒より先に帳簿を開いている団長は、あまり見ません」


「うるせえ」


 返事と一緒に、マグカップが少し持ち上がる。


「酒じゃねえ。ただの湯だ」


 確かに、縁から薄い湯気が立ち上っていた。


 シュアラは頷き、帳簿を机の端に置く。


「昨夜のお話の続きです」


「在庫だの出血だの言ってたやつか」


「はい。今日から、実際の在庫調査を始めたいと思います」


「今日から、か」


 カイの視線が窓の外へ逃げる。曇り空の向こうから、ようやく白い光が滲み始めていた。


「兵を叩き起こして、朝一番から倉庫の数合わせをさせろって? 嫌われるぞ、軍師殿」


「嫌われるのは、経費に含めてあります」


「そんな経費は聞いたことねえ」


 カイが頭を掻いた。指が髪の間を乱暴になぞる。


「ただし、倉庫と兵舎の棚卸しには、団長の権限が必要です」


 シュアラは、袖の内側から紙片を取り出し、机の上に滑らせる。


『一、全倉庫の鍵を一時的に集約し、調査の間、文官シュアラに貸与すること』

『二、倉庫番・炊事係・厩舎係・各班代表を中庭に集合させること』

『三、本日の午前を在庫調査に充て、一部訓練を免除すること』


「……相変わらず、字だけはきれいだな」


 紙片を眺めながら、カイがぼそりと言う。


「内容はどうでしょう」


「面倒だ」


「やらなければ、冬までに死ぬ人数は増えます」


 カイの眉がわずかに寄る。


「お前な、その脅しのカードばっかり切るのやめろ。重えんだよ」


「軽く言い換えると――」


 少し考えてから、言葉を変える。


「『やらないと、酒の肴が減ります』」


「それはそれで重いわ」


 乾いた吐息が混じった。


 部屋の隅から、別の声が挟まる。


「若」


 壁にもたれかかっていたゲルトが、腕を組んだまま起き上がる。さっきまで寝ていたのか、目の端にまだしわが寄っている。


「どうせどっかでやらなきゃなんねえ話だ。兵の腰が重いなら、まとめて一回叩き起こした方が早え」


「お前まで面倒くさい側につくな、副長」


「面倒ごとは早く終わらせた方が、酒がうまい」


 それ以上の説得は、カイにはあまり効かないが、ゲルト自身には効いている言い分らしい。


 カイは頭をがしがし掻き、ペンを取った。


「……鍵と連中は用意してやる。その代わり、一つだけ聞かせろ」


「はい」


「お前の言う『在庫調査』ってやつで、何を見たい」


 問いの形は単純だが、その奥にあるものは重い。


 シュアラは、一瞬だけ黙り、その沈黙ごと飲み込んでから答えた。


「砦の胃袋を、実際に開いて確かめたく思います」


「胃袋ねえ」


 カイがマグの縁を指で叩く。とん、と小さな音。


「はい。外から触ってもよく分からない患者を、触診だけで診ようとする医者もいますが……今のヴァルム砦は、そういう患者に似ています」


 手帳を開いて見せる。昨夜書き込んだ数字と印が、紙の上でごちゃごちゃと絡まり合っている。


「何人分の胃袋がここに縛られているか。どれだけの糧が、どこに積まれているか。それを知らないまま冬に入るのは、目隠しで手術をするようなものです」


「物騒な比喩だな」


「医療行為です」


「腹を開かれる側はたまったもんじゃねえ」


 ぼやきながらも、カイは紙片に目を落とし、インクをつけたペンで署名欄を乱暴に埋めた。


「ほらよ。ヴォルフ家の印が欲しけりゃ、あとで押してやる。鍵と人はゲルトに頼め」


「助かります」


 紙片を受け取ると、ゲルトが横から覗き込んだ。


「で、嬢ちゃん。兵にはどう言うつもりだ?」


「『在庫調査を行います』と」


「それだと半分も動かねえな」


 ゲルトは肩をすくめる。


「在庫とか差分とか言われても、あいつらには『面倒くさい数合わせ』以上の意味にならねえ」


「では」


 シュアラは紙片の空いた端に、さらさらと文字を足した。


『在庫調査に協力した班には、以下のうち一つを報奨とする』

『・冬季夜間の警備当番一回免除』

『・今月中の温かい食事一回分の増量』

『・班の要望を一つ、可能な範囲で優先処理』


「……飴か」


 ゲルトの口元が上がる。


「はい。鞭だけでは兵は動きませんので」


「最初からそれを言えよ」


 紙片をひったくり、ゲルトが笑う。


「若。これ、俺の口から兵に伝えていいか?」


「任せる」


「よっしゃ。嬢ちゃん、難しい言葉は任せろ。分かりやすくしてやる」


 そのままマグカップをひょいと持ち直し、ゲルトは部屋を出て行った。


 扉が閉まる音がしてから、カイが小さく息を吐く。


「……本当に砦の胃袋を開ける気らしいな、お前」


「はい。できるだけ、傷口は小さく」


「頼むから、致命傷は避けてくれ」


「努力します」


 それが、この朝の始まりだった。


---


 倉庫の扉は重かった。


 中央倉庫。錆びた閂に鍵を差し込み、力を込めて回す。金属が擦れる嫌な音が響いた。


 扉を押すと、内側から冷たい空気が流れ出てくる。穀物と乾いた木、それからかすかにカビの匂い。


 薄暗い内部には、高い棚と麻袋の列。床に直接積まれた袋もある。窓は高い位置に小さく一つ。外光は細い帯になって差し込むだけだ。


「灯りを」


 倉庫番が手燭を持って入ってくる。三人の兵が、その後に続いた。


「ここが主な糧秣庫だ。麦と豆、それから干し肉と塩漬けの樽が奥にある」


 倉庫番の声には、半分は自慢、半分は言い訳の気配が混ざっていた。


「まず麦から数えましょう」


 シュアラは紙束の一枚を倉庫番と兵に渡す。


「棚ごとに段を区切って、何袋あるか声に出して数えてください。同じ場所を二人一組で数えます」


「二回もかよ」


 若い兵が顔をしかめる。


「片方が数え間違えることがありますから」


「……まあ、そうだな」


 兵は渋々頷き、袋の列を指でなぞり始めた。


「早く終わらせたい場合は、一段目をあなた、一段目と二段目の合計を倉庫番殿、と分担すると楽になります」


 シュアラは棚の前に立ち、指で水平線を描くように示す。


「下から順番に積み上げていけば、最後に総数が出ます」


「変な文官だな、お前」


 倉庫番がぼそっと言う。


「数えろ、じゃなくて『楽になります』なんて言う奴、初めて見た」


「楽をしていただいた方が、こちらも助かりますので」


 そう答えてから、棚の列全体を一瞥する。


 袋の積み方。布の擦り切れ。床に残っている古い粉。通路側の袋は新しい布で包まれていて、奥にあるものほど古い。


 足元には、小さな穴がところどころに開いている。


(鼠。湿気。自然損耗)


 手帳に、短く書き込む。


『中央倉庫:湿度高め/鼠穴多→損耗率+』


 黒丸を一つ付ける。環境要因の印。


「嬢ちゃん」


 背後から低い声がした。


 振り返ると、扉のところに大きな影が立っていた。


 鎧は着ていないが、分厚い肩と腕。ごつごつした顔。


「ボルグ」


 ゲルトが横から口を出す。


「重騎士だ。今日は訓練の前に、ここで汗かいてもらってる」


「文官のシュアラです。本日はお力をお借りします」


 シュアラが頭を下げると、ボルグは短く「ああ」とだけ返した。


 それから、一番手前の麻袋に近づき、口を片手で掴み、底をもう片方の手で支えて持ち上げる。普通の兵なら二人がかりの重さのはずだ。


 そのまま、倉庫の奥へ歩いていく。


「どこへ運ぶんですか」


「壁」


 ボルグの言葉は短い。


 奥の壁を見ると、一部がひび割れて、外光が細い縞になって差し込んでいた。ひびの隙間からは、外の冷気も入り込んでいるはずだ。


「ここで風にやられた袋は、すぐ駄目になる」


 ボルグはひび割れの前に袋を置いた。


「だから、重いもので塞ぐ」


 言い方は淡々としているのに、その行為自体には妙な丁寧さがあった。


(自発的な補修行動。冬の損耗を、自分で減らそうとしている)


 手帳に書き足す。


『ボルグ:風対策→冬の損耗率↓』


 ボルグがふとこちらを振り返る。


「文官」


「はい」


「他に、塞いだ方がいいとこがあったら教えてくれ」


 それは、命令に従う兵の声というより、現場の職人が専門家に相談しているような響きだった。


 シュアラは天井と壁の継ぎ目を見上げる。細かい亀裂がいくつも走っている。


「砦全体の図を見てからになりますが……分かる範囲で印を付けておきます。あなたの力を、少しだけ効率よく使わせてください」


 ボルグは短く頷いた。


「ああ。重いもん運ぶのは、慣れてる」


 それだけ言って、また麻袋の列へ戻っていく。


 数え終わる頃には、麦の袋は帳簿より二十七少なかった。


 豆は七袋分。干し肉は樽ひとつ分。塩だけは、帳簿より多い。


「二十七か……」


 数字を見て、倉庫番が顎を掻く。


「鼠と湿気だけでは、厳しいですね」


 シュアラは、差分の欄に三角をいくつか書き込んだ。


『三角=意図的な移動の可能性』


 印が多い棚は、出入り口に近い列だ。持ち出しやすい位置。


「……去年の春先に、村に貸した分がある」


 倉庫番が、紙から目を離さないまま言う。


「帳簿には書いていませんでしたね」


「ああ。うちの分として計上しておいた方が、帝都からの補給の目減りが少なくなるだろと思ってな」


 言い訳というより、判断の履歴をそのまま述べている声だった。


「貸した先は」


「南の村だ。昨日、あんたが見つけた紙切れのやつよ」


 あの、乱雑な字で書かれたメモだ。


 シュアラは、紙束の一枚に新しい欄を作る。


『村への貸出分/返済予定:未定』


「貸した分を、ずっと『ある』ことにしていたらどうなると思いますか」


 わざと、答えを途中までしか言わない。


 倉庫番は、しばらく黙ってから、顔をしかめた。


「冬に、死ぬ」


「はい」


 シュアラは頷く。


「飢えた村人か、兵か、商人か。その順番までは、帳簿には出ませんが」


 倉庫番が、エプロンの端をぎゅっと握る。


「……分かってる。分かってて、やった」


 低い声だ。責任を引き受けるというより、諦めと一緒に抱え込んでいる声。


「村を見捨てたくなかったんだ」


「それ自体は、妥当な判断だと思います」


 シュアラは言った。


 倉庫番が顔を上げる。


「本気か」


「本気です。飢えた村人が暴徒になる確率を下げるために、短期的な兵糧の目減りを受け入れる価値はあります」


 あえて、数字の言い回しで肯定する。


「ただ、その貸した分を『まだここにある』ことにし続けるのは、別の問題です」


「帳簿の上の話だろ」


「いえ。冬の途中で、突然『ない』ことになる。そういう問題です」


 倉庫番は、短く息を吐いた。


「……全部出すよ」


 言って、棚の奥を見やる。


「貸した分も、勝手に村に回した分も。あんたが好きなように書き直せ」


「ありがとうございます。ただ、飴は減らしません」


「飴?」


「さきほどの報奨です。今日白状していただいた正直さは、冬の途中で死ぬ人数を減らす形で返ってきます」


 倉庫番は、しばらく彼女の顔を見て、それから顔をしかめたまま笑った。


「変な文官だな」


「よく言われます」


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