終話.山茶花の花の上で
ある朝、女王が動かなくなっていた。
◇
巣の中を満たしていた、優しい女王の匂いが消えていた。
女王が死んだ。
私達は、どうして良いか分からなかった。
「女王死んじゃった。」
「死んじゃったね。」
「もうお世話しなくていいのね。」
「でも、まだ幼虫達がいるわ。」
◇
女王が死んだらどうすればいいか、私達の本能には何も書き込まれてはいない。ここで、私達働き蜂が何をした所で、もう巣の運命は変わらない。
だから、神様は、ここから先のプログラムを書かなかった。
女王の出す匂いで抑え込まれていた、働き蜂の繁殖能力は解放され、そのまま生きて居られれば私達は卵を産めるようになるけど、生まれてくるのは雄蜂だけ。女王が早死にしてしまった巣からは、こうして大量の雄蜂が羽化して飛んでいくことがあるけど、私達にはそれはもう遅い。
越冬出来ない私達は、女王の統制が解けたら、皆バラバラに何処かへ飛んで行き、それぞれの場所で最後の刻を迎えるだけ。
それが、十月生まれの働き蜂の運命。
でも、私たちを待っていたのは、それとは少し違った運命だった。そう。これから始まるのは、
悪い夢。
◇
突然、巣箱が持ち上げられた。
何処かへ持って行かれる。
そして、「ドン」という軽い衝撃を感じた。
蜂達は、怯えて巣の中に閉じこもった。
何かが唸るような音がして、巣箱が揺れ始めた。
何処かへ運ばれている、それだけは分かった。
暫くこうして揺られた後、唸る音は止まり、巣箱がまた持ち上げられた。
大勢の人の声。沢山の他の巣の匂い。何だろう?
◇
「これより、ヘボ祭りを開催致します!」
不思議な響きの、とても大きな人の声。
それを合図に、辺りは騒がしくなった。
人間達はここで、一年かけて育てたヘボの巣を持ち寄り、その重さを競う。そして、巣は売りに出され、人はそれを買って、中の蜂の子を食べるのだ。
◇
暫くすると、また巣箱が持ち上げられ、何かの上に置かれた。巣箱が開けられ、眩しい日差しが見えたと思った次の瞬間、上から白い煙を浴びせられた。
私は急いで逃げた。ギリギリのタイミングだったけと、煙からは逃れられた。
煙は上に行く。
下へ逃げよう。
ビニールハウスの壁伝いに低く飛んで隙間を探す。
あった。そこから外に出る。
女王、やったよ。外に出られた。
高く飛ぶ。そこから、ゆっくりと高度を下げて、止まる所を探す。
あ、うっかり人の手に止まっちゃった。
その人は、私を振り払うことなく、顔を近づけて私を観察している。そして、ジュースの滴がついたストローを私に近づけた。私はそれを飲んだ。
人は残酷だった。
人は優しかった。
ありがとう。行くね。
◇
それから、里の中をひとしきり飛び回った。
これが、女王の言ってた「自由」。
何をしてもいい。
何もしなくてもいい。
そして、お腹がすいた。
山茶花の花を見つけた。
止まって蜜を吸う。
そのうちに、眠くなって来た。
…………
ふと目を覚ますと、辺りは暗くなり始めていた。
横にオオスズメバチがいる!
飛んで逃げようとして、飛べなくなっているのに気づいた。
ああ、寿命だ。ここで死ぬんだ。
良く見ると、オオスズメバチは小さく震えている。
襲ってくる様子はない。
そうか。
あんたも巣を無くしたのね。
最期の食事が、オオスズメバチと一緒だなんてね。
そして、何も分からなくなった。
◇
その日の晩、季節外れの雪が降った。
翌朝、ピンクの山茶花の花の上で、オオスズメバチとクロスズメバチが、並んで雪を被って死んでいるのを、何人かの人が見たという。
ジラ達の物語が、静かに終わった。




