【最終話】風鈴草の丘でまた君と会えたら
リリィがいなくなった日、世界から音が消えた。
丘に立っても風の向きがつかめない。
家にいても手が余る。眠れば目が冴え、起きれば胸が重い。
白い日傘の影だけが、どこを見ても抜け落ちていた。
やがて少しだけ落ち着いて、俺は丘へ登った。
日の当たる場所に、小さな墓標を据えた。
風がよく通って、花がよく見える場所に。
石には一言──
「リリィ・スノウ」
刻まれた名前に朝陽の光がやわらかく触れて、呼ばれた気がして、俺は指先でそっとなぞった。
それからの夜、俺は何度も夢を見た。
白い日傘が揺れて、刺繍がきらりと光る。
手を伸ばすと、いつも少しだけ届かない。
目を覚ますと、枕元には風だけがいた。
それでも「もう一度会いたい」という願いは消えなかった。
胸の奥で、小さな灯みたいに残り続けた。
そして、また春が来た。
「……じゃあ、行ってきます。」
出がけに言うと、
父が手を止めて顔を上げた。
「……彼女のところに行くのか。」
「うん。約束だから。」
父はしばらく俺を見て、それから小さくうなずく。
「そうだな。行ってこい。」
「ありがとう。」
扉に手をかけ、振り向かずに言った。
「父さん、ありがとう。俺、これからも……がんばるから。」
台所のほうで、笑い声がひとつ、やわらかく弾んだ。
「……お前、立派になったな。」
胸の奥が熱くなる。
「うん。じゃあ、行ってくる。」
石畳を抜けて町へ出る。
人形劇場の前を通ると、昼の公演の貼り紙が新しくなっていた。
「幕が上がる瞬間、見せたかったな。」
──思わずつぶやいた。
水屋の軒先では、薬草茶の壺が静かに冷えている。
店主が「飲んでくかい」と笑う。
俺は首を振って、「今度、二つください」とだけ返した。
風見鶏の立つ広場を横切ると、ベンチに腰かける老人の姿が目に入る。
帽子のつばを少し持ち上げて、目で挨拶をくれた。
「いい日を。」
「はい。……行ってきます。」
短い言葉のあいだに、やさしい春が一度通り過ぎる。
町を抜け、丘へ向かう道に入る。
息が上がる手前で歩幅を整え、丘に向かった。
斜面に出ると、風鈴草がいっせいに花ひらいていた。
青い花が朝陽を受けてきらめき、地面に薄い空を敷き詰めたみたいだ。
墓標の前に立つ。
「……約束通り、また来たよ。」
胸の奥がきゅっと痛んだ。寂しさは薄くならない。
それでも、ここに立てていることが、少しだけ誇らしい。
顔を上げ、声を整える。
「ほら、見て。満開の風鈴草だよ。昨日、やっと咲いたんだ。すごくきれいだろ。」
斜面の青が、風に合わせてやわらかく波打つ。
「今日はいい風が吹いてる。……もしかしたら、今日、音が聞けるかもね。」
言葉が落ち着くのを待つように、丘を渡る風が静かに向きを変える。
花はすこしだけ強く震えた──けれど、音はまだ生まれない。
俺は目を閉じ、耳を澄ませた。
去年から空いていた場所に、ゆっくりとあたたかさが戻ってくるのを確かめる。
からり。 風見鶏が、もういちどだけ身を返す。
音は短く、やさしい。まるで──おかえり、と言ってくれたみたいだった。
俺は墓標のそばに腰を下ろした。
草の匂いが近い。
石のひんやりが掌にうつって、胸の波が少しずつ静まっていく。
「……やっぱり、君のいない世界はさびしいよ。」
声にすると、胸の奥がきゅっと縮む。
「リリィ。君と、風鈴草の咲くこの丘で、もう一度会いたい。」
その瞬間だった。
ふいに、一陣のそよ風が吹き抜ける。
斜面いっぱいの風鈴草が、いっせいに身をふるわせ──
リーン
リーン
鈴のように高く、澄んだ音色が重なっていく。
耳の奥に、あの日の夕暮れがひらいた。
その音は、間違いなく──
あの日の、君の笑い声そのものだった。
胸の奥がじんわり温かく満たされる。
視界がにじむ。
涙が頬を伝って、指の甲に小さくはねた。
目を閉じ、余韻にそっと口を寄せる。
「……また、会えたね、リリィ。」
十年に一度、風鈴草が満開のこの日
約束のこの丘では、いつまでも、君の笑い声が響いていた──。
Fin.
読了ありがとうございます。ここまでお付き合いくださった皆さまに、心からの感謝を。
アレンが転ばずにここまで来られたのは(たまに転んだけど)、読んでくれたあなたのおかげです。
人生初めての執筆、拙く読みづらい点も多々あったかと思いますが、最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。
この物語のなにか一つでも心に残っていたら、私は嬉しく思います。
完結の節目にお願いをひとつ。
もし少しでも良かったら【ブックマーク】&【★評価】をいただけると、とても励みになります
感想・誤字報告・レビューも大歓迎です。頂いた反応は次の物語の燃料になります。
最後に、はじめましてから最終話まで支えてくれたあなたへ。
また別の物語でも、あるいはこの丘でも「また会えたね。」と言えますように。
本当にありがとうございました。




