表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

【第六章】風の約束とベンチの老人


あれから町を探した。広場、工房通り、水屋の軒、路地の涼しい影。


どこにも、リリィの姿はなかった。  


風見鶏は、からりと回る。けれど、白い日傘の気配は、どこにも落ちていない。


──俺は、彼女のことを、何ひとつ知らなかった。


あんなに話したのに。  名前と、笑い方と、傘の持ち心地しか、知らなかった。


どこから来て、どこへ帰って、どんなふうに生きていたのかも。


気づけば、日が暮れかけていた。 どうすればリリィと会えるのか。


考えて、ひとつ思い当たる。  


図書館だ。町の市民録や古い名簿。 住人や記録がひとまとめにされている場所。


リリィがこの町の誰かなら、きっと何かが残っているはずだ。


あそこなら住んでる場所がわかるかもしれない。


足が、勝手に向かっていた。  



図書館の扉を押すと、ひんやりした空気が肩に落ちる。


紙とインク、古い木の匂いが鼻をくすぐった。


「すみません……リリィという名前の記録を探しているんですが。」


受付の女性は淡く頷き、静かに案内札を差し出した。


「名簿は奥の棚です。古いものは上段にございます。」


杉の長机。椅子が小さく鳴る。  

 

棚から埃をかぶった分厚い資料を引き抜く。重い。


表紙をそっとなでると、細かな塵が陽に舞い、手の甲に落ちた。


ページをめくる。


ぱら、ぱら…… 。 


乾いた紙の音が、鼓動の間に割り込んでくる。


心臓は、妙に静かだった。  


静かすぎて、壁の時計の秒針が──カチ、カチと、やけに大きい。


指が止まる。  白く焼けたみたいに色の抜けたページ。


紙だけが時間より先に老けているみたいだ。


視線が、吸い寄せられる。  





リリィ・スノウ。享年十四。



陽のひのやまい(陽に触れれば肉が燃え上がる呪い)により外出禁止 。



死後、町外れの無縁墓地に埋葬。




指先が冷える。喉が細くなる。





文字は、読める。意味も、わかる。  




だが、その意味が胸の真ん中の大きな穴をすり抜けていって、理解だけが遠ざかっていた。



白い日傘。薄紅の頬。日陰で笑う声。


名簿の冷たい文字と、俺の知っている彼女の輪郭が、どうしても重ならなかった。



……死んでいた? 何年も前に?  



無縁墓地。あそこは町の壁の内側じゃない。  


北側の外れ、陽の射さぬ境界線の外。



名前もない塚が並び、見送る人の少ない者たちを受け入れる場所。


──あんなところに、リリィは。


丘で会って、笑って、約束して。  俺は、いったい何を見てたんだ。


どうして、どうして気づけなかった。  


傘を離したとき、あんなに怯えた顔をしたのに。


『陽に当たるのも、悪くないよ。』なんて、よりによってそれを。


光に触れられない彼女に。  ……最低だ、俺は。


傘隊長? 冗談じゃない。笑えない。  


知らなかったから、じゃない。  知ろうとしなかったからだ。  


目を背けていた。


彼女の“痛み”を、陽の下に置き去りにして、見て見ぬふりをした。  


手のひらに汗が滲む。紙の端が湿りそうになる。  


深呼吸。肺が狭い。  視界の文字が少し滲んだ。涙か、焦りか、どっちでもいい。  



どっちでもいいから、前に進む材料に変えろ。  


その時だった。棚の間を、ひと筋の風が抜けた。  


窓は閉まっている。


紙が、ぱら、と震えた。  


ありえない風だ。  理屈より先に、背筋をなでていく冷たい感触があった。


そして、その一瞬──  



耳の奥で、リリィの声が蘇る。  



「……約束、してくれる?」



「もちろん。十年に一度の花を、一緒に。」



「うん。……約束。」  



風に重なるように、さらに言葉が続いた気がした。  



『風鈴草、一緒に見ようね。約束だよ。』  



その声が、胸の奥に灯をともす。


指が、動く。足が、立つ。  反射で、椅子を倒しかける。札を返す余裕もない。


けれど、迷ってる時間はなかった。  


俺は図書館を飛び出した。  陽の傾いた町を、ただまっすぐ駆けていった。


広場の人波。風見鶏がからりと鳴る。いいサインであってくれ。どうか、頼む。  



まずは探す。どこでもいい。彼女の影が落ちそうな場所、全部。


工房通り。リリィの傘を直してくれた、あの寡黙な職人の扉。閉まっている。  


水屋の軒先。冷たい薬草茶の看板がゆれている。けれど、そこにもいない。


路地の日陰。市場の端の布屋の影。……いない。  


名前を呼びそうになる。けれど、やめた。


今この町で、声に出して呼んでいい名前じゃない気がした。  


広場のベンチに、一人の老人がいた。


帽子を膝にのせて、陽の粒を数えるように、穏やかに目を細めている。


──見覚えがあった。 そうだ、あの時。


リリィと一緒にこの町を歩いたとき、リリィに笑いかけていた老人だ。


帽子をそっと押さえながら、


「彼女を……しっかり守ってやりなさい。」と言ってくれたあの人。



あの老人なら、もしかしたら。


俺は足を止め、鼓動を押さえながら近づいた。


そして、ためらいながらも口を開く。


「すみません……あの、リリィを──あの時、俺と一緒にいた女の子を見ませんでしたか?」


 老人の目が、細く、糸を結ぶようにしぼむ。


「……今、なんと?」


「リリィです。白い日傘の……細くて、光を避けるような仕草をする子です。」


老人は小さく息を飲み、遠くを見るような目になった。


「思い出した。リリィ、か。そう、リリィじゃ……。」  


その声には、春のぬくもりと、冬の名残のような揺らぎが混じっていた。


「昔の話になる。……わしはこの町の教会で、しばらく神父をしておってな。


ある春の夕方、ひとりの娘が逃げ込んできたんじゃ。


顔を白い布で覆い、細い体で扉を押して。名を聞けば、リリィ。」


老人はいったん言葉を止め、手を膝の上で静かに組む。


「病だと噂された。光に弱い子でな。『病がうつる』と、人は言った。


ほんとは──うつらんものだったのに。」


胸の奥が、ひりつく。老人の声は静かだが、静かであるほど痛みが深い。


「教会の中は、影が多い。そこで暮らせば、外へ出ずとも日々は回る。

パンは分けられる。祈りもある。

……だから、しばらくは守れたんじゃ。けれど、風の強い日が来た。

町の掟、国の命。『外へ出せ』と。 本当は違うと、何度も言った。わしが前に立った。

……けれど、手を伸ばしても届かん日が、きてしまった。」


 届かなかった──。  


さっき名簿の前で感じた、あのズレが、ここで別の形になって重なる。


「その後、わしは探した。教会の外、町の中、丘の向こうも……だが、見つからんかった。

今でも思うんじゃ。あの子を、守りきれんかったと。

どこかで、今も泣いておる気がしてな……。」


 初めて、老人はまっすぐ俺を見る。  


その目は、責めるのではなく、託すような、預けるような目だった。


「少年。……きみは、どうしてリリィを探しておる?」


「……いなくなったんです。何日も探してるのに……どこにもいなくて。」


自分で言って、喉の奥が熱くなる。けれど、泣きたくなかった。


泣いたら、何かが終わってしまいそうで。  


老人は、小さく頷いた。


「そうか。なら、村の言い伝えを教えよう。

……昔は、半分笑い話のように語られとった。 けれど今は、違う。」


 帽子を膝から外し、手の中で握った。


「春の終わり。風鈴草の夕暮れの丘に立てば──

果たされなかった想いは、そっとよみがえる。」  


沈黙。けれど、意味は響いていた。  果たされなかった想い。  


リリィにも、あったのだ。


 光に触れられず、笑うことも、名前を呼ばれることも、当たり前には許されなかった少女に。


 だから、あの日、あの丘で笑ったのかもしれない。


 あれが、きっと……彼女の願いだったのだ。


「今日は、春の終わりじゃ。少年。……わしの代わりにとは言わん。

けれど、きみの手で、今度こそ──あの子を救ってやってくれ。」


図書館で開いた胸の穴に、ゆっくりと何かが注ぎ込まれていく。


痛みの中で、熱が灯る。


「──任せてください。」  


声は、震えていなかった。


「任せる、か。……いい言葉じゃ。」  


老人は目を細め、穏やかに笑った。


「いい日を。」



と、いつもの挨拶で結ぶ。  


俺は深く頭を下げた。顔を上げるより早く、身体が前へ倒れていた。  


右、左。人波を縫う。露店の布をくぐる。屋台の匂い。


子供の笑い声。全部、風になる。


風見鶏がからり。二度、鳴った。  


町を抜けて、俺は丘へ向かって、駆け出した。




読了ありがとうございます、六j話です。

今日は名簿の冷たい文字が胸に刺さり、ベンチの老人のひと言が彼女の扉を開ける回でした。

焦らず続けますので、気が向いた時にふらっと覗いてください。

もし続きが少しでも気になったら【ブックマーク】&【★評価】で応援いただけると、

作者が最終回まで転ばずに走り切れます。


次回クライマックス。

春の終わりの丘で、十年の約束。リリィと会うことはできるのか。

風鈴草の約束は守られるのか。

本日19時頃更新予定です。ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ