【第三章】町歩き、そして老人に出会う
翌日、約束の時間ぴったりに広場へ行くと、リリィはもう風見鶏の下にいた。
昨日の風で少し穴の開いた日傘をさしながら、周囲へ細かく視線を配っている。
「おはよう、リリィ!」
顔を上げた笑みはいつも通りなのに、ほんの少しだけぎこちない。
人のざわめき、靴音、屋台の呼び込み──全部を慎重に数えているみたいだ。
「ごめん、待たせた?」
「ううん。私も……今来たとこ。」
返事の間がすこし長い。
「じゃあ行こう! この町いちばんの職人さんへ!」
人通りの少ない路地を選ぶと、 リリィの肩の力がすっと抜けるのが分かった。
歩幅も半歩、俺に寄る。
店は古い建物で、擦れた看板に「道具直し処」
扉を押すと鈴がかすかに鳴き、油と糸と金具の匂いがした。
「ごめんくださーい!」
奥から、作業着の年配の男が現れる。
無口というより、沈黙が似合う顔。
目だけがよく動く。
「えっと、この傘を……布がほつれてしまって……。」
「……。」
言い終える前に、男は無言で傘を受け取り、ひらりと開いた。
その瞬間、リリィがごく小さく身をすくめる。
男は縁を指でなぞり、光にかざし、骨の根元を指先で鳴らす。
目が「直せる」と言った。
「どれくらいかかりますか?」
男は指を1本、立てる。
「1時間……かな?」
こくり、と頷く。
男はもう針を取っていた。 ちく、ちく。規則正しい音が店に満ちる。
針は速いのに、落ち着く音。
骨に触れる指はやさしく、必要なところだけ正確に締まっていく。
「……きれい。」
思わず漏れたリリィの声に、 男は相変わらず何も言わない。
ただ針先のリズムだけ、少しだけ速くなる。
「終わりだ。」
糸の端を結ぶと、縫い目は布に溶けた。緩んでいた骨も音を立てずに収まる。
ひらり──傘が新しく生まれ変わる。
「ありがとう。」
リリィの笑顔は、いつもより少しだけ幼い。
男は短く頷き、小さな札に数字を書いて差し出した。
思っていたより良心的で、俺は勢い余って予備小銭袋までジャラつかせる。
会計を済ませ、外に出ると、雲がほどけて光が落ちていた。
リリィは傘を少し高く掲げ、布越しの光を眺める。
「どう? 良い感じ?」
「……うん。私の傘が戻ってきた。」
その言い方が、胸にやさしく刺さる。
影が戻った彼女の輪郭は、見慣れたやわらかさを取り戻していた。
俺たちは石畳をゆっくり戻る。
人通りの濃い道は避け、日陰を選ぶ。
リリィが傘をほんの少しだけ傾けるたび、傘の刺繡がきらっと揺れた。
「傘隊長、警護ルートAで参ります。」
「A?」
「“明るい所は避ける”のA」
「……ふふ。」
よし、笑顔ポイント+1。俺の経験上、こういう小さい笑いが一番効く。
大笑いは難しい、でも微笑みは積み立てられる。
貯金だ。利子は心拍数で支払うタイプ。
そんな取り留めのない会話が、歩幅をそろえてくれる。
気づけば、俺たちの影はきれいに重なっていた。
広場が見えてくる。
その時、風見鶏の根元のベンチに、腰の曲がった老人が座っていた。
帽子を膝にのせ、日の光を眺めている──。
俺は反射で進路を少しだけ広く取る。
すれ違い挨拶の準備、よし。
「こんにちは。」と「いい天気ですね。」を装填。
噛むな、俺。今日は一文字も落とすな。
リリィの足取りは静かで、傘が一度だけ小さく揺れた。
よし、挨拶は任せろ。
深呼吸、一拍置いて──。
「こんにちは!」
……風にさらわれた。
老人は微動だにせず、日の光を眺める作業に戻っている。
(今のは風音に消えた。そういうことにしよう。決して、俺の声が弱かったわけでは……ない。たぶん)
リリィがすれ違おうとしたとき、老人がふいに顔を上げた。
「……おや、きみは。」
やわらかな声。まっすぐにリリィを見つめ、目を細める。
シワの一本一本が、笑ったまま固まったみたいにやさしい。
「懐かしいなあ。どこかで会った気がする。……昔のあの子に、よく似ている。」
時間が半歩ずれた気がした。
リリィが傘をぎゅっと握る。
視線が一瞬だけ揺れて、すぐ笑顔に戻る。
作り物じゃない。けれど、笑うまでの間が、いつもより長い。
「そう……ですか。」
「年を取るとね、昔の夢を見るんだよ。ほんとうにかわいい子でね。
……いや、本当に夢だったかもしれん。
わしが若いころ、教会の神父をしていたんじゃ。
そこでちいさな子の世話を焼いていたことがあってな、
よう泣く子で、でもよう笑う子で……。」
老人はそこで少し言葉を探すように、視線を空へ泳がせた。
「詳しいことは、もう、よう覚えとらん。
元気でおってくれたら、それでよかったんだが……。
世の中は風が強い日もある。
人生には手を伸ばしても、うまく届かんことが、ある。」
守れんかった──その言葉を直接は言わない。
けれど、声の揺らぎがそれを語っていた。
「そこの少年。」
「は、はいっ!」
「彼女を……しっかり守ってやりなさい。」
「ま、ままま、任せてくださいよ! こんなんですが、やる時はやります!」
(言った。言ってしまった。彼女を否定しなかった。いや、したくなかったと言っていい。)
リリィが小さく会釈を返す。
「素敵なお話ですね。……ごめんなさい、私たち、もう行きますね。」
老人はふっと笑い、帽子を軽く持ち上げて会釈した。
「いい日を。」
くい、と俺の袖を軽く引く。
歩き出すその横顔で、まつげの先に小さな雫が光った。
彼女は瞬きを一度、二度。
雫は頬を滑る前に指先でそっと拭われ、日傘の影に隠れた。
「リリィ……?」
「大丈夫。少し、風が目に入っただけ」
──風のせい、にしておくには、あまりに静かな涙だった。
背後で、老人がもう一度だけ手を振る。
「ほんに、いい日を。」
広場を離れ、通りをいくつか回る。
俺は明るすぎる通りを避け、日陰を縫うルートを選択。案内を頑張る番だ。
「こっち、人形劇場。夕方になると音が漏れてきて──」
「……きれい」
返事は短いが、ちゃんと聞いてくれている。よし、次。
「この街灯、夜は魔晶灯に切り替わってさ、色が変わるんだ。青→金→白って。祭りの日は全部金色。」
「金色……見てみたい。」
「ここ、水屋。冷たい薬草茶が名物で、──あ、いや、今日はやめとく? 疲れてるよね。」
「うん。……また今度。」
会話は続く。けれど、リリィの笑顔にはうっすらと影が残ったままだ。
歩幅はいつも通り、俺の半歩後ろ。
日陰の縁を確かめるように選びながら、静かに進む。
(隊長、作戦変更。にぎやか案内は中止、静かな並走に切り替え。ポイントは、話しかけすぎない、でも黙りすぎない。難度:高)
石畳の隙間に、小さな草の芽。
リリィはそれを踏まないように、わずかに足をひねって避けた。
そんな細やかさに気づく自分にも、少し驚く。
二人分の影が路地に伸びて、ひとつに重なったり、離れたり。
「アレン。」
「ん?」
「さっきの人なんだけど……。」
「……さっきのおじいさんのこと?」
「うん。あの人の言葉、やさしそうだったね…。」
「『昔の夢を見る』って言ってたね。
『面倒を見てた子』のことも。……それと、 『人生には手が届かないことがある』って。
あれ、ちょっと……守れなかった、って言ってるみたいだった」
リリィは日陰の縁を選びながら、少しだけ歩幅を落とした。
「人って、そういうこと、あるのかも。守りたいって思っても、どうしても届かないことも。……でも、誰かが覚えていてくれるなら、それだけで、少しはその子も救われるのかもしれないね。」
言葉は淡々としているのに、握る傘がほんの少し強くなるのを感じた。
「今日はここまでにしようか。」
「うん。今日はありがとうね。町まで案内してくれて。……私あまり来ないから、なんだか新鮮だったよ。」
リリィは白い傘をそっと傾け、静かな足取りで人波へ溶けていく。
振り返らない。 それでも俺は、見えなくなるまで手を振り続けた。
読了ありがとうございます、三話です。
今日は念願町デート、傘を直し、ベンチの老人のひとことが胸に残る回でした。
焦らず続けますので、気が向いた時にふらっと覗いてください。
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作者が挨拶を無視されずに済みます。
次回は風向きが少し変わるお話。言葉ってむずかしい。
明日に更新予定です。 ありがとうございました。




