第九話 〝観測者〟の願い
『前兆……? 前兆ってなんだ?』
『てか今の声って……いまのが観測者?』
『今の声どっかで聞いたことあんだけど?』
『なに、アイラ様大丈夫!?!?!?!!!』
『何が起きてんだ!? おい観測者!!』
沈黙していたチャット欄が、いきなり一気にリロードされて新しい一行目から始まる。
この動きも明らかにおかしい。チャットがいきなり真っ白になって最初から再開するなんて、今までそんな挙動はなかったはずだ。
みんな動揺している。俺もだ。
俺の動揺は、彼らとは違う。
まるで別の〝痛み〟だった。
「ログアウト! 出来ないのかっ!」
『ログアウトボタンがブラックアウトしてる!』
「そんな……」
一瞬、画面のノイズ音すら、耳に届かなくなった。
心臓の鼓動が、自分の耳のすぐ後ろで鳴っているような気がする。
ドクドクとうるさい心臓の音に、自分の呼吸がどんどん短く早くなっていくのがわかる。
──ダメだ。落ち着け。俺が、動かなきゃ。
画面の中で、陽がうずくまって頭を抱えている。
あいつは地震が苦手だ。というよりも、未だに強烈なトラウマを抱えていると言っても良い。
俺が足を失う原因になったあの地震の瞬間を、コイツだって見ていたんだ。あの後の俺の状況を考えれば、陽だって地震に恐怖心を抱いて当然なんだ。
でも紬は──ミウゼは、仁王立ちになって周囲を警戒している。ログアウトボタンを何度も押している動作を見る限り、あいつはまだ仲間の安全を確保しようという気力を失っていないんだろう。
あの瞬間を見ていた陽と、その後の俺を知っている紬。
あの時俺がどうなったを知っているからこその二人の違う反応に、俺の胸もぎゅっと痛くなった。
『お兄ちゃん! 聞こえてるんでしょ!? 次どうすればいい!』
ミウゼの声が、ダンジョン内に悲痛に響いた。
迷ってる暇はなかった。プレイヤーたちは、《観測者》である俺の言葉だけを頼りに動いてる。
だったら、言葉を止めちゃいけない。
思考を止めちゃいけない。
過去にとらわれてる、場合じゃない。
「左の通路だ。最奥は封鎖されてる。マップがおかしい。再チェックする。全員、今すぐ移動!」
『ソルくん立って! 行こうっ!』
「つむ……お前は退避する二人の背後を守れ! 地震の後はモンスターが来る!」
『わかってる! 誰も……死なせないわ!』
『ソル大丈夫か?』
『あの日って、あの日だよな? なぁ観測者ってやっぱクドウなのか!?』
『なんか俺たちも出来ないのかよ!』
『アイラさまあああああ!!!!!!!!!』
『みうみう逃げろ~~~!!!!』
『クドウ再臨!?!?!』
考えろ、考えろ、考えろ。
今自分がすべき最善を考えろ。
ノイズの走るマップに視線をやり、チャット欄の阿鼻叫喚を見て、三人の居る画面を見る。
マップは相変わらず真っ暗で、ザリザリしてて、さっきまで表示されていたものと画面で見える範囲の場所に三人を誘導する事しか出来ない。
チャット欄はもう投げ銭どころではなく、全員がとにかく叫びまくっている状況。
そりゃそうだ。コイツらだって、あの時の惨劇を知っているんだから。
推してる配信者の断末魔なんて、誰だって聞きたくないに決まってる。
でも、でもどうすればいいのか分からない。
ログアウトは出来ない。
マップも不鮮明。
俺はその場に居ない。
何が出来る? ただここで車椅子に座っているだけしか出来ていない俺に、一体何が?
なんで俺は、あの場所に居ないんだ?
息が詰まりそうだ。
こんなにも彼らの声が届くのに、手も足も出せない。
キーボードを打つ手が、汗で滑った。
『! モンスターの声が聞こえる!』
『ソルくん、立てる?』
『だ、だいじょぶ。ごめん。ダメ減シールド張り直す……』
「壁を……壁を背にしろ! ソルを隠せ! それで……それで、えぇと……!」
『落ち着け観測者! 俺等もマップ見てっから!』
『ソルのダメ減シ、リキャ数える!』
『マップ監視ソフト入れてるヤツおらんの?』
『違法ソフトだけど俺入れてる! けどバグで表示されてない!』
『有料ソフト仕事しろ!!!』
画面の中からは、腹の奥に響くようなモンスターなのだろう声が聞こえてきて、ミウゼがカウンター技の構えをとった。
アイラはソルを守りながら大剣を盾のように構え、ダメージ吸収技の構えをとる。ソルは宣言通りにダメージ軽減のシールドを張ったが、その顔は真っ青で手もまだ震えていた。
大丈夫──そう言ってやりたいのに、俺自身が全然大丈夫じゃないから、言えない。
チャット欄で投げ銭と共に自分の役割を宣言してくれている視聴者の方がよっぽど、よっぽど覚悟が決まってる。
俺という《観測者》の存在はもう受け入れて、そういうものだとして、ただ現在の状況をどうにかするために彼らはモニターを見てくれているんだ。
じゃあ俺は?
俺は、どうする? どうすればいい?
何を、してやれる?
『……あ?』
突然、世界から音が消えた。と、思った。
その沈黙の世界で、突如ゴキッ、と、まるで骨が砕けるような音がして、アイラの大剣が折れた。
衝撃がデカかったのか、大剣を取り落としてアイラの身体が、揺らぐ。
ミウゼが音に反応して振り向き──しかし、そのほんの一瞬の間に光の矢のようなものがソルの身体を撃ち抜いていた。
「陽っっっっっっっっっ!!!!!!!!!!」
腹部に突き刺さった〝何か〟はソルの、陽の腹から溢れた血の帯の中に混ざり込むように消えていく。
魔術だ。恐らくアイラの剣を折ったのも、魔術。
アイラの剣を折ったのは戦力を削ぐためじゃない。本命は──バフ、デバフ、治癒を一手に担う〝陽〟だった。
つまりこいつらは、思考している。ゲーム内のシステム化されたAI思考のBotとかNPCじゃなく、自分たちの判断で陽を狙ったんだ。
『ソルくん!! ポ、ポーション!』
『くそっ! お兄ちゃん! 今のどこからっ!』
「わ、わからない……! 見えない! 誰か見えたヤツ居ないかっ!」
軌道は、俺たちが背を向けた「行くはずだった道」の奥から。
けれどモンスターのポインタは動いていないし、新しいエネミーポインタも出ていない。
なのになんでだ。どこにモンスターが居るんだ?
俺一人ではどうしようもなくって、俺は思わずチャット欄に向けて叫んだ。
しかしチャット欄も俺と同じ認識しか出来ていなくて、こんなんじゃ《観測者》なんて言えないって、涙が出そうになる。
負荷がかかりすぎたのか、マップ表示用のモニターがブツンと鈍い音を立ててブラックアウトした。
電源は入っているのに、画面には「NO SIGNAL」の文字。どうすればいいのかわからない。
『ポ、ポーション効かないよっ! HP戻らない! 血が、血が止まらないっ!』
『〝警戒〟にモンスター反応! お兄ちゃん、何か来る!』
『ヤバい! ヤバいってコレ!!』
『ソル死ぬぞ……!』
『今回の死者はソルかー』
『圧迫止血だ! 傷口をおさえて、そんで……えーと!』
『なんか来る!なんか来てるって!』
『クドウ!!どうすんだよクドウ!!!!』
ソルの口から、血が吐き出される。顔色は真っ青で、呼吸するのがやっとの表情をしていた。
死ぬ。
──その言葉が、頭の中でリアルに響いた。
しかも、ミウゼが言ったように突然画面上に、空気から溶け出すようにモンスターが現れた。
チャット欄が阿鼻叫喚の騒ぎになり、ミウゼだけが戦闘の構えをとる。きっと、隠密スキルを持った敵だったんだ。
あの時みたいに……あの惨劇の始まりのようにボス部屋から出てきたんじゃなくて、明らかにミウゼたちを殺そうとする意図のある、モンスター。
なんでなんだ。なんで、この空間にいるモンスターはそこまで殺意を持っているんだ。
もしかして他の仲間たちを、同種を、俺たちが倒しているからなのか?
復讐? そんな事を考えられるだけの、思考能力を持っているのか?
俺は思わずその場に嘔吐して、酸っぱくて苦くて臭いゲロを見つめながら、気付かないうちに泣いていた。
目から次々涙がこぼれているのに、まったくわからなかった。頭の中がパニックで、熱い。
なんでこうなる?
どうしてこうなった?
どうしたら、どうしたらいい?
ノロノロと顔を上げると、無意識にモニターに手を差し伸べる。吐瀉物にまみれた手が、自分の絶望そのもののように見えて、震えた。
けれど、俺は本当に無意識に、泣きながら、モニターに手を当てていた。
紬が戦ってる。
陽が死にかけてる。
アイラが庇っている。
それなのに、俺は──画面のこっちで、何もできない。
なんで俺は、あそこに居ないんだ?
ぺとりと、指先が画面に触れて、指先に思い切り力が入る。
悔しい。悔しい。ボタボタ泣きながら、俺は喉から絞り出すような声をあげて泣いていた。
チャットには投げ銭の音、悲鳴、呼びかけ、祈りが混ざる。
チャリン、チャリン──
あの時と同じ音。白く塗りつぶされる視界に、現実感がぐらつく。
今度は陽の命が、金に変えられていく音がする。
もういやなのに、何も出来ない。
俺が、この場に居る限り。
「誰でもいいから。
俺じゃなくてもいいから……」
誰か、助けてくれよ……っ!
言葉に出来ない叫びを叩きつけるように再び動かない足を思い切り殴ると、今度は足が痛んでビリリと痺れた。
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【Project LACHESIS 緊急要請プロトコル、起動】
LOG-OUT.....................COMPLETE
観測者ユニット:NoRUN 停止完了
戦術支援モード 強制終了
外部観測リンク 切断
─── システムプロトコル:切替要請 ───
アクセスキー:Valid
システム再認証中……
※現在、緋野アイラのチャンネルの視聴者数が100万人ちょっと。クドウの方が歴が長いのもあって、登録者数は多いです。が、現在自分のチャンネルは放置状態。
ミウゼは格闘ゲームメインで、配信より大会参加が多いので視聴者数はそう多くなかったのですが、【STRAY-LINE】を始めた後爆発的に登録者数が増えました。