第五話 最後の一人
『本当にごめんなさい……こんなつもりじゃなかったの』
もう何度も読んだアイラからの謝罪の言葉を読んでから、紬からのマッサージに目を閉じる。
今日のマッサージはいつもより優しくて、丁寧な気がする。何度も「今日はいい」と言ったけれど頑として譲らなかった紬は、今は無言で俺の足を揉んでいた。
きっと、俺の心労を慮っての事だろう。
今日の俺といったら、延々と自分への罵倒を聞き続ける事になってしまった。
アイラは宣言通り謝罪配信をしたのだけれど、その配信の間中チャットには裏方──つまりは《観測者》である俺への文句が書き込まれていたんだ。
なんで? とは思わない。人気VTuberの配信なんてそういうものだ。
実際に恋愛だとかの関係がなかったとしても、相手が人気のある相手であれば悪いのはこちらだ。
こんなに叩かれたのは、配信者を引退した時以来だろうか。
今回は別に名指しで叩かれてるわけじゃないけれど、なんだか凄く精神的に疲れる。
「お兄ちゃんのこと、ちゃんとわかってくれる人もいると思うよ」
「……んだな」
一言だけだったけど、それがこの数時間で初めて、胸の奥に染み込んだ気がした。
アイラもずっと謝罪してくれているし、これ以上引っ張るのは明日の配信のテンションにも関わるだろう。
もう1人の仲間が見つかっていない以上、主戦力であるアイラのコンディションが優れないのは、命に関わる。
《観測者》は配信には出ないし、多少視聴者が減った所でダンジョンさえ無事に攻略できれば問題ない、はず。
元々俺たちのパーティは、【STRAY-LINE】の攻略をするために集められたんだ。くだらない事で内輪揉めしている場合じゃない。
「お兄ちゃん……あたし、お兄ちゃんのパーティ入るっ」
「はっ!?」
「今の状況で新しい人探すのはリスクありすぎじゃん。なら、あたしがやる。反射神経には自信があるんだからっ」
「バカ言うな! 遊びじゃないんだぞっ」
「お兄ちゃんが観測しててくれるなら、あたしは死なない!」
言葉を続けようとした俺は、紬のあまりにもハッキリとした言葉に息を呑んだ。
死なない、なんて、【STRAY-LINE】に最初にやってくるヤツはみんな言っている言葉だ。
死ぬのは弱いヤツだけだとか、自分は大丈夫だとか。そう言ってみんな死んでいくんだ。
初配信で死んだ配信者の断末魔が、今でもアーカイブで配信され続けるような世界。血が繋がっていないとはいえ、妹を巻き込む事に頷けるわけがない。
でも、紬の言う事が間違っていないのも、現実だ。
こんな炎上が起きてしまった以上、この先に入ってくるメンバーの事はみんな疑わないといけないだろう。
例え間にスポンサーを挟んだとしても、新メンバーが配信をし始めれば騒ぎになるのは目に見えてる。
それを考えれば、背後にすでにスポンサーが居るプロゲーマーである紬を入れるのは、決して愚かな選択ではないだろう。
まして紬は格闘ゲーマー。本人が言う通り、反射神経は抜群にいい。
でも、だからって、妹を巻き込むなんて……
「もう篠さんと陽くんにメールしたから。よろしくね、お兄ちゃん」
そう言って、紬はにやりと笑いながら俺の顔の前にスマートフォンを突き出した。
そこには、陽とのチャット画面が表示されていて、思わず読んでしまう。
陽も俺と同じような事を言って紬を説得しようとしていたが、やっぱり紬の押しの強さに負けてしまったようだ。
まぁ、俺たちの両親の再婚も紬の一押しで決まったって聞いてるし、紬が一度言い出したら聞かないのも知っている。
「はぁ……わぁったよ。でも、本当に……覚悟はしておけ」
「うん。あたし、お兄ちゃんの命令は絶対に聞くから」
何でも指示して。
やっぱり紬はそうやってハッキリ言い切って、俺はベッドに横になり両手で顔を覆った。
スポンサーに登録して【STRAY-LINE】に入るには、必要なものがたくさんある。
保険の加入、遺書の準備、未成年の紬には保護者の同意書……
どうせ紬はそれらだってわかっているだろうし、もしかしたらもう用意もしてるのかもしれない。
もう、頼もしいやら悔しいやら。
俺は紬のスマホをパッと奪うと、紬と陽のチャットに「訓練に付き合え」とだけ送って、車椅子を掴んだ。
それを見て、紬もパッと顔を明るくして俺の部屋を飛び出していく。
配信の準備をするんだろう。【STRAY-LINE】は、格闘ゲームは別の設備が必要だから、もしかしたらスポンサーの所に行くのかもしれない。
「お兄ちゃん! 始めるの30分後にして!」
「わかった。お前のIDだけ先に送っておいてくれ」
「りょ! 行ってくるっ!」
バタバタと飛び出して行った紬が、バタバタと服を着替えて外に飛び出していく。
ドアの前を通りすがりざま、まるで書き置きでもするみたいに、封筒が押しつけられる。
──中身は「保護者同意書」と、封のされた遺書だった。
同意書にはすでに両親の名前が書かれていて、あと一人分の枠には薄く鉛筆で「お兄ちゃん」と書かれて丸がつけてある。
遺書はしっかりと封じられていて──俺の遺書と同じように、そこそこの分厚さがあった。
あらかじめ封筒に折り目がついていたのを見るに、最初から渡すつもりだったのだろう。
俺はペンを手に取り、妹の同意書に名前を書く。
手が震えて、ペン習字を習っていたはずなのに凄く情けない文字になってしまった。
あぁ俺は……親友たちだけじゃなくて妹まで死地に追いやるのか。
筆圧が強すぎて裏に透けている紬の文字を見ながら、俺は頼もしさと紬という存在の大きさに涙が出そうになった。
感情の整理がうまく出来ない。言葉に出来ない感情が胸の奥で渦巻いて、吐き気すらも覚えた。
そのまましばらく動かないでいると、不意に携帯が振動する音がしてきて、俺はノロノロと顔を上げる。
陽だろうか。そう思いながら携帯を手に取ると、表示されていたのは【篠 悠一朗】の名前。
ぎょっとした俺は、少しもたつきながら受話ボタンをタップした。
『お久しぶりです、玖堂くん。今少しお時間はよろしいでしょうか』
「篠さん……俺、すみません」
『炎上の件ですか? あれなら、君のせいではないでしょう』
落ち着いている大人の声に、俺は数度深呼吸をしてから「はい」と小さく言葉を漏らす。
篠悠一朗。あの大地震があった日に【STRAY-LINE】にログインしていたGMで、片腕を犠牲にしながら俺を助け出してくれた人──
生き残った配信者は俺だけで、GMも彼だけ。だからこそ俺たちは同時にバッシングを受け、同時に表舞台からも姿を消した。
GMである篠さんは元々【STRAY-LINE】の運営側の人間だったので、そのバッシングの度合いは俺よりも酷いもので。
そのせいで俺は、篠さんに中々会うことも礼を言うことも出来なくて。再会出来たのは、陽を通して俺に《観測者》になる依頼をしてきた、その時だった。
『紬さんから、アスリード社を通して【STRAY-LINE】への参加要請がありました』
「……さっき、聞きました。前から話は出てたんですか?」
『【STRAY-LINE】への参加要請は一ヶ月ほど前からあったようです。御存知の通り私はもうゲームに関われない部署に回されたので、私も知ったのは今朝なのですが……』
「今朝?」
『えぇ。あなたのパーティに参加するので、機器を貸して欲しいと』
アイツめ……思わず唸ると、通話の向こうで篠さんが小さく笑った声がする。
紬がどうやって配信を始めるのかというのは多少疑問でもあったが、篠さんに渡りをつけていたとは思わなかった。
まぁ、篠さんと紬は、俺が入院中にも俺への保障だなんだで家に出入りしていた際に知り合ったのだとは、聞いてたけども。
だからって、まさかスポンサーからチョクで篠さんに話を持っていくとは。
紬の胆力には驚いてしまう。
『アスリード社と我が社は、紬さんのテストデータから彼女をプレイヤーの一人として配信権を渡すことを決定した、そうです』
「……そうですか」
『……大丈夫ですか、玖堂くん』
大丈夫か、と聞かれても、俺には軽く笑い声を返すことしか出来ない。大丈夫じゃない、と言った所で、紬はやめないだろう。
これが最善の策だってことも、俺はわかってる。きっと、篠さんだって、わかってる。
だが理性と感情はまったく別物で、俺は思わずデスクの上で握りしめた手を、キーボードの上に叩きつける。
たったそれだけのことで、ショートカットが反応したのか【STRAY-LINE】へのログインテキストが表示された。
篠さんが作ってくれた、《観測者》システム。
その起動画面が、モニターに映し出された。
『玖堂くん』
篠さんの声が、少しだけ遠くに聞こえる。
けれど俺はうまく言葉が出てこなくて、通話を切った後にテキストで謝罪の言葉を送った。
返信は、あの人らしからぬ可愛い猫の「OK」というスタンプがひとつ。こういう時に無駄な言葉も励ましも送ってこない篠さんを、俺は結構尊敬している。
彼のスタンプに既読をつけてから、俺は溜め息を吐きつつマウスを手に取った。
落ち込んでいるだけでは、先に進めない。
約束の30分までも、時間はもう、そんなになくって。
俺は、4枚のモニターの電源を全て確認して、表示されるテキストが流れていくのを黙って見守った。
LOG-IN...........................OK
観測者ユニット:起動
接続安定率:97.6%
同期開始……戦術支援モード起動。
《Now observing:Nothing》
《ノード接続先:不在/沈黙》
《新規ノード接続:承認待機中(ID:MIUZE)》
《現在地点:訓練施設/安全地帯/深度0》
《全ルート映像リンク:展開中》
《配信モード:OFF》
――観測、開始。
あの謎の地震後、【STRAY-LINE】にプレイヤーとして参加するには沢山の同意書を書く必要があります。
また、勿論保険にも入らなければいけません。これらは全て【STRAY-LINE】の親会社が管理し、何かあれば親会社から費用が支払われます。
【STRAY-LINE】の運営は配信者の配信料(投げ銭)の一部で収益を得ています。