ある闘病日誌
大阪府のとある町の一角に、40才には見えない、可愛い女の子という言葉がピッタリの女性が、母と二人で慎ましやかに、小さなマンションの一室で仲よく暮らしていました。マンショの角から何時も、お母さんお帰り~と、声をかける彼女の笑顔が、何ともいえない愛らしい表情が、忘れる事が出来ません。事の始まりは、2023年12月のある日、彼女は市から発行される検診用のハガキを持って、とある検診専用クリニックに検診に訪れたのです。3年前にも、このクリニックの同じ担当医に受診しています。乳癌の検診です。3年前は異常なしでしたが今回は、シコリが有り乳癌の疑い有り、来年1月に再検査しないとハッキリ断定は出来ないとの事です。これが悪夢の始まりでした。重苦しい年末年始です。疑い有りは癌だと言うことだよね~お母さん?と恐がる彼女に、今は抗がん剤治療も出来るし、あまり心配しないでと言ってる本人が訳のわからない励ましをするしかない情けない状況でした。
年が明けました。毎年の様に、白味噌のお雑煮で祝いました。お母さんのお雑煮は何時も美味しいと喜んでくれて、涙です。重い足取りで再診に行きました。診察が終わり、医師はハッキリ癌です、3センチのシコリでステージ2ですと言ったのに驚きました、現代は本人にハッキリ病名を告げるのだと、逆に軽い癌だから軽い言い方をしたのかな?と思ってしまいました。この瞬間から母の後悔の始まりです。