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おれのなかの小学生男児がコレを書けと


 豪華なシャンデリアが煌めき、優雅な楽曲が流れる。集う人々は色とりどりの正装で、目も眩むばかりだ。女性達のドレスの裾は楽曲に合わせて揺れ、靴音は軽やかなステップを刻む。


 タヴィア王立貴族学園の卒業パーティーは、全学年参加で行われる恒例行事だ。ここを卒業した後、生徒達は貴族社会へデビューする。卒業生はわずかな緊張と期待を胸に、学生としての最後の時間を過ごすのだ。


 その華麗なるパーティーで、事件が発生していた。


「メルリア・イニスフィア、貴様との婚約を解消する!」


 高らかに響く第二王子ラディク・スティト・タヴィアの言葉に、周囲の人々が息を飲む気配がする。

 広間のど真中で響いた声は、集まった全校生徒に聞こえたことだろう。彼の声は誰もが聞き惚れるような美声で、一度聞けば忘れられない。その美声につられ、周囲の視線は王子へ向かい、更にその視線の先へ行く。


 今まさに婚約解消を伝えられた本人……イニスフィア侯爵令嬢メルリアは、急に向けられた大量の視線に震えそうになった。少しでも気持ちを落ち着かせるために、祖母から貰った首飾りに触れる。

 今朝渡されたこの首飾りは、曰く付きのお守りでもあった。それが本当であれば、早速役立つ場面に出くわし、ため息が漏れそうになる。


(ついにこの日が来てしまったのね……)


 気付いてはいたのだ。


 メルリアは一度目を伏せ、再び視線をラディク王子に向ける。

 王子の隣には、人前だと言うのに寄り添うように立つ少女の姿。


 彼女の名は、アルミィ・アティウムという。

 少し前に季節外れの編入生として、学園にきたばかりだった。


 アルミィは優しげな淡いブラウンの髪と、初夏の若葉のような緑の瞳の少女だ。

 円やかな頬はあどけなさを残しつつ、桃色の唇が艶めいて、大人になりかけの少女の危うさを感じさせる。それでいて垂れ目がちの大きな瞳は愛嬌があり、人目を惹きつけた。


 図抜けて美人と言うよりも、人に好まれやすい外見。そして、警戒心が薄れやすい外見でもある。

 目があった時ににっこり微笑まれたら、相手はつられて笑顔になるだろう。


 銀髪に紫の瞳のメルリアは、美貌を讃えられはするものの、冷たい印象を与えやすい。話しかけにくいとも言われる。

 アルミィは、メルリアとは真逆の印象だ。メルリア自身もそう思う。


 全身であっても、二人のタイプは大きく違う。

 メルリアは細身で、胸は程々だ。女性にしては背が高く、少し高めのヒールを履くとラディクと変わらない高さになる。並ぶ時はヒールの低いものにするようにと、散々言われたものだ。


 アルミィは小柄で、全体に華奢なのだが、胸だけ主張が激しい。

 露骨な露出はしないものの、彼女はいつも、胸の大きさの目立つ服を着ている。今はその大きな胸を惜しげもなくラディクの腕に押し付けて、柔らかさをアピール中だ。無邪気な雰囲気でグイグイしているが、同じ女性からしたら、ワザとだと言うのはバレバレである。あれだけ当てていて、気付かないはずが無い。


 男爵家の娘として入学してきたアルミィは、元は平民だったと聞いている。良くある「旦那様がメイドに手をつけた」結果で、男爵家に政略的に使える娘が生まれなかった為、入学少し前に引き取られたそうだ。

 そんな出自の娘が、貴族ばかりの学園に、簡単に馴染める訳がない。

 お約束通り、彼女は周囲から冷ややかな目で迎え入れられた。いじめがあるわけではないが、進んで付き合おうとする者も少ない。所謂腫れ物扱いだ。


 普通はこのような環境であったならば、極力目立たず無難に過ごそうとする。

 ところが、彼女は普通ではなかった。


 あろうことか、ラディク王子に近付いたのだ。

 それも、「お貴族様に相手にされない、元平民」としての立場を利用して。


 年若い王族として、ラディクは比較的真面目な性格だった。そこが逆に良く無かったのかも知れない。アルミィの縋り付くような視線にコロッと騙されて、今では彼女の言う事を、全て鵜呑みに信じてしまっている。


 最初は、小さな違和感だった。

 次に、会う回数が減った。

 最近では周囲から悪い噂が流れていると忠告され、挙句の果てにこの卒業パーティーのお誘いもなかった。


 婚約者からのお誘いが無いことで、家族にまで心配をかけている。特に現在王太子に仕えている兄は、心配と激怒のあまりに職務を投げ出し、メルリアに付いてきてしまいそうだった。それを何とか宥め、祖母からのお守り替わりの首飾りをして、出てきたのだ。


 メルリアは婚約者が王子である手前、他の男性とパーティーに出席する事は出来ない。その場合は事前に申請が必要になる。それも王子の方から申請しなければ、受け付けては貰えない。


 会っても貰えず、今日の出欠の確認も出来ず、メルリアは一人で会場に来るしかなかった。そして一人で来てみれば、王子は既に会場内だと言われて、一人で会場入りした。まだ学生故に一人で会場入りする者はいるものの、婚約者が同校生にいるのに一人で入場は、おそらくメルリアのみだろう。


 なので、今のこの状態も予測出来なかったわけではない。可能性はあると踏んで、既に侯爵である父親を通して、陛下に連絡済みだった。もちろん、父親も陛下もこの状況を憂いており、出来ればラディクに正気に返って欲しいと願っている。今まで黙っていたのも若気の至りと見ていたからだし、大ごとにしなければ、今後も若気の至りで済ます予定だった。


 しかし、これは駄目だろう。

 こんなに目立つ形で、こんな風に婚約解消を告げてしまえば、穏便に済ますことは出来まい。まして、政治的に関係を崩せない侯爵家に恥をかかせてしまったのだ。王家には頭の痛い話だし、ラディクには相当のペナルティが課される。

 ここまでする利点を、メルリアは見出せなかった。それだけアルミィに惚れ込んでしまったのだとしても、身分と秤にかけるほどの事とは思えない。


「貴様がアルミィをいじめていたのは、もう分かっている! 教科書を破いたり筆入れを隠したり、通りすがりに足をかけたり……」


 ラディクは正義面で、メルリアの罪とやらを次々と上げている。いずれも身に覚えの無いことだ。メルリアは王族の婚約者であるため、常に護衛を兼ねた監視がついている。そんなことをしていたら、即座に陛下に連絡が行く。王族であるラディクがそれを知らぬでもあるまいに、何故そこをきちんと調べないのだろうか。


 正直なところ、ラディクはメルリアの好みではない。彼は線の細い美形であるが、メルリアはもっとガッチリした体型の、目付きが鋭い外見の方が好きだった。陛下がそのタイプだったので成長に期待したものの、見事に華奢に育ってしまった。残念である。

 せめて性格が合えば情もわこうが、こちらも合わない。頑張っても会話が続かない。


 なので、この婚約破棄騒動での精神的ダメージは無かった。わざわざ騒ぎにしたのはラディクに分からないようにちょいちょい見下してくるアルミィだろうが、むしろどうぞどうぞと押し付けたいくらいである。


(……流行りに乗りたかったのかしら)


 どういうわけか、近隣諸国では、大貴族の婚約破棄が流行っている。先日も海に面した隣国で、派手な婚約破棄があった。公爵令嬢が王太子から、公衆の面前で婚約破棄されたのだという。

 状況的に、今のメルリアとそっくりだ。


 メルリアは、首飾りの宝石部分をそっと撫でた。


 祖母が渡してくれたこの首飾りは、その時に公爵令嬢がしていたものだと聞いている。首飾りには『ヴィロンの魔神』なる者が住み着き、着用者を護るらしい。その魔神のお陰で公爵令嬢は別国の王子と結ばれ、今は幸せに暮らしているという。


「わたくしはもう救われましたので、誰か必要な方のもとへ」


 彼女はそう言って、この首飾りを侍女へ渡した。その侍女が祖母の友人の親戚で、メルリアの為に送って貰ったとのこと。

 伝聞ばかりで真偽の程は不明だが、些かの心の拠り所にはなった。

 何しろ、このままでは関係者全員の評判が落ちる。もう穏便に済ませられない以上、何かの救いが欲しい。


「ここまで言っても謝罪も無しか……呆れたぞ、メルリア」


 ため息をつくラディクに、呆れたのはメルリアの方だ。頭の悪い断罪劇などやっていられず、話は半分しか聞いていないが、彼らはまだ続ける気なのか。

 思わず視線が冷たくなったのか、アルミィはメルリアを見ながらわざとらしく「こわい」と呟いた。その際、ラディクの腕に更に強く胸を押しつけるのを忘れない。ラディクの視線がチラッとそちらに向いたのが、実に下品だ。


 最早心配すらも馬鹿馬鹿しい。彼らを気遣った事自体が愚かに思える。

 メルリアは、全部が面倒くさくなった。


(……この人たちを無視して、家に帰れないかしら)


 そんなことを考えながら、メルリアは首飾りの宝石を撫でた。

 すると、宝石からふわっと何かが出てきたような感じがする。それを不思議に思うより先に、耳元で変わった響きの声がした。



『よし、俺がその願いを叶えてやろう』



 突如、広間の灯りが消えた。


 豪華なシャンデリアは、たくさんの蝋燭が設置されている。多少の風で全部の蝋燭が消えるわけもないし、そもそも室内でそのような風が吹くわけもない。それなのに、一瞬で消えたのだ。


 真っ暗になったことに悲鳴が上がったが、直後に灯りは復活した。原因は分からないものの、皆はとりあえず周囲に視線を走らせる。そして、自分の近くに異変が無いことにほっとした顔を浮かべた後、途中だった断罪劇へと視線を戻した。

 それはメルリアも変わらない。一瞬周りに目を向けてから、ラディクのいた方向へと視線を向けたのだ。


(……え?)


 何故か。

 ラディクは下半身裸だった。

 思わぬ出来事に硬直するメルリアの目の前で、ラディクはスッと股間へ手を伸ばす。




「お○○○○(ティンティン(鐘の音)びろーん」




 良く通る無駄に良い声で、ラディクはそう言った。言いながら、どこと詳細は言わないけれどもそこはお○○○○(ティンティン(鐘の音)じゃなくて玉では?と思われるところを広げた。乙女であるメルリアの尊厳の為に、一部伏せ字である。

 それよりも何よりも、何故にラディクは下半身裸なのか。しかも、股間をおっ広げているのか。

 様々な思考が頭を巡った後、メルリアの脳は復活した。


「キャー!!」


 メルリアの悲鳴を切っ掛けに、あちらこちらで悲鳴が上がる。その悲鳴にハッとしたような顔をして、ラディクは真っ青になって慌てて下穿きを引き上げた。


「わ、私は一体……!?」


 どうやら本人もやりたくてやったわけではなさそうだ。しかし、やってしまった以上はどうにもならない。会場は既に大混乱だ。やったのが王族の手前、男子達はおかしくても笑えず、女子達は悲鳴を上げて手で目を覆いつつ、隙間から覗いている。一部の本当に純情な娘さんは、ショックで失神寸前だった。


「……こ、婚約解消を承りました。お幸せに」


 メルリアは騒ぎに乗じて帰ろうと思った。

 これはどう考えても、ラディクが乱心したと言われるだろう。国の利益よりも女を取った上でこれでは、廃嫡なんてまだ優しい方かも知れない。何より、もう本人が表に出たくなかろう。

 ついでに言えば、彼を唆したアルミィもまずい事になりそうだ。もしかしたら、ラディクの乱心の原因にされてしまう恐れもある。

 メルリアは、先に父親と陛下に話を通しておいて良かったと、心から思った。おかげで巻き込まれずに済む。


「待って」


 いそいそと帰ろうとするメルリアを、アルミィが止めた。


「まだ陛下にお許しを得ていないから、婚約解消していないでしょう?」


 言外に『王子をお返しします』と含ませて、アルミィがラディクを押し付けようとしてくる。これだけ派手な婚約解消劇をやらかしておいて、逃げるつもりらしい。

 メルリアは静かに首を振った。振った方向は横だ。


「実は既にお話してあるのです……許可はいただいていますわ」


 メルリアはメルリアで、言外に『わざわざ事前に準備して穏便に済ましてやろうとしていたのに、お前が大事にしたんだから逃げんなよ』を含ませた。

 途端、アルミィが真っ青になる。

 ここにきて、ようやく自分が非常に危うい状態だと気付いたようだ。アルミィは慌ててラディクの方へと振り返ったが、彼はまだ下穿きを引き上げた姿勢のまま、呆然としている。彼女を救うどころではない。


「それでは、私はお暇いたします」


 その隙に、メルリアは会場を抜け出した。馬車までのエスコート無しを意識した瞬間に、誰かの手が伸ばされる。その誰かの手を、メルリアは一瞬だけ戸惑ってから、取った。


『あれ? 意外と落ち着いているね』


 少しおかしな調子で聞こえる声の主へ、メルリアはチラリと視線を向けた。


「いいえ、大変混乱しております」


 視線の先にいたのは、背が高くてやや目付きの悪い……だけど美貌の男性だった。

 男はこの国では珍しい黒髪で、肌の色が褐色がかっていた。瞳は金色にも見えるような飴色で、その色味が目付きの悪さを強調させている。強面がマイナスに働き、折角の美貌が半減だ。

 背はハイヒールを履いたメルリアの目線が、彼の胸辺りになるくらい高い。それだけ高く手足も長いが、ひょろりとした印象はなかった。良く鍛えているのかも知れない。全体的に見れば、美丈夫と言える。

 ……服装がこの国の貴族の夜会服なのは、メルリアに合わせてくれたのだろうか。黒に見える程に濃い紫の生地に銀の刺繍の服は、彼に似合っていた。


「……貴方さまが『ヴィロンの魔神』さま?」


 問うてはいるが、メルリアは彼が魔神であると確信している。だからこそ、戸惑いながらも手を取った。


 彼からは、首飾りと同じ気配がする。

 上手く言葉には出来ないのだが、それでも一言で表すならば「異質」。


 メルリアの言葉に、彼は口の端を上げて見せた。顔立ちのせいで非常に悪党っぽく見えるが、良く似合う笑みだった。


『そう、俺がその魔神。本当はハルトオルって名前だけどね』


(ハルト・オル……?)


 メルリアは首を傾げた。

 魔神の名が、古代語で『愚か者』を指す言葉だったからだ。それを知っていて名前で呼ぶのは、やや躊躇いがある。かといって、教わったのに名前で呼ばないのも失礼だ。


 名前について聞こうかどうしようか悩むうち、二人はイニスフィア家の馬車に辿り着いていた。当たり前のようにメルリアの手を引く見知らぬ男に、御者が視線をむけてくる。メルリアは静かに首を振った。


 万が一、誰かに絡まれた場合、ここで頷けば御者が助けてくれる。この御者はメルリアの護衛も兼ねていた。今回はもし頷いたところで、彼にもどうにも出来ないであろうが……なにしろ相手は人外だ。

 なお、彼以外の護衛もいる。帯剣した護衛は学園内には入れないようになっているため、門の外で待機している。こちらが門から出る時に、彼らは馬で周囲を囲うように一緒に出てくるのだ。


 魔神……ハルトオルは自然な仕草でメルリアを馬車へ乗せ、自らも乗り込んだ。彼がメルリアの正面に座ったところで、馬車が滑らかに走り出す。


『で、どうだった?』


 ハルトオルの名前について考えていたメルリアは、質問の意味がわからなかった。

 だが、すぐにラディクの姿を思い出す。


「あれは……貴方さまの仕業でしたの……」


 感想は、乙女のメルリアに言えるはずがない。強いていうなら、その場から逃げ出せて助かったというくらいである。


『死人が出ない、良い仕返しだと思ったんだけどなぁ』


 のんびりとそんな事を言う魔神に、メルリアは驚きの視線を向けた。


 仕返し。

 メルリアの中に無かった概念だ。別に何もしなくても、ラディクは勝手に破滅する。それを知っていて何かしようとは、思ってもいなかった。


『キミはアイツは勝手に破滅すると思っているだろう? ところがそのままだと、お咎めなしで終わっていた』


 そんなはずはなかろうと、メルリアは口を開きかけた。

 だが、先程のあの状況を作った魔神が言うのだ。何かを知っているのかも知れない。

 メルリアは開きかけた口を閉じ、耳を向けた。


『頭の回る女って好きだよ』


 魔神はご機嫌になって、狭い馬車の中で窮屈そうに長い足を組み変えた。


『実は背後に、キミの家の敵対勢力がいる。キミの護衛兼監視の中に買収された奴がいて、キミも悪かったって事にされるのさ』


 しかし、メルリアは既に陛下に報告済みだ。今更買収された者がいても、メルリアの方が有利だろう。


『あ、陛下に報告済みなのは有利にならないよ。悪事がバレるとやばいから、事前に報告したってノリにされる』


 なるほど、それは酷い。

 普通に考えたら覆るわけがないのだが、勢力戦なら話は別だ。

 ラディクが婚約破棄を言い出したまでの状況だったら、王家ばかりが不利な状態での破棄になる。第二王子が失脚する上に、王家はイニスフィアに頭が上がらなくなってしまう。それは王家も敵勢力も面白くない。

 メルリアも悪かった事にすれば、王家の負担は減る。イニスフィアの力はこの程度では落ちないものの、上がりもしない。更に王家との縁戚は無くなるから、敵勢力も安心だ。


 そう考えると、アルミィが学園に編入してきたところから始まっている話になる。

 おかしいとは思ったのだ。婚約者のいる王子にあんなに近付くなんて、普通は考えられない。学園側からも注意が行って当然かと思っていたら、まるっきりスルーだった。学園は口出ししない方針かと、内心ちょっとがっかりしていたが……これは学園側にも手が回っていたのだろう。

 ならば、メルリアの立場はより危うい。学園が敵では、証拠も捏造される恐れがある。


 魔神の言う通りだ。このままだったら、きっとメルリアが破滅していた。それでいて、ラディクはお咎めなしになった可能性が高い。


 魔神に視線を向けると、彼は口の端を上げて見せた。


『頭の回る女って、好きだよ』


 先程と同じセリフを、先程よりも意味ありげに言う。そして指先をクルクルと回しながら、楽しげに続けた。


『だから俺は考えた。出来るだけ誰も死なずに、平和的に解決する方法を』


 その結果がアレか。

 アレは平和的解決だったのか。


 確かに誰も死ななかったが、ラディクの尊厳は死んだ。酷い扱いを受けて腹は立つものの、アレは同情に値する。破滅せずに済んだとはいえ、流石に酷い。

 メルリアが眉根を寄せると、魔神がちょっとだけ首を傾げるようにする。


『なんていうか……慈悲の心?』

「慈悲の心」


 思わず鸚鵡返ししてしまった。

 そもそも、何故語尾が疑問系なのか。自分でもそうは思っていない証拠だろう。やった事はむしろ無慈悲だ。


『まあ、それは冗談として……実際、王子もあの目ダヌキおっぱいも、殺される程の事はしていないだろう?』


 それはその通りだった。

 メルリアは不快な思いはしたものの、相手は王族。上の者から下の者への罪は、どうしたって判決が甘くなる。

 さすがに今日の婚約破棄はやりすぎだったが、それでも王位継承権の順位が下がる程度だっただろう。アルミィも社交の場に出られなくなる程度で、どちらも命が取られる程の事にはならない。


『ところが、俺がキミに味方すると、彼らが死ぬ確率が上がるんだよね』


 メルリアは瞠目した。

 そして同時に、頭の中に「ヴィロンの首飾りの曰く話」が蘇る。

 少し前に思い浮かべていた、前の持ち主の事だ。隣国の公爵令嬢……彼女との婚約破棄をした王太子は、どうなったのか。


(確か……王位継承権を無くして、しかも婚約破棄してまで手に入れた相手は御付きの護衛とも関係していて、失意の果てに儚くなられたと……)


 ゴシップは近隣諸国に轟いている。王太子の死だけでなく、相手の女性も亡くなっていたはずだ。それも複数の男性を相手にしていた事が明るみになり、誰かに刺されたと聞いている。

 聞いた当時は自業自得と思ったものだが、我が身が近い状態になると話は別だ。メルリアは別に、彼らに死んで欲しいとは思わない。もう出来るだけ関わりになりたくないから、むしろ目立つ不幸に遭わないで欲しい。


『今日のアレなら、多分誰も死なずに済むはず』


 メルリアは、何かしょっぱいものでも食べたような気分になった。

 命が助かるのであれば、ラディクの尊厳くらいは仕方ないかも知れないと、メルリアも思ってしまったからだ。


『あ、もう着くかな?』


 魔神の言葉に顔をあげて外を見ると、確かにイニスフィア邸が近い。おそらくもう数分で着く。


「あー……あー? んんん、あー……」


 先程までおかしな調子で聞こえていた魔神の声が、普通に聞こえてきた。何をやっているのか分からず、メルリアはただ様子を見るしか出来ない。

 そんなメルリアに、魔神が小首を傾げながら問うてくる。


「んん、ちゃんと喋れている? 意味通じる?」

「はい」


 メルリアが頷くと、魔神はホッとしたように微笑んだ。

 今までがやたら悪党っぽい雰囲気だったせいだろうか。その笑みは妙に可愛らしく見えた。


「まだこの国の言葉に慣れていなくてね……キミとの会話で学習させて貰ったよ」


 メルリアは、ひっそりとギョッとした。多分、この驚愕は外見には一切出ていないだろう。そうであって欲しい。そのくらい驚いた。

 まさか、今の少ない会話で言葉を覚えたというのか。

 まるでメルリアの思考を読んだかのごとく、ハルトオルが頷きながら言う。


「言葉ってのは、基本の形はパターンみたいのがあってね。俺は単語自体は世界から拾えるから、パターンを覚えれば喋る事が出来るんだ」


 単語が世界から拾えるという意味は不明だが、それだと更に不明な事がある。

 メルリアがその疑問をはっきり頭で形にする前に、やはりハルトオルが答えた。


「さっきまでの会話は、直接意味を音に乗せて、言語関係なく理解出来るようにしていたんだ。変な風に聞こえただろう?」


 たしかに、おかしな調子だとは思った。意味が分かりはしたが、実際にはこの国の言葉ではないもので話していたらしい。なるほど、それなら違和感があって当然だ。


 しかし、メルリアはもうひとつ気になる。

 それを聞こうと口を開いたところで、馬車が止まった。外を見れば、もう我が家に到着していた。


 ドアが開かれて、先にハルトオルが降りる。そして非常に美しく優雅な仕草で、メルリアへ手を差し伸べた。

 反射的にその手を取って馬車から降り、顔が近くなる瞬間、魔神が囁く。


「心を読んだんじゃなくて、表情を読んだんだよ」


 メルリアの頬に、かあっと熱が集まった。慌てて耳を押さえて視線を向けるが、ハルトオルはしれっとした表情で、自分だけ赤いのが余計に恥ずかしい。

 言われた内容も勿論恥ずかしい……が、一番恥ずかしいのはハルトオルの声だった。


 まるで耳を舐められたかのような、甘く響く声音。

 その場で奇声を上げて腰を抜かさなかっただけ、自分を褒めたいくらいだった。


 ラディクも美声であったが、系列が違う。ハルトオルの方が声が低い分、振動のようなものが追加されてキツイ。

 メルリアはキュッと唇を噛んで耐えた。そして何とか令嬢らしい自分を取り戻し、姿勢を正した。


 これから、家族に色々と話さなければならない。ラディクとの事はもちろん、今隣にいる魔神についても説明が必要だ。狼狽えている場合ではない。


 気を引き締めようと歯を食いしばるメルリアに、ハルトオルが空気を吐くように軽く笑った。少しのその動きで飴色の瞳に光が反射して、艶っぽく煌めく。


 とても心臓に悪い。

 耳元で響いた低い声音も、背が高くしっかりとした体躯も、飴色の瞳の強面も、一々メルリアの好みに一致する。挙句、ピンチを救って貰っているのだ。いかな強情の乙女であろうとも、ときめかずにはいられぬ状況。

 もちろん、メルリアも例外ではない。


(これも読まれているのかしら)


 だとしたら大分恥ずかしいが、相手はピンチを救ってくれた恩人だ。無礼な振舞いなど出来ようはずもなく、虚勢を張るしか手がない。


「魔神さま、家族に説明したいのですが……」


 平静を装ってハルトオルに問いかけると、彼は愉快そうに口角を上げた。


「俺のことは『ハルトオル』って呼んでくれ。どう名乗っても『愚か者』って意味になるから、気にせずにな」


 やっぱり読まれていたのか、名前が気になっていた事はバレていたようで、直々にご説明いただけた。

 先程までは『意味を音に乗せて』話していたくらいだ。彼の名前もその方式なのだと思えば、意味を気にする必要はあるまい。


「俺の存在については、俺自身が説明しよう。百聞は一見にしかずだ」


 確かに、不思議な存在である事を説明するのは難しい。彼の口調でいくと、何やら目で見て分かる事をしてくれるらしい。

 彼が自己紹介してくれるなら、メルリアの仕事と悩みは減る。とても助かる。


 でも、解決策として王子の股間を晒す魔神だ。どうにも不安が付き纏う。


 メルリアはちょっとだけお腹が痛いような気持ちになりつつ、魔神と共に開かれたドアをくぐった。



■■■




 その後。

 メルリアはなんだかんだで最終的には、この魔神と結ばれた。

 魔神の口説き文句は「生まれる前から惚れていた」である。そんな事をときめいている相手に言われたら、メロメロになって然り。おチョロく落ちても仕方あるまい。

 魔神はその力で身分と戸籍も得て、シレッと高位貴族としてメルリアと結婚。メルリアは「メルリア・ハル」となった。


 そう。

 魔神の姓は「ハル」。

 彼には人として生きた前世の記憶があり、そこは姓を先に言うのだそうだ。


 だがそんな些細な事はどうでもよく、二人は幸せに暮らしましたとさ。


書きたいとこは書いてたし、その後の詳細などは蛇足と思いカット。


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